2020年4月オランダのアムステルダム市は、「ドーナツ経済学」の構造モデルを自治体として適用することを世界で初めて決定した。ドーナツ経済学とは、オックスフォード大学の経済学者ケイト・ラワース氏が提唱したもので、持続可能な未来をつくるために環境面での超過と社会面での不足をなくし、すべてをドーナツの「中身」に収める枠組みのことだ。
今回は、SDGsや循環経済とも密接につながりあうドーナツ経済の概要と、アムステルダムが打ち立てた自治体が一丸となった持続可能な取り組みの計画を紹介する。
ドーナツ経済学、その美味しそうな名前が意味するものは?
ドーナツ経済学は、オックスフォード大学環境変動研究所の経済学者であるケイト・ラワース氏が、2012年にOxfamの研究レポート「人間にとって安全で公正な空間」で初めて発表し、のち2018年に著書「Doughnut Economics : Seven Ways to Think Like a 21st-Century Economist」で詳しく説明されている考え方だ。
その仕組みは、まず、ドーナツの穴は、世界中の人々の社会基盤(Social Foundation)と呼ばれる。国連の持続可能な開発目標(SDGs)に提唱されている「誰も置き去りにせずに」すべての人の最低限の人間らしい暮らしができることと同様だ。食料の確保から安全な水・エネルギー源、医療や教育、男女平等や政治的発言の自由まで、暮らしを形成する12の社会的基盤で構成される。これらの生命の本質にアクセスできない人々は、ドーナツの穴にはみ出て存在していると表現される。
そしてドーナツの外側は、生態学的天井(Ecological Ceiling)を境とし、生命が依存し、行き過ぎてはならない9つの生態学的境界を表す。気候変動・オゾン層の破壊・空気汚染・土壌・海洋や生態系のロスなど、人間がダメージを与えてはいけない生態系だ。
そして美味しいドーナツ自体の部分、図の黄緑色で示される部分が、「人々にとって安全で公正な空間」。人々の経済活動がもたらす環境負荷がドーナツの外にはみ出ることなく、かつ、すべての人々がドーナツの穴に取り残されることなくいられる空間を示す。9つの生態学的天井のいずれをも超えることなく、12の社会的基盤がすべての人に満たされている状態、ということになる。
この時初めて、「人間と地球環境のニーズが合致したうえで、経済は繁栄している」と見なされる。このドーナツの中に納まることこそが、均衡がとれた甘くて美味しい所(スウィート・スポット)であり、目指すべき世界なのだ、とこのフレームワークでは表現している。
動き出したアムステルダム市の政策
2020年4月、公共政策の意思決定の前提としてオランダのアムステルダム市でこのドーナツフレームワークが正式に導入された。このようなコミットメントを発表するのは、都市としては世界初だ。
アムステルダム市の声明では、「我々は経済をまったく異なる方法で見る。それは生産、加工、そして消費の方法だ。市の消費者は、製品をより長く使用し、より多く共有し、より頻繁に修復する必要がある。」としている。
では具体的にアムステルダム市は、どのようにドーナツフレームワークを利用するのだろうか?
ドーナツ経済学を当てはめるとき、「すべての人々の健康と生態系の健康を尊重しながら、私たちの都市はどのようにして繁栄する場所であり繁栄する人々のホームにすることができるか?」の命題に答えるための、4つの問いが不可欠に存在する。それらは以下の図に示されるとおり、縦軸はローカルとグローバル、横軸はソーシャル(社会的)とエコロジカル(生態的)な見方を当てはめ、各項目をクロスして問いに答える形だ。
1.その住民にとって、都市が繁栄することはどのような意味を持つか?(地域×社会)
2.その都市にとって、生態系の中で繁栄することはどのような意味を持つか?(地域×環境)
3.その都市にとって、世界の人々の幸福を尊重することはどのような意味を持つか?(世界×社会)
4.その都市にとって、地球の健康を尊重することはどのような意味を持つか?(世界×環境)
これらの4つの問いを、関連のある基盤や項目の一つ一つを丁寧に見ていき、最終的に4つの層を重ねると、最初の「City Selfie(都市の自撮りの姿)」、すなわち進行中で変容の生きた都市のイメージを作成し可視化することができる。以下の図はアムステルダム市で上記4つの質問に答えていき、ローカルとグローバル、社会と生態系が密接に関わりあいながら相互に影響を与えていることを示している。
アムステルダムのホワイトペーパー「The Amsterdam City Doughnuts」では、チェンジメーカーの準備の整ったコミュニティは、このプロセスの先駆者となり、消費者を含むすべての貢献者に、都市を変革するための新しいイニシアチブを提供するよう呼びかける。その結果としてのユニークな「City Selfie」は、多様化して活気に満ち、変容しつつある都市の描写になる、と説明されている。
GDPに変わる、新たな指標となりうるドーナツ経済学
アムステルダム市副市長van Doorninck氏は、コロナ危機により自然環境や人々の健康、雇用、住居、コミュニティ全てを危惧する時、ドーナツフレームワークで、それに対応する準備ができると英国新聞メディアThe Guardianの取材で語っている。その前提はシンプルで、「経済活動のゴールは、すべてのニーズを地球環境の許容範囲の中で満たすこと(ドーナツの中身に抑えること)」だ。
彼女がThe Guardianであげている具体例に、行政としてのカカオ豆の輸入政策があげられている。アムステルダムは世界最大のカカオ豆の輸入港であり、そのほとんどが現在労働搾取が多くみられる西アフリカからのものだという。
100%奴隷労働のないチョコレートで有名なオランダのTony’s Chocolonelyを筆頭に、民間企業であればそのようなサプライヤーを拒否して生産し、それに伴うマージンの仕組みを変えることができる。しかし、だからといって行政として全体的に判断をするのは難しい。というのも、アムステルダムの5世帯に1世帯は低収入や低貯蓄のため社会保障を受けている現状があり、そのような製品を必要とする消費者の存在も市として考慮しなければならないからだ。
ドーナツ経済学を組み入れることにより、このように広範な目線で、深い議論をすることが自治体として可能になる。極端な低賃金労働や児童労働などの労働搾取から生まれた商品が、自分たちの都市で取り扱われても良いのか?このような商品を無くすことにより、都市の低所得者はどんな影響を受け、改善するにはどのような仕組みにすればよいのか?ということを行政全体で議論することができるようになる。
「依然としてコロナの影響下にあるのに、アフターコロナのことを話すのはおかしいかもしれない。だが、私たちは自治体として考える必要がある。アフターコロナに、安易に(社会的・生態的な影響を考慮しない資本主義と)同じメカニズムに戻ってしまわないために」とvan Doorninck氏は話す。
社会にとっても地球にとっても、より深く広い議論を要するフレームワーク、ドーナツ経済学。都市計画を考える上で、今まではローカルそしてその都市の社会的側面だけを考えるものが主だったものが、グローバルそして生態系面も入れて考える視点を取り入れるだけでも、とても新鮮であり包括的だ。ドーナツフレームワーク自体は私たちに答えを出してくれるものではないが、我々が同じ構造のまま次世代へ突き進まないための考え方を教えてくれている。このフレームワークが、将来経済や社会の教科書に載る日も遠くないかもしれない。
文:米山怜子
編集:岡徳之(Livit)
参考文献
https://www.amsterdam.nl/en/policy/sustainability/circular-economy/