国連の経済社会局(UNDESA)が2年ごとに発表している「世界電子政府ランキング」において、2018年から2回連続で1位を獲得している北欧デンマーク。
2001年にデジタル署名制度がスタートしたのを皮切りに段階的に政策を進め、今では高齢者を含め大多数の国民が電子政府を使いこなしているという。
今回は、15年前からデンマーク・コペンハーゲン在住、ロスキレ大学でITの授業を受け持つ安岡美佳さんに、デンマークの電子政府の概要と国民視点の使い勝手、コロナ禍でのITの貢献について聞いた。
- 安岡 美佳
- 2005年にデンマークへ移住、現在はデンマーク人の夫と小学生の子供2人とコペンハーゲンに暮らす。ロスキレ大学准教授。北欧研究所代表。京都大学大学院情報学研究科修士、東京大学工学系先端学際工学専攻を経て、2009年にコペンハーゲンIT大学博士取得。デンマーク工科大学リサーチアソシエイツを経て現職。
デンマークの電子政府の概要
1968年に開始されたデンマークの「CPR番号」システム。デンマークの国民には、一人ひとり異なるCPR番号が付与され、この番号に紐づけて生年月日、性別、居住地、学歴、職業等のさまざまな情報が登録され、社会保障や税金等の管理に用いられている。
2011年には財務省の下にデジタル庁が設立され、290名の職員が在籍する。現在デンマークで利用されている電子政府システムの大枠は、以下のとおりだ。
■認証
CPR番号や企業番号(CVR番号)に紐づいた電子署名(NemID)による電子認証が導入され、使用が義務化されている。公的サービスや公共性の高いサービス銀行などでログイン時にNemIDが必要となる。
■コミュニケーション
公共機関からの連絡を電子的に受け取る電子私書箱として、国民全員に「Digital Post eBoks」が割り振られている。政府からの各種連絡、年金や給与明細、医療機関からの定期検診・検診結果、保育施設や学校に関する地方自治体からの連絡、警察からの連絡などをメール形式で受け取れる。
■金銭
国民は政府に1つの銀行口座情報を届け出る必要があり、この口座が政府からの金銭給付に利用される。税金の払い戻し、育児資金や生活保護金などの社会福祉関連の受領用として、また給与の振り込みにも基本的にこの口座が利用される。
■取引
電子請求のデジタルインフラで、電子的に請求書などの文書の受け渡しを行うオンラインシステム。公共機関のサプライヤなど、公共機関との取引では利用必須。見積もりの発行、請求書の発行、請求書に基づいた支払い、税金申告など、取引に関わる事項をシームレスにワンストップで処理できる。
その他、例えばデンマークで会社を設立したい場合、24時間いつでもオンラインで手続きが可能で納税もWEBで完了する。さらにキャッシュレス化も進んでおり、一部の高齢者を除き、ほとんどの国民がクレジットカード、またはモバイルペイで決済するのがスタンダード。筆者は現地で半年以上生活しているが、現金で支払う人を見たのはほんの数回だった。
デンマーク大使館からは、以下の通り電子政府のメリットが報告されている。
・行政手続きに要する時間が平均で1〜2日減少
・行政手続きコストが電話や窓口対応、紙書類での手続きと比べて1/2〜1/3.75に削減
個人の医療記録もWEB上で閲覧できる
デンマークではCPR番号に基づいて、個人の通院・治療・投薬の記録もWEB上で閲覧ができる。専用のWEBサイトにアクセスし、二重認証を経ると自身の情報が閲覧可能となる。実際に安岡さんの画面を見せてもらったところ、いつ、どこの病院に行き、どんな症状に対してどんな治療を施したかが詳細に書かれていた。
この医療記録システムが開始されたのは1977年。今から40年以上も前から、医師が電子カルテ上に患者の情報を残し、その全記録が1つのシステムで一元管理されているというのは、日本人からすると驚くべき事実ではないだろうか。
「過去何十年にわたり、自分自身の健康状態を把握できるのはもちろん、子供がいる人にとってこのシステムは本当にありがたいんです。例えば、幼い子供にワクチンの投与をするとき、日本では何十回というワクチン投与のスケジュールを親が1年単位でプランニングしなければなりませんが、デンマークではこの医療システムがワクチンを投与すべきタイミングを通知してくれるんです。
ワクチンは、AとBの種類を一緒に打ってはいけない、一度打ったら何ヶ月以内にもう一度打たなければいけないなどの細かい条件があるため、日本のママ友はかなり苦労していました」(安岡さん)
その他、過去に「いつ水ぼうそうにかかったか」「いつ大きな手術をしたか」など、長く記憶に留めておくのが難しい医療情報をWEB上で閲覧できるのも、健康を管理するうえで非常に便利とのことだった。
さらに、デンマークには医療の研究等に使用する目的で、CPR番号に紐づいた生体サンプルのデータが保存されているバイオバンクも存在する。ここには、世界でもっとも古いガンの試料や診療情報、過去約40年の間に生まれたすべての赤ちゃんから採血された血液を含めデンマークに存在する2,500万以上の生体サンプルのデータがWEB上で管理されている。
バイオバンクのデータはデンマーク国内のみならず、デンマーク内の専門家とコラボレーションすることで、世界中の大学や企業がアクセスできる。デンマークはヘルスケア分野の成長が目覚ましいと言われるが、このような医療記録やバイオバンクの存在が多大に貢献しているのかもしれない。
高齢者も約8割がネット利用。なぜ電子政府は浸透した?
日本のインターネット利用率(2019年)は、65〜69歳で80.3%、70~79歳で64.7%、80歳以上で49.2%、国民全体では84.9%(※1)と決して低くくはない。ただ、電子政府が普及しているデンマークでは、高齢者のインターネット利用率(2017年)が、65〜74歳で93%、75〜89歳で69%とかなり高く、55歳以下はほぼ100%の人が日常的にインターネットを活用している(※2)。そして、高齢者の多くがeBoksを用いた政府とのコミュニケーションやキャッシュレス社会に溶け込んでいるという。
※1…政府統計の総合窓口(e-Stat)より
※2…The Danish Agency for Culture and Palaces/Media Development 2018/Summary and Discourseより
ここまで電子政府が浸透した理由について、安岡さんは以下3つの点に言及した。
1. PRへの十分な予算投資
「電子政府の予算全体の1割ほどをPRに当てていて、かなり大々的にPR活動が行われていた印象があります。例えば庁舎前で国民的タレントを呼んで電子政府のプロモーションイベントが行われたこともありました」(安岡さん)
2. 使い勝手のいいシステム
「デンマークのシステム設計においてもっとも重要視されているのは『収益向上』ではなく、ユーザーの『権利の行使』です。すべてのシステムは収益を上げるためでなく、権利を平等に行使するため作られる。だからこそ、システムは実際に利用するユーザーの声を反映し、ユーザーのリテラシーや成熟度に寄り添って設計・デザインされます。デンマークがすごいのは、すでに1970年代から、この哲学がシステム設計者の常識になっていたことだと思います」(安岡さん)
3. 1970年代からのコンピューターの普及
「デンマークでは、1970年代からオフィスにコンピューターが普及しはじめ、データベースの構築やデータ蓄積が進みました。だから、当時働いていた今の70代の人たちにブラインドタッチができる人が割と多い。日本だと、70代でブラインドタッチができる人はあまり見ないですよね」(安岡さん)
さらに言及すると、コロナによって、これまでインターネット利用を避けてきた高齢者たちもネットで買い物をするなど、より一層、利用率が上がっているようだ。これは日本を含む各国でも起きている現象かもしれない。
コロナ禍でも電子政府が貢献していた
コロナによるパンデミックにおいて、デンマークの電子政府はどのように貢献したのか。安岡さんいわく、1つ印象的だったのは、国民全員に対して政府がeBoksに一斉メッセージを届けたことだったとか。
「政府が全国民に一斉に文面を送ったのは、これが初めてのことでした。コロナウイルスの病状や国内の感染状況、対策などが詳細に書かれており、いかに国が危機的な状況にあるかをうかがい知ることができました」(安岡さん)
このような緊急時に郵送よりも早く、重要な情報を一斉に届けられるのは大きなメリットだろう。
さらに、デンマークに浸透するWEB上の医療記録も感染の抑制に大きな貢献をしているそうだ。既出のとおり、デンマークでは電子カルテにより全国民の医療情報が記録されているため、地域ごとの感染者数、感染傾向、患者の推移等がタイムリーに把握できている。
「デンマークでは全国一斉のロックダウンが徐々に解除された後、感染者が多発しているホットスポットをかなり詳細に特定し、細かいエリアごとに対策をしています。例えば、この公園では立ち止まるのが禁止、このエリアだけ飲食店の営業が禁止などです。
また、電子化された社会を活用した実証実験もかなり多く行われています。例をあげると、マスクの着用には本当に意味があるのかを調べるために、ランダムに選ばれた一定数の国民にサンプルを送付し、指示通りにマスクを付けたり、付けなかったりして過ごし、血液検査を実施するなど。国民を巻き込んだ大規模なランダム調査ができるのも、WEB上で国民の情報を把握できているからでしょう。
その結果かどうかはわかりませんが、デンマークでは8月22日から電車やバスなど公共の乗り物内で、9月15日から飲食店内で着席時を除いてマスクの着用が義務付けられています」(安岡さん)
デンマーク大使館からも、国連がデンマークのコロナ対応を市民中心で包括的であると高く評価したこと、教育、医療、行政などがデジタル化により、社会の基本的機能がコロナ禍でも機能したことが報告されている。
電子政府は日本にも浸透するか?
デンマークにおける電子政府は、国民のより良い暮らしのため、国家の経費削減のため、脱税等の不正防止のために大いに役立っているようだ。日本もコロナをキッカケにようやく電子化が進み始めているが、安岡さんは「日本でまったく同じことを実現するのは難しいと思う」と話す。
「デンマークって国そのものが、1つの大きな会社ファミリーのようなものなんです。政府への信頼度が高く、私自身も国民として長くこの国で生活していて政治家が悪いことをしているとは思えません。仕事を失っても、病気になっても、例え目が見えなくなっても生きていけるだろうなという安心感が強くあり、それはすごいことだと思います。
一方で、そういった政治がデンマークのおもしろみをなくしている1つの要因かもしれない。国民は保守的な性質で、みな似たようなことを考えているし、透明性が高く安心だけれど、実は裸で歩いているのを気にしていないだけのような気もします。
デンマーク同様のセーフティネットを持たない日本で、ここまで電子化して国民の情報をオープンにするのは国民の反発を買うのではないでしょうか」(安岡さん)
デンマーク国内では、CPR番号を通じた個人情報の行政手続きにおける利用に関し、プライバシー侵害などへの懸念はあまり聞かれていないようだが、これは政府への強い信頼があってこそなのだろう。デンマーク大使館からは、電子政府の安全性や個人情報保護に関して、2020年9月末に以下のように報告されている。
●92%がデジタル・ポストの利用が安全だと回答。93%の住民がBorger.dkに満足と回答。27%が政府は個人情報保護を「非常に」慎重に扱っていると回答。49%が政府は個人情報保護を慎重に扱っていると回答(2019年、デンマーク統計局による調査)。
●過去に、個人の納税情報が(暗号化された状態)で流出した事件、システム開発業者がハッキングの被害に遭った事件(運転免許に関する情報が流出)、雇用主が社員の個人情報にアクセスできた事件などが報告されている(が大きな騒動にはなっていない)。
●個人の情報は、それぞれの行政機関がそれぞれの管轄分野に関する情報のみを保有しており、それらは統合された形で保存されてはいない。ある行政部門が、他の行政部門に個人情報の提供を求める場合、本人の同意が必要。
SDGsや電子政府で世界をリードする優秀国とも言われるデンマークだが、だからといってすべてが万々歳というワケではなく、その先にはまた異なる課題があるようだ。これから日本がすべきことはデンマークのような先進国を見習いつつ、日本の枠組みに沿うカタチで電子化を進めていくことかもしれない。
<取材協力>
安岡 美佳
<取材コーディネート>
親目線で日本の教育を考える営み EduCari
<参照>
デンマーク大使館 公式Facebook
取材・文:小林香織