世界知的所有権機関が毎年発表している「世界イノベーション指数・国別ランキング」で、1位の座に君臨するスイス。これまでも、AI・ロボティクス分野の動向をお伝えしたが、他の分野でもスイス発の注目テックスタートアップはいくつも存在している。
特に同国で最も名誉とされる「スイス経済フォーラム(SEF)」の起業家賞には、スイス国内だけでなく、国際的にも非常に高い関心が寄せられている。
この賞は「サービス」「ハイテク&バイオテクノロジー」「製造と貿易」の3つのカテゴリーにおいて、スイスのスタートアップが3社ずつノミネートされ、最終選考ではそれぞれ1社が選出される。
今年のノミネート企業であるホリデー向けC2C自動車レンタルプラットフォーム「MyCamper」が、すでに同国最大のカーシェアプラットフォームになっているなど、実力ある企業が並ぶこのアワード。
ロボティクスからメドテック、グリーンテックまで、幅広いスタートアップが並ぶ受賞企業およびノミネート企業を紹介しつつ、その動向からどのようなスイス発のテクノロジー分野が注目されているのかを探ってみたい。
プラごみから歯並びまで。社会課題を解決するSEF起業家賞受賞企業
スイスを代表する経済会議である「スイス経済フォーラム」は、経済界、学術界、政治界、メディア界から1,000人以上の専門家が集まり、活発な交流と意見交換を図るイベント。この会議において、専門家のディスカッション以上に注目されるのが、スイスで最も重要なスタートアップアワードともいわれる「起業家賞」の選考だ。
厳しい審査を経て、多数の応募の中から厳選された企業18社には、さらに専門家による企業訪問が行われ、その結果に基づいて9社のファイナリストが選ばれる。今年「サービス」分野で賞を勝ち取ったのは、フードデリバリー向けに再利用可能な容器を開発する「reCIRCLE」だった。
パンデミックでは、フードデリバリーやテイクアウトの利用が急増、それに伴い、プラスチックごみの増加が問題視されている中での受賞となった。
仕組みはシンプルで、パートナー事業所として登録している飲食店は、最低200回使用できるデリバリー用容器を「reCIRCLE」よりレンタルし、デポジット料金を上乗せして、デリバリーやテイクアウトに使用、客は食事を済ませた後、最寄りのreCIRCLEのパートナー事業所に容器を返却し、デポジットを回収する。パートナー事業所が、容器をもう必要としない場合は、購入時と同じ価格で「reCIRCLE」に返却することができる。
同社は現在、スイス国内で約1,360の飲食店が加盟するまでに成長。今後はスイスでのネットワークの強化だけでなく、ヨーロッパ全体への展開を計画している。プラスチックごみの削減だけでなく、各パートナー事業所にとっても使い捨て容器のコスト削減となるところが魅力だという。
「ハイテク&バイオテクノロジー」分野で受賞したのは、歯列矯正の価格破壊をもたらす「Best Smile」だった。
近年、3Dプリンティングが義肢装具から臓器移植まで医療イノベーションをもたらしているが、歯科領域もその例外ではない。
日本でも健康面、審美面から年々関心が高まっている歯列矯正だが、治療へのアクセスを難しくしているのが、総額100万円を超えることも多いそのコストだ。
しかし、この「Best Smile」社が開発する透明な歯列矯正器具は、16歳以上限定ではあるが、最先端の3Dプリンティングプロセスを活用し、製造プロセスも完全にデジタル化。月額約9,000円程度から歯列矯正をすることができる。
すでにスイス国内では、20以上ある自社の歯科医院で、トレーニングを受けた歯科医師による歯列矯正を約15,000人の患者に提供している。
そして、「製造・貿易」分野で受賞したのは、多数のノーベル賞受賞者を輩出している名門、チューリッヒ工科大学発の「ANYbotics」だった。
同社が開発する自律型4本足ロボット「ANYmal」は、その機動性と高機能のセンサーを活かし、段差やスロープ、障害物などがある現場でも問題なく動きまわり、悪天候の屋外での使用にも耐えうる。人間には危険な環境下でも稼働可能なことから、産業プラントの検査や監視への活用が期待されている。
ロボティクス、メドテック、「研究力」で世界をリードするスイス
このSEF起業家賞は、受賞企業以外にもノミネート企業を概観すると、世界最先端のビジョンシステムを開発し、自動車、家電、ロボティクス関連ですでに300社以上もの顧客を抱える「iniVation」など、「ロボットのシリコンバレー」として知られるスイスの強さが感じられる。
高級時計でも知られるスイスは、もとより機械工学や精密機器の分野に強いのだが、加えて政府がロボット工学の研究に重点的に支援を行っている。また、スイスに拠点を置くグローバル企業が大学の研究に資金を提供するなどして、カリフォルニアのトップ大学と並ぶレベルのロボット工学研究者が集まる国となっている。
また、ロボティクスに加えて、今回のノミネート企業で目立ったのが、メドテック企業だった。
がん診断のための検査や個別化医療の研究者を支援する機器を開発するバイオテクノロジー企業の「Lunaphore Technologies」やマイクロバイオーム(微生物叢)に働きかけることで健康管理に役立つ製品を開発する「Gnubiotics Sciences」もファイナリストに残った。
特に後者の「Gnubiotics Sciences」は、人間とペットの両方に向けてマイクロバイオームを整える商品を提供しており、日本でも話題の「腸内環境」が気になる健康に関心が高い人たちにとっては興味深いスタートアップと言えるだろう。
世界トップレベルの研究機関と、高度な医療技術を使いこなせる医療機関を備えているスイスは、実はロボット大国であると同時に医療テクノロジー大国でもある。
GDPに占める医療テクノロジー産業の割合が世界トップクラスであるだけでなく、労働人口に占める医療テクノロジー産業従事者の割合でも、スイスはドイツやイギリスを抜いて欧州トップだ。
スイスのスタートアップの躍進はロボティクス、メドテックなど、スイスの「研究力」に支えられているところが大きい。特に大学の研究力の高さは、世界の大学ランキングの常連として、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学といったイギリスのトップ大学とも肩を並べていることからも伝わってくる。
また、このところはAppleやGoogle、Facebook、また同社のバーチャルリアリティー部門であるOculusなど、シリコンバレー発の大手テクノロジー企業が次々と拠点を置いている。Googleのオフィスに至っては、80を超える国から数千人の社員が集まる、アメリカ国外では最大の研究開発拠点にもなっている。
このように、世界トップクラスの研究機関、テクノロジー分野のイノベーションを牽引するグローバル企業、多国籍のハイスキル人材が集まるスイス。その高い研究力、そしてその成果を産業分野でのイノベーションにつなげる力がいかんなく発揮される同国のスタートアップシーンから今後も目が離せない。
文:大津陽子
企画・編集:岡徳之(Livit)