PVのような基調講演で発表されたApple最新情報
Appleは毎年開催している世界開発者会議「WWDC(Worldwide Developers Conference)」を(米国太平洋時間)6月22日から26日までオンラインで開催した。初日には恒例のスペシャルイベントとして、CEOのティム・クック氏らが登壇する基調講演(キーノート)がライブで開催されたが、内容はライブではなくプロモーションビデオのように作り込まれた動画が流された。
主な発表内容は、iPhone(iOS)とiPad(iPadOS)、Apple Watch(watchOS)、Apple TV(tvOS)、そしてMac(macOS)という自社製品のOS全てをアップデートするというもの。ハードウェアの発表はなかったが、Macに搭載されるCPUが現在のIntel製からオリジナルのApple Silicon(Arm系)に変更されるという開発者にとっては重要な発表があった。
移行期間を設けるため最初の製品が発売されるのは年末ごろまでとしているが、先行して開発者には新しい macOS 11こと「macOS Big Sur」とApple Siliconを搭載した開発者用マシン(Mac mini)を提供するプログラム(Quick Start Program)が提供されることが、大きな話題になっている。
伝説のスティーブ・ジョブズのキーノート
AppleがWWDCを開催するようになったのは1990年からで今年で31年目を迎える。
Apple製品の販売関係者やソフトウェアを開発するデベロッパー向けにOSや製品に関わる非公開情報を提供し、Appleスタッフがハンズオン形式でアドバイスを行うというスタイルはいまも同じで、期間中は100以上のテクニカルなセッションが開催される。
参加費は有料だが参加期間中の飲食やイベント代などの他に、デベロッパー登録や開発ツール、オリジナルのAppleグッズも含まれている。参加者はNDA(非開示契約)を結ぶ必要があるため内容は基本的に非公開だが、初日の基調講演だけは一般やメディアに公開される。
専門的な技術寄りの内容が多いWWDCの基調講演が注目されるようになったのは、1997年にAppleのCEOに復帰した故スティーブ・ジョブズ氏が、翌年のWWDCで初めて基調講演を行ってからである。
まるで舞台演劇のように新製品や新機能を発表し、参加者を引き込む独特のプレゼンテーションスタイルが話題になり、2009年まで毎年1月に開催されていた「Mac World」という展示会イベントの基調講演とあわせて業界以外へも広くAppleの存在感を高め、Appleのファンを増やすきっかけになった。
日本では時差の関係で深夜から早朝の時間帯の開催になるにもかかわらず、熱心なファンの間では同時間に現地のメディアがリアルタイムで流す映像やブログを追いかけるのが、定例イベントになっていた。
そして2008年のWWDCではiPhone 3Gと同時にApp Storeが発表され、デベロッパーがアプリで一獲千金が狙える市場が形成されたことで、WWDCそのものが注目を集めるようになった。Appleの株価にも大きな影響を与えるため、米国メディアでは以前からニュースでは取り上げられていたが、開催前から何が発表されるかで噂サイトが盛り上がり、一般メディアもが競うように取材合戦をしている。
参加者向けのチケットは発売直後に売り切れてしまい、2014年から抽選制になり、セッションの一部もオンラインで公開されるようになった。ちなみに2019年の参加費は1,599ドル(約18万円)で、世界86か国から5,000人以上が会場となる米国カリフォルニア州サンノゼに集まった。今年はコロナ禍の影響による初めてのオンラインで開催ということで、セッションは全て無料で公開されている。
Appleはなぜ開発者向けのイベントが必要なのか
世界にいる開発者向けに情報を発信するだけなら、リアルなイベントよりオンラインのほうが参加者を増やせるし、コストも抑えられる。非公開情報もクローズ形式で公開すればいいだけだ。
だが、開発者向けイベントには情報発信だけでなく、コミュニティを育ててファンを増やすというもう一つの大きな目的がある。IT製品は魅力的なハードウェアやOSを開発しても、そこで動く魅力的なアプリやソフトウェアが無ければ売れないからだ。有名ゲストが参加するパーティーイベントや本社ツアー、社内ストアでのショッピングタイムも開発者会議のプログラムでは重要な要素なのだ。
現在はWWDC以外にも多くのIT企業が開発者向けイベントを開催している。メジャーなところではMicrosoft Build、Google I/O、Facebook Developer Conference F8、AWS Summit(Amazon)などがあり、AdobeやSalesforce、GitHubといったサービスも自社のファンを増やすために開発パートナーやユーザー向けにイベントを開催している。
しかし、こうしたリアルならではの集まりを楽しむイベントはコロナ禍で大きく変化しようとしている。Microsoft Buildは5月19,20日にオンラインで開催されたが、GoogleとFacebookは今年の開催そのものを断念した。日本マイクロソフトが開催する「de:code」は5月27,28日に予定していたプログラムをオンラインに切り替え、6月17日から7月17日まで開催期間を大幅に延長して無料で公開(登録が必要)している。
オンライン開催で見えたAppleの課題
WWDCは参加者が制限されるため今回のようにオンラインに切り替えてもあまり違和感が無いと思っていたが、実際には違った。
無観客ライブ形式ではなく、あらかじめ完成された動画を公開するスタイルにしたせいか、まるで商品広告を見せられているようでいつものワクワク感がほとんど感じられなかったのだ。それは著者が以前のスタイルを見慣れているせいもあるかもしれないが、お笑いならともかく製品発表で来場者の拍手や笑いが無いことが、これほど発表内容の魅力を減らしてしまうのかと驚いたほどだ。
一方で、オンライン開催でもできるだけリアル感を出そうとしていたのが日本マイクロソフト「de:code」だ。視聴したいセッションを選ぶと2Dと3Dが選べるようになっていて、3Dを選ぶとさらに複数あるアバターをチョイスしてバーチャル会場の正面に浮かんでいる画面でセッションを見られるようにしている。他の参加者のアバターも見えるが、バーチャルSNSのクラスターのように会話することはできない。セッションの動画は自宅かオフィスで撮影されたものなので、リモート会議かウェビナーに参加しているような印象がある。
リモート会議やウェビナーが当たり前になったいまでは、de:codeの配信スタイルは多くの人たちにとって違和感が無く、これから標準化するかもしれない。さらに新しいバーチャルイベントの運営方法も登場するだろうが、VRやARを使うようになるのはもう少し先のことだろう。そして、美しく完成度の高い動画を配信するスタイルを選択したAppleが、今後も同様の方法を選ぶのか。9月に開催されるであろう新しいiPhoneをはじめとするメディア向け発表会がどうするのか、いまから気になるところだ。
文:野々下裕子