50年前に小学館の学年誌の連載漫画として登場した「ドラえもん」。作者である藤子・F・不二雄氏が1996年にこの世を去った後も新作が作り続けられ、近年、映画の興行成績は右肩上がりだという。
「ドラえもん」を漫画で読んだりアニメで観たりした小学生たちが、順に成長して大人になり、やがて親になって、またその子どもたちが「ドラえもん」に出会う。そうやって「ドラえもん」は年代層を超えて受け入れられるコンテンツになった。
今回、「ドラえもん」と縁の深い漫画雑誌『コロコロコミック』の編集部員にして、その大人版『コロコロアニキ』発起人でもある小学館・石井宏一氏に、半世紀にわたって幅広い年代層に愛され続けるコンテンツの秘密を伺った。
コロナ禍に苦しむ日本中の感動を呼んだ「ドラえもん」の新聞広告
新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐために緊急事態宣言が発令されて3週間ほどが過ぎた4月29日。本来なら、旅行や行楽に出かけるゴールデンウィーク初日のはずだった。
その日の朝日新聞朝刊に、「ドラえもんからのメッセージ」が掲載された。
「だいじょうぶ。未来は元気だよ。」
新聞で、あるいはSNSで拡散されたこのメッセージを見た人たちから、「ちょっと泣いた」「励まされた」「ドラえもん、ありがとう」──そんな声が上がった。
藤子・F・不二雄プロ(藤子プロ)と藤子・F・不二雄ミュージアムが開始した「ドラえもん『STAY HOME』プロジェクト」の一環で、新聞に掲載されたメッセージ広告が、日常を失い先の見えない不安に押しつぶされそうな人々に安心と勇気を与えた。架空の物語のキャラクターでしかない「ドラえもん」の言葉が、どうして幅広い世代の心にこんなにも深く、大きく響いたのか。
その背景には、50年にわたってその時々の子どもたちの心をつかみ、その子どもたちが成長して大人になったあとも寄り添い続ける「ドラえもん」のたゆまぬアップデートの歴史があった。
『コロコロコミック』はドラえもんの申し子
ドラえもんの連載が始まったのは1970年1月号から。もともと「ドラえもん」は『小学一年生』から『小学六年生』まであった小学館の学年誌を中心に連載されていた。
「それをまとめて一挙掲載したものが読める、というのが1977年創刊当初の『コロコロ』のウリでした」
石井氏によれば、「創刊当時は『サンデー』や『マガジン』など少年誌の対象年齢が上がっていた頃で、児童漫画が漫画界の隅に追いやられている状況だった」のだという。
「そんな中で、常に児童に目を向けていた藤子・F・不二雄先生(以下F先生)に、『ドラえもん』を中心とした児童誌を作りたいとご相談したところ、感激して、ご理解をいただいたと聞いています」と石井氏は創刊の背景を教えてくれた。
つまり『コロコロコミック』はドラえもんありきで企画された、「ドラえもん」の申し子ともいうべき漫画誌だったのだ。石井氏が紹介してくれた「創刊号の表紙には『コロコロコミック』の題字よりも『ドラえもん』の文字の方が大きく書かれていたくらいです」というエピソードが、切っても切れない『コロコロコミック』と「ドラえもん」の強い関係を物語っている。
コロコロ発で生まれた映画原作としての「大長編ドラえもん」
しかし、逆にいうと、「ドラえもん」はもともと学年誌のものであり、『コロコロコミック』のオリジナル作品というわけではない。
「そこで『コロコロ』発のオリジナルの『ドラえもん』をということで、F先生が連載してくださったのが『大長編ドラえもん』でした」
学年誌の「ドラえもん」と「大長編ドラえもん」との違いは、前者が1話ごとに完結する読み切りの短編であるのに対して、後者はアニメ映画の原作として描かれる文字通りの「大長編」であることだ。
「大長編ドラえもん」の最初の作品である「のび太の恐竜」は1980年1月〜3月号の3回に分けて連載された。その後、毎年1作のペースで掲載され、1996年に藤子・F・不二雄氏が絶筆した後も藤子プロが「大長編ドラえもん」の漫画制作を引き継ぎ、2004年掲載の「のび太のワンニャン時空伝」まで24作品が『コロコロコミック』誌上と映画の形で発表された。
「ドラえもん」に魅了された著名クリエイターたちも映画作りに参画
その後、映画版は2006年に声優陣や制作スタッフを刷新し、「のび太の恐竜」のリメイク版「のび太の恐竜2006」が公開された。以降は旧作のリメイクとオリジナルの新作を交えつつ現在に至るまで制作が続けられている。
「まず、『読者』である子どもたちが大好きなキャラクターであり、現役で連載されている『漫画家』たちも『ドラえもん』が大好きで『コロコロ』を目指した方が多い。そして僕たち『編集者』としても『ドラえもん』は児童漫画作りの1つの指針のようなものだと思っています。今でも『コロコロ』の表紙と背表紙には必ず『ドラえもん』の絵が入っています」
石井氏によると、ここ数年「ドラえもん」の映画の興行成績は右肩上がりだという。少子化が進む今の時代、児童向けの映画の興行成績が年々上がっていく背景にはどのような秘密があるのだろうか。
「親子2代どころか3代で観に行くご家庭も多いようです。親子で行っても大人は楽しめないタイプの児童向け映画もありますが、『ドラえもん』はファミリーで楽しめることを作り手が明確に意識しています。この辺りは、ディズニー映画と共通する感覚かもしれませんね」
また、2006年以降の映画はリメイクだけではなくオリジナルの新作も加わっている。そこへ著名なクリエイターたちが参加し、その時代その時代の新しい風が「ドラえもん」に吹き込まれているのだ。
例えば、「のび太の新魔界大冒険」(2007年)や「新・のび太の宇宙開拓史」(2009年)、「のび太の人魚大海戦」(2010年)の脚本は、小説『ホワイトアウト』の作者として知られる真保裕一氏が務めた。ミステリーやサスペンスの作家として知られる真保氏だが、もともとは「ドラえもん」のような夢あふれるアニメを作りたいとクリエイターを志し、「ドラえもん」のアニメを制作しているシンエイ動画で働いていたこともあった。
また、「のび太の宝島」(2018年)の脚本はヒットメイカーの川村元気氏が、2019年公開の「のび太の月面探査記」は本屋大賞・直木賞受賞作家の辻村深月さんがそれぞれ脚本を手がけ、話題になった。
「『ドラえもん』というタイトルは、著名なクリエイターの方にとっても「参加したくなる」作品なのだと思います。F先生が亡くなられて以降も『ドラえもん』は愛のある素晴らしいスタッフが参加することによって、良い作品が出来上がり、ファミリーで観に行くお客さんが増える、そういう良いサイクルが徐々に確立されているように感じます」(石井氏)
キャラクタービジネスへの進出が「子どもの頃に好きだった」人たちとの接点に
『コロコロ』誌上以外でも、すでに発表された作品を新たな切り口で集めたコンピレーション作品も展開している。
昨年11月には、各学年誌などに掲載されたそれぞれの「ドラえもん」第1話を集めた『ドラえもん0巻』を出版、そして連載開始から50周年となる2020年を控えた昨年末には『ドラえもんまんがセレクション ドラえもん50周年!スペシャル』が発売され、老若男女に読まれ、大ヒット中とのことだ。
さらに「ドラえもん」は漫画・アニメの枠を飛び越え、キャラクタービジネスとして幅広く展開されている。
キャラクタービジネスは、主に商品化権を基盤にしたグッズなどの商品展開と、版権を用いた映画・CMなどへの展開に分けられる。
グッズ展開に当たっては、「子どもっぽい」と思われないように若干のキャラクターデザイン変更を施し、今やドラえもんのグッズは女性を中心に「大人も持っていてよいもの」になった。
サンリオから出ている「I’m Doraemon」(アイムドラえもん)シリーズのグッズは、文具やアクセサリー、日用品など商品ラインアップも幅広く、ECで販売するほか期間限定のポップアップストアが全国各地に登場するなどして大変な好評を博している。「ドラえもんグッズは国内だけでなく、アジア圏を中心に海外需要もあります」と石井氏は話す。
「もちろん最近の『ドラえもん』が大人のほうばかり向いているわけではなく、『コロコロ』の読者アンケートでは『ドラえもん』は普段観ているアニメの中では相当上位に入ります。“現役の”子どもたちに変わらず愛してもらえるよう児童漫画としての軸はぶれさせずに、その子たちの親をはじめとする大人たちにも親しみを持ってもらえるよう、少しずつブランドを拡張してきたからこそ今があるのではないでしょうか」
「ドラえもん」というブランドは企業にも影響を与える
キャラクタービジネスのもう1つの側面、版権ビジネスのほうでも「ドラえもん」は引っ張りだこである。
例えば、「ドラえもん」はさまざまな企業CMに登場している。少し前のものだが、2011年に放映されたトヨタ自動車のCMを覚えているだろうか。「ドラえもんを実写化」したという触れ込みのCMに、フランスの俳優のジャン・レノがドラえもんに扮して登場、その意外性とシュールさが大きな反響を巻き起こした。
最近では、住友ゴムのタイヤブランド「ダンロップ」のCMで、3DCGのドラえもんが福山雅治と共演しているほか、ソフトバンクの第5世代移動通信システム(5G)のブランド「SoftBank 5G」のCMで再び実写化され、今度はブルース・ウィリスがドラえもん役で登場し、“白戸家”の面々と共演した。
それ以外にもこれまでさまざまな企業CMに「ドラえもん」が登場した実績があるほか、キャンペーングッズに「ドラえもん」が起用された例も数多い。
またCMだけでなく、2014年には米国版アニメ「Doraemon」が制作され、ディズニーXDで放送された。これは、日本で放映されたアニメを翻訳しただけのものではなく、キャラクターはそのままに、舞台や登場人物の言動に米国向けの文化や習慣を反映させたローカライズ版だ。その後この米国版「Doraemon」は2016年に日本へ逆上陸し、ディズニーチャンネルで放映され話題となった。
ドラえもんはいつだって「未来から来て見守ってくれる」
今年2020年は、連載開始から50周年となるドラえもんにとってのメモリヤルイヤーだ。これに合わせて、「大長編ドラえもん」の初回作「のび太の恐竜」と同じ恐竜をテーマにした『ドラえもん のび太と新恐竜』が制作された。本来は3月には公開されているはずだったが、新型コロナウイルスの影響で公開は8月7日へと延期された。この新作映画にも、幅広いファンを魅了するためのさまざまな工夫がなされているのだという。
「今回は、前々作に続いて再び川村元気さんが脚本を書かれました。また、新しい学説を反映した恐竜像になっているのもポイントです。というのも、F先生も非常に恐竜がお好きで。実は大長編の『のび太の恐竜』は新説が出たことにより、最新学説に合わせて恐竜の絵を変えたこともあります。今作では、時代に合わせたアップデートがされており、そういう面でも見どころが多くちりばめられていると思います」
さらに今年は、山崎貴監督による3DCGアニメ映画の続編「STAND BY ME ドラえもん2」も公開を控えている。こちらも当初は8月に公開予定だったが、新型コロナウイルスの影響で公開日未定で延期となっている。
「前作は『ドラえもんを3DCGで?どうなるのかな』と観る前は思いましたが、良い意味で驚かされ、ドラえもんのまた新たな世界を見せてくれた作品でした。ドラえもんというと「定番」のイメージが強いですが、こうして振り返ってみると常に新しい試みをしてきた作品であり、だからこそ飽きられずにずっと愛され続けているのかなと思います」
さて、ドラえもんは未来の“何年”から来たのか、覚えている人はいるだろうか。正解は、2123年。2020年の今から1世紀以上先の話だ。その意味で、今を生きている誰から見てもドラえもんは遠い未来の存在だ。そして、今を生きるのび太=私たちを、いつも未来のひみつ道具で助けてくれたり、言葉で励ましてくれたりしながら見守ってくれる。
作者の藤子・F・不二雄氏がそこまで意識したということはないだろうが、その「設定」こそがストーリーを一人一人のナラティブに変え、「だいじょうぶ。未来は元気だよ。」というメッセージを多くの人の心に響かせたのだろう。
取材:飯田一史
文・編集:畑邊康浩