コロナ危機は「働き方」転換期
昨今、新型コロナウイルスの感染防止による外出自粛の影響で、テイクアウトやデリバリーの需要が増加している。実際に街中でも、Uber Eatsのロゴ入りカバンを背負った人が、自転車を漕いで各家庭に食事を配達する姿を多く見かけるようになった。Uber Eatsの契約社数は2月末時点では17,000店舗だったものが、3月末には20,000店舗を超えるなど、店舗からの需要は右肩上がり。それに伴って配達員の数も急増している。
彼らのような「単発・短期」での仕事を請け負う「ギグワーク」をする人を「ギグワーカー」と呼ぶが、最近はこうしたワードも徐々にメジャーなものになりつつある。
スキマバイトアプリを運営するタイミーが2020年5月に実施した、アプリユーザー対象のアンケート調査内「直近のアルバイトに関する考え方」を問う質問に対して、「他の働き先でもいいのでアルバイトをしたい」と回答した人は、全体の90%にものぼった。
コロナ禍ということで外出を控えたい人が多いのでは、という予想に反して、アルバイト需要の高まりを表した本結果は、失業者に対する政府の対応の遅れや、全員が企業から満足な補償を受けられているわけではない現状を物語っている。
同時に、未曾有の事態で多くの人が失業している現状から、ひとつの会社で働き、ひとつの会社から収入を得る、というこれまで主流だった働き方に対して、疑念を抱き始めた人も多いのではないだろうか。
「コロナ危機」と称される今回の出来事は、世界史のなかでも大きな節目と捉えられるが、先述した「ギグワーク」という働き方がポピュラーなものになる最大の転換点とも捉えられるのではないだろうか。
そこで今回は、ともすればマクロな視点で利点が語られがちなギグワークが、労働者にもたらす真の価値とは何かを話そうと思う。
これまで語られてきたギグワークの利点
徐々に浸透しつつあるギグワークは、そもそもなぜ市場に必要とされ始めたのか。
現在、米国では5千万人、日本でも1千万人を超す人たちが副業を含めたギグワークに従事していると言われる。背景としてよく語られるのは、少子高齢化に伴う労働人口の減少だ。短時間でも働けるギグワーカーが増えれば、足りない分の労働力を補えるという観点から、「雇用関係によらない働き方」として政府主導で検討が進められている。事業者としてもスポット的な人手不足の解消のために、ギグワークの仕組みの導入は非常に有効だ。
一方で、働き手における利点としては、時間に縛られない自由で柔軟な働き方を可能にする点がよく挙げられる。だが、ぼくは働き手にとってのギグワークの有用性はこれにとどまらないと考えている。
人生経験としてのギグワーク
ぼくが考える働き手にとってのギグワークの有用性を語るうえで、欠かせない取り組みがある。
コロナの影響を受けて休業せざるを得なかった飲食店の従業員の方が、農業の現場で働いた事例だ。現在、海外からの技能実習生の受入が困難になり、人手不足に陥っている農家が数多く存在している。飲食店の休業期間を活用し、こうした農家さんへお手伝いに行くことで、生産現場の大変さを身に染みて実感することができる。
また、野菜がどのようにして育てられどうやって調理台までたどり着くのか。普段調理している食材のルーツをたどることでより深い理解のもとでの調理が可能になるし、オーナー自身の農家体験のエピソードを交えながらお客さんに料理を提供できれば、こんな素敵なことはないだろう。できあがった料理を頂くお客さんにとっても、オーナーの口から聞くそうしたエピソードは、究極の「生産者マーク」となるに違いない。
この事例を通してぼくが伝えたかったことは、ギグワークは単なる「新しい働き方」ではなく、働いた経験が人生の糧となり、就業時間そのものが意味を持つような働き方である、ということだ。
自分自身の豊かさに繫がるギグワーク
あらゆる職場で、さまざまな経験を得られるが、ITテクノロジーを用いれば「より手軽に」これを実現することが可能になる。職場と働き手のマッチングをスマートフォンの中だけで完了できるからこそ、ギグワークはここまで発展してきた。
ぼく自身、学生時代は(いまも現役の学生ですが)あらゆるアルバイトに従事していた。
ある食品メーカーの工場で働いたときには、普段、何気なく口に運んでいる食品がこれほど多くの工程を経て出来上がっていたのか、と非常に感心した覚えがある。
日々、自分の栄養としてとりこんでいる食品は、それぞれ誰かの人の手によって生み出され、消費者に提供されているのだ、と深く噛みしめる良い機会になった。
ひとつの職場で働き続けるというこれまでの「当たり前」が崩れ、ギグワークが盛んになれば、人生における経験の幅は広がり、より豊かな時間の使い方を選択する余地が現れるだろう。
文:小川嶺