昨年、アメリカのバーガーキングで、植物由来の人工肉パテを使った「インポッシブル・ワッパー」が発売されて話題を呼んだ。倫理観に適い、持続可能型社会の実現といった観点からも注目される代替食品。人工肉のほか海藻ジャーキーなど、テクノロジーを使った代替食品開発が世界中で進められている。
そんな中、シンガポールのスタートアップ「TurtleTree Labs」は、哺乳類の細胞から作り出したバイオテクノロジー牛乳の開発に成功した。動物の生体を介さない「牛乳」の登場に、大きな期待が寄せられている。
世界60カ国から応募が殺到。テックスタートアップコンペ「The Liveability Challenge 2020」
今年(2020年)7月8日、シンガポールで開催されたテックスタートアップコンペ「The Liveability Challenge 2020」。シンガポールの政府系ファンド・テマセク財団が主催しているコンペで、今年で3回目を迎えた。亜熱帯における持続可能な都市開発を標榜に掲げ、革新的ソリューションを提案するスタートアップ発掘の場として注目されている。
今回のテーマは以下の3つ。1. 都市における食糧生産、2. 循環型の包装材、3. 脱酸素による持続可能な都市の実現。これらは、国連SDGsの目標2(飢餓ゼロ)、目標9(産業と技術革新の基盤をつくる)、目標12(責任ある消費と生産)、目標13(気候変動対策)に準じており、SDGsを強く意識したテーマである。
今年は世界60カ国、400を超える団体から応募があり、その中からTurtleTree Labsは見事優勝。賞金100万シンガポールドルと共に、複数のインパクト投資家への紹介、アクセラレータープログラムへの参加資格などを獲得した。
温室効果ガス98%カットを実現。世界初、バイオテクノロジーによる牛乳製造
TurtleTree Labsは、哺乳類の細胞から培養した「動物の生体を介さない牛乳生産」という、世界初の試みを成功させた。
同社が開発したバイオテック牛乳は、栄養、味、品質いずれも本物の牛乳と遜色ない。しかも製造過程において、従来の牛乳生産と比べると、二酸化炭素排出量が98%も削減されるという。母乳開発も同時に進めており、今後、環境問題や貧困問題の解決手段として期待されている。
TurtleTree Labsはバイオテック牛乳の開発のため、20名以上の優秀なエンジニアや科学者をメンバーに迎えた。投資家から約3億円の資金援助調達にもこぎつけ、本腰を入れて取り組んできた。
同社のCEO兼共同設立者である若きシンガポール人女性Fengru Linは、首尾一貫してプロジェクトの陣頭指揮を取ってきた。彼女はコンペ受賞式で「シンガポールを拠点とするグローバル企業として、とても興奮している。バイオテック牛乳は、安全な食糧供給や資源の持続可能性といった問題に貢献できるだろう」と熱く語った。
過熱する代替食品市場。高まるアジアの乳製品需要にも期待
冒頭でも触れたが、現在世界では持続可能な社会を実現するための、代替食品の開発が急ピッチで行われている。中でも牛は、生育過程に発生する大量の温室効果ガスが問題視されており、飼料用の牧草地からは多くの炭素が排出されることもわかっている。
スターバックスコーヒーは、2030年までに温室効果ガスや埋め立て廃棄物を50%削減すると明言している。ケビン・ジョンソンCEOは、乳製品の代わりにアーモンドや大豆、ココナッツなどの植物由来ミルクを、積極的に勧めていく方針を示した。また同社では、亜酸化窒素(温室効果ガスの一種)を排出せずに、ホイップクリームを作る方法を探っているとのこと。世界最大手のカフェチェーンは「脱牛乳」に本格的に舵を切った形だ。
しかし世界全体で見ると、牛乳需要は上がり続けている。世界自然保護基金(WWF)によると、現在世界では約2億7千万頭の乳牛が飼育されているという。特にこれまで牛乳や乳製品を摂取する習慣の薄かったアジア地域では、経済発展やライフスタイルの変化により、その消費量は年々高まっている。アメリカ農務省のレポートによると、インドの年間牛乳摂取量は、2014年から2019年の5年間で約2万トンも増えている。アメリカや日本、EU諸国では微減しているが、それでも全体の消費量は増加傾向にある。
バイオテック牛乳が商用化したら、新たな代替ミルクオプションとして、インパクトを持って市場に受け入れられるだろう。
アジアのクリーンテックハブとして存在感増すシンガポール
さて、「The Liveability Challenge 2020」では、TurtleTree Labsを含む6組がファイナリストとして最終選考に残った。6組のうち4組がシンガポール出身、1組はインドのスタートアップと、アジア勢の躍進が目立った。
シンガポールは国を挙げてクリーンテック開発に力を入れており、アジア太平洋地域における「クリーンテック先進国」を目指している。起業家育成や関連企業・投資家の誘致を積極的に行っており、本コンペもその一環である。
シンガポール西部にある南洋工科大学(NTU)の敷地内には、クリーンテック開発に特化した産業集積地「クリーンテック・パーク」が建設中で、2030年の完成を予定している。すでに複数のグローバル企業が入居しており、NTUと連携したハイレベルな研究開発が期待されている。
次章からは、惜しくも優勝は逃したが、イノベーティブな技術で会場を沸かせた、コンペのファイナリスト2組を紹介する。
エビの殻を使った循環型包装フィルム
シンガポールNTUの研究チームは、エビなど甲殻類の殻を使って、生分解性の食品包装フィルムを生成する方法を考案した。環境への安全性が高く、海洋汚染や食品廃棄物問題の解決につながる点が評価されている。
世界では、毎年600万〜800万トンの甲殻類が廃棄されており、エビの殻においては60%近くが捨てられているという。シンガポールでも食品廃棄物は大きな問題となっており、2019年には国内で約74万トンの食品が廃棄された。そのうち、リサイクル率はたったの18%であったという。
フィルムは、甲殻類の殻に含まれる「キチン」という成分を抽出して生成する。食品の増粘剤やスキンケア商品にも使われるキチンは、抽出にエネルギーとコストがかかり、化学廃棄物も発生させる。一方、NTUは有機的なプロセスかつ低コストでの抽出を可能にした。NTUの「発明」は、コスト削減とサプライチェーンのクリーン化を促し、業界にイノベーションを起こすかもしれない。
メタンガスでタンパク質を作る
インドのバンガロールに拠点を置くスタートアップString Bioは、廃棄物や天然資源からメタンガスを発生させて、粉末タンパク質に変換する技術開発を行っている。現在は動物用のタンパク質から作り始めている。
温室効果ガスとして“悪名高い”メタンガスを、逆に食糧供給問題のソリューションとして利用した、ユニークなアイデアが注目を集めている。
文:矢羽野晶子
企画・編集:岡徳之(Livit)