国・地域で異なるマスク着用率
新型コロナウイルスの「第2波」「第3波」への警戒・対応が世界中で行われている現在。多くの国でマスク着用が義務化、あるいは勧告が出されている。一方、マスク着用の是非をめぐり、多くの国や地域で意見の対立が目につくようになった。大統領選間近のアメリカで、マスク着用義務化の是非をめぐりトランプ大統領とバイデン前副大統領の間で意見が衝突している話は有名だ。
アメリカに限らず、マスク着用の是非は今や世界中で関心を集めるトピックとなった。本当にマスクに科学的効果があるのか判断しかねている行政機関や組織は多く、公的な勧告があったとしてもマスク着用に抵抗を感じたり、拒否をする人も多い。日本でも先日、マスク着用を拒否した乗客と格安航空会社(LCC)とのトラブルがネットを賑わせたばかりだ。
マスクをつける人、つけない人がいるのは、単なる政府の政策や医療的アドバイスの違いだけではない。文化や歴史、効果に対する考え方、個人的な好みなどによっても、着用率は前後する。例えば、今年7月末にスイスの衛生行政機関が実施した調査(1,673人に対して実施)によると、同国のフランス/イタリア系住民はドイツ系住民に比べ、マスク着用率が2倍高いことが明らかとなった。この違いは、どこから生まれているのだろうか。
この記事では、多言語/多文化が混在するスイスの事例を切り口に、マスク着用に関する文化圏/言語圏による相違を探っていく。
コロナ対策緩和をめぐる意見の対立も
多言語/多文化が混在するスイスでは、22.7%のラテン系住民に対し、ドイツ系住民は63%を占める。同国でコロナウイルス感染が急増する中、特に感染者と死亡者が増えたのが、フランス/イタリア系住民が住む地域だった。スイスにおけるコロナ死亡者の3分の2が、全人口のたった3分の1をしめるフランス/イタリア系住民の住むエリアに集中。全体の人口の20%をしめる同国最大の都市・チューリッヒでは、コロナ感染率は10%、死亡率は7%に留まった。
高い感染率・死亡率の状況をうけてか、フランス/イタリア系住民の住む地域では、マスク着用率が非常に高い。対してドイツ系住民は、3分の2が公共空間でマスクを着用しないと答えた。
スイス政府は、これは各州政府における政策の失敗ではなく、「状況的な要因」によるものと説明している。文化圏/言語圏が異なる地域では、そもそも外部環境や衛生状況、生活様式、住民の物事に対する考え方や優先度、政治的関心などが異なるため、例え同じ政策を適用しても、結果は異なるということだ。
もっとも、マスク着用に限らず、彼らの意見が対立することは昔からよくあることで、この文化現象は「レシュティの溝(Röstigraben)」と呼ばれている。
この文化現象は、同国ドイツ語圏の郷土料理・レシュティから取られたもの。ドイツ系住民にはおなじみのじゃがいも料理だが、フランス/イタリア系住民は好んで食べないことから、両者の違いを表す表現として一般的に使用されてきた。欧州経済領域(EEA)への加盟の是非をめぐる1992年の国民投票では、ドイツ語圏では過半数が反対票を入れ、フランス語圏では有権者の7割以上が賛成したという。スイスの文化圏/言語圏による意見の違いは、コロナ対策への反応も含め、今でも頻繁に見られることだ。
4月中旬に政府が行ったコロナ対策の緩和をめぐり、同国でビジネスの集中するドイツ系住民が住むエリアでは緩和を歓迎(45%)し、フランス/イタリア系住民の約80%は規制緩和を後ろ倒しにするよう回答した。早くビジネスを再開したいドイツ系住民と、感染リスクを抑えたいフランス/イタリア系住民の違いが、浮き彫りになった。ドイツ系住民のマスク着用率が低いのは、規制緩和を歓迎する風潮も要因のひとつとなっているのだろう。
マスク着用に拒否反応を示す欧米人と、マスク文化が根付くアジア
新型コロナウイルスの蔓延が本格化してから、WHO(世界保健機関)は当初、新型コロナウイルス予防にマスクは効果的ではないと発表していた。その後一転し、咳や熱などの症状がある人か、感染の疑いのある人に接触している人にはマスクの着用を奨励している。無症状の人でも周囲にウイルスをうつすことがあるという科学的証拠が発見され、飛沫感染を防ぐマナーのひとつとしてマスクを推奨する研究者も増えた。
しかし、実際に人がマスクを積極的に着けたがるかどうかは、スイスに限らずとも文化圏/言語圏によってかなり開きがある。英インペリアル・コレッジ・ロンドンの世界健康イノベーション研究所と調査会社YouGovが実施したある調査によると、家の外で積極的にマスクを着用する意志がある人は、イタリアで約83%、アメリカで59%なのに対し、イギリスではわずか19%に留まった。
スイスのフランス/イタリア語圏やイタリアのように、コロナウイルスによる影響を深刻に受けた国・地域では、マスク着用が受け入れられやすかったともいえる。しかし、元々マスクで顔を覆う文化のなかった多くの欧米地域では、一般的にマスク着用に抵抗感を示す傾向は強いと言われている。
対照的に、コロナウイルス以前からマスク着用文化があるアジア諸国では、誰でもウイルスの運び手となりうることを前提に、他人への配慮としてマスクを着用する人が多い。2002年のSARS、2006年の鳥インフルエンザに続き、大気汚染や花粉症対策など、コロナウイルスの蔓延以前から、日本、中国、韓国などのアジア諸国では、マスク着用は非常に一般的であった。これらの国々では、今ではマスクをしていない人を見つける方が難しい。
キャラクターが印刷されたマスクを使用するなど、ファッションアイコンとして活用されることもあるほどだ。顔を隠すことで周囲から心理的な距離をとる、という社会的な機能もある。マスクが日常の一部であるアジアと、コロナウイルスで初めてマスク着用が浸透しつつある欧米では、人々の心理やマスクの社会的意味は当然異なる。
マスク着用をめぐりやたらと意見を衝突させ抵抗感を示す欧米には、イスラム系移民のスカーフ問題を想起しなくもない。科学的証拠を議論し着用の是非をめぐって意見を戦わせる欧米と、マナーだからとすんなり着用が浸透するアジア。同じ政策下でも違った反応をみせるスイスのフランス/イタリア系住民とドイツ系住民。マスク着用率やマスクに対する人々の反応を観察することで、その国や地域の文化や政治、歴史、美意識などが読み取れて面白い。
文:杉田真理子
企画・編集:岡徳之(Livit)