「種苗法改正問題」はすっかり沈静化?

今年5月いわゆるコロナ禍の最中、政府が成立を急いでいた種苗法改正案。

女優の柴咲コウさんのツイートなどから火が付いたSNSを中心とする反対世論が高まり、前国会での成立は見送りになった。

海外からインターネットを通じて垣間見るかぎりそれ以降議論はすっかり沈静化している雰囲気だが、政府は次期国会での成立に強い意欲を見せていたので、反対派の皆さんはまだまだ目が離せないところだろう。

種苗法も農業も専門としないタダの一国民の筆者も、農家の負担増も農業や品種のあり方自体が大きく変わる可能性は心配だが、もっとも理解に苦労しているポイントは、どうにも法改正の本来の目的であったはずの品種の国外流出の防止と、改正の中心となっている国内における品種の登録・管理の強化に直接的・効率的な因果関係が見えない点だ。

5月の各会見で江藤農林水産大臣は、この種苗法の改正が実行されれば国内で種苗を強く管理することができること(具体的には、自家採種の禁止により流出を防ぐなど)、また「(法改正が)UPOV条約(1968年発効の品種保護のための国際条約。現在日本を含む75の国と地域が加入中)にも影響がある」ことを国際的な流出防止の論拠としている。

しかし現在起きている海外流出は本当に国内農家の自家採種が原因なのか、また国内法の改正が具体的にどうUPOV条約に影響を及ぼすのか、及ぼすとしてそれが国際的な品種の流出に牽制をかけるための最良の方法なのか、疑問は尽きない。

そもそも私が品種の盗用を目論む海外の農業従事者なら、旅行者として訪日し、フルーツや種を身元を明かさずに利用できる小売店で買って持って帰る(もしくは日本にいる知人に頼む)だろう。そこに自家採種はどれほど関与しているのか?

疑問に思って詳細を調べたが、品種の流出経路に関しては不明な部分が多いようだ(あたりまえか)。

盗用が大きな問題となった品種のうちのひとつ、シャインマスカット(写真ACより)

当のUPOV条約は育成者権について何と言っている?

種苗の国際的な流出に関する議論でしばしば頼りとされる国際条約・UPOV条約は、加盟国の育成者から登録された品種の育成者権を保証している。

ただこの条約自体に罰則規定があるわけではなく、声明にも「UPOV条約加盟国は、自国の育種家が権利を効果的に行使できるよう適切な法的救済策を提供するよう求められます。そして実際に権利を行使する責任は育種家に帰属します」と明記されている。つまり品種が盗用された時に自分の権利を主張するのは育種家の仕事であり、国の仕事はその育種家が効果的に法的措置を取れるよう、法的な救済策を用意することなのだ。

国が育成者権の管理を強化して流出を防止しようとする今回の種苗法改正のコンセプトと、盗用が起きた時に育種家個人が権利を主張できるよう国がサポートすることを求めるUPOVのスタンダードは、少し方向性が違うように思える。

商売上手な農業大国・オランダの場合は?

そもそもフルーツなどというどうしても種つきの状態で市場に出回る商品を、流出から守る方法など存在するのか。オーストラリア生まれで欧米で人気のブランドリンゴ・Pink Ladyなど、品種の国際的保護のためにアメリカに管理組織まで創設し、流通する各国でのライセンス管理と品質保全に努めている。宝石のようなブランドフルーツの品種が毎年次々に誕生する日本がその一つひとつに同じことをしたら、膨大な手間とコストがかかるだろう。しかし確かにわが国の農水省も今回の改正案以前は「流出の防止策は海外での品種登録と刑事告訴以外にない」という意向を示していた通り、それ以外に効果的な流出防止策は思いつかない。

そこで思い当たったのが筆者が現在暮らすオランダ。面積が日本の九州くらいしかないのに農作物の輸出額がアメリカに次いで世界二位という大農業国な上に、数百年に渡って海を越えて商売してきたビジネス国の面もある。ひょっとしたら彼らなら、国際的な不正にうぶな日本よりもその辺うまいこと対処しているのではないか?期待を胸に関係組織にコンタクトをとってみた。

合理性とイノベーションが注目を浴びるオランダの農業(政府公式サイトより)

品種の登録・育成者権の発行を行う「Raad Voor Plantenrassen(植物品種協議会)」

いくつかの組織への問い合わせをたらい回った結果行きついたのは、オランダ政府の監督のもと国内の植物の品種の管理(育種家からの品種の登録受付・育成者権の発行と管理・流通の承認)を行う独立法人・Raad Voor Plantenrassen(植物品種協議会)の会長・Kees Jan Groenewoud氏(以下Groenewoud)。

オランダ語で「緑の森」を意味する同氏の名字が本名かどうかは尋ねそびれたが、前職は全国組織のオランダ園芸評議会法務部長という生粋の植物と法の専門家だ。前のめりな質問に全て率直に答えてくれたので以下にまとめたい。

筆者:さっそくですが、オランダでは育成者権が侵害された場合どのように対応しているのでしょうか。

Groenewoud:まず明確にしておきたいのですが、育成者権を保護・主張するのは育成者自身の仕事です。通常品種はブランド名で管理し、許可を持たない他の農業従事者が同じ名前の品種を育成・販売した場合、育成者は差し止めや賠償を求めて訴訟を起こすことができます。オランダの裁判所には農業に限らず著作権関連の訴訟全般を専門に扱う部署があり、こちらに訴訟手続きを取ることになります。

筆者:なるほど、では種を持ち出して育てた同じ品種の果物や野菜を、違う名前で売った場合はどうなりますか?

Groenewoud:もちろん犯罪です。その場合は現物のDNAを分析して裁判所に提出し、一致すれば著作権法違反が即座に判明します。私たちの評議会の仕事はまず第一に育種家からの品種の登録受付、第二に育成者権の発効、そして商品としての市場への流通の承認ですが、品種の登録の際には育種家に種の提出を要請します。そしてこうした訴訟があった場合に、本来の育種家の権利を証明すること、またオリジナルの登録してある種を裁判所に証拠として提出することが、品種の盗用問題に対する私たちの最も重要な役割です。

現在評議会では1万種類の登録品種の種を保管していますが、年間15~20件の訴訟があり、その都度裁判所がオリジナルのDNAを照会できるよう、種を提出しています。

筆者:なるほど、種の持ち出しを防ぐことは実質無理なので、権利が侵害された場合に育種家が訴訟を有利に進めることをサポートすることで、盗用を牽制するわけですね。オランダからはどんな国に品種が流出しているのでしょう?

Groenewoud:そこが日本と違うポイントなのですが、私たちの周辺諸国は幸いなことにUPOV条約に批准し、国内の著作権関連の法律も整備されている国が多いので、国外持ち出しのケースはそんなに多くありません。もちろん国外流出が発覚した場合にはオランダの著作権法に従って法的な処置をとりますが、訴訟の多くは国内ケースです。また先ほど訴訟の件数は年間15~20件と言いましたが、それ以外に示談や調停で終わらせているケースも多く、実際には盗用のケースはそれよりもはるかに多いのが実情です。

筆者:そんなにあるんですね!(注:オランダはフルーツが非常に安く、イチゴだろうが洋なしだろうがキロ単位でおおざっぱに売られていて、日本のように丁重に扱われて流通する高級フルーツはまず見かけない。それでもそんなに盗用が起きているのは意外だった)

Groenewoud:人気品種は商業的利益が大きいので、盗用のケースはどうしても発生します。重要なのはそういった場合に適切な法的措置がスムーズに取れることです。

数年前に知ったことながら現在も状況は同じだと思うのですが、日本では農作物のDNAテストの方法の選択肢が非常に限られており、さらにそれがとても高額なため、育種家が訴訟を起こすハードルが非常に高いと聞きました。オランダでは安価で手軽な品種のDNA検査の方法なども色々あり、規模の小さな種苗家も権利を侵害されれば大きな負担なく訴えを起こすシステムがあります。日本は地理的な条件は不利かもしれませんが、そういった権利行使のためのシステムやツールを発展させることで、今よりも育成者権を守りやすくすることは可能なのではないでしょうか。

筆者:なるほど。日本政府は現在、品種の登録制を強化し、登録品種の自家採種を原則禁止するなどで海外への流出を防ぐ主旨の法改正を検討しているようですが、これに関してはどう思われますか。

Groenewoud:日本政府は育成者権の侵害に関するルールの実施に関しては、まだ少し苦労しているのではないかと想像します。

筆者:ありがとうございました。

ちなみに、オランダ名物のとあるお高い植物の業界は

蛇足になるが、オランダで栽培・消費される農産物の中でキロ当たりの栽培コストと販売価格が最も高く、新品種の改良にも日々並々ならぬ努力が注がれている植物のひとつが大麻だろう(農産物?)。

単価がその辺の野菜とはけた違いのこの植物の場合事情が違うのではと、国内業界トップシェアを誇る大麻関連グッズを扱う企業Zamnesia社のSimon Jansen氏に、育成者権はどうなっているのか訊いてみた。

Jansen:もちろん基本的に育成者権は品種の開発者のものです。品種名の無断利用などが起きた場合、通常育成者が差し止めを求めて相手にコンタクトをとります。基本的に違法な製品である都合上法的な保護を受けられないので、人気品種の種を勝手に利用して違う名前で販売するといった不正がないとは言えませんが、やはり高価な植物であるからこそコピー商品はブランド力で圧倒的に劣るので、市場原理としてオリジナルほどの利益を生むことはありません。なのでブリーダーも目に余る盗用でない限り、追及する手間をかけるよりも、放置、または自社ブランドのアピールを推進することが多いです。

合理的なオランダの対応

清濁併せ呑むというか、肉を切らせて骨を断つというか、とにかく現実的で合理的なオランダの品種盗用対応。長年の育種家の努力をしれっと盗む人がいることを当たり前化するのはちょっとサビシイ気持ちにもなるが、日本もこんなオランダ式したたかさをひとつまみ持ってもいいかもしれない。種泥棒に腹を立てた勢いで、大事なものを手放してしまわないように。

取材・文:ステレンフェルト幸子
編集:岡徳之(Livit