全世界に急拡大したCOVID-19。その終息はいまだみえないが、感染拡大の抑制にある程度成功した国同士では、域内の移動を自由化する相互観光促進イニシアチブ「travel bubble(トラベルバブル)」が検討されはじめている。バブル内に住む人々は、お互いの国を厳しい検疫なしに行き来できるようになるため、パンデミックで危機的な状況に陥っている観光産業を再開させる最初の一歩となることが期待されているのだ。
オーストラリアとニュージーランド間で「トランスタスマン・バブル」が計画されているほか、中国は香港・台湾・韓国と、イスラエルはギリシャ・キプロスと、英国はフランスと、トラベルバブルの検討を開始している。
そんな中、エストニア、リトアニア、ラトビアのバルト三国間では、「バルティックバブル」が5月15日から実施された。欧州初となるトラベルバブルの導入に踏み切った背景には、この3国が共通してCOVID-19の感染拡大をある程度コントロールできていたことがある。
エストニアなどバルト3国は、91年のソ連からの独立後、初の非常事態となったパンデミックにどう対峙し、トラベルバブルの形成へと至ったのだろうか。
最悪のシナリオを食い止めたバルト3国
バルト3国は人口比の死者数を、イギリスやイタリアの約10分の1以下と、欧州ではかなり少ない値に抑えており、このところ新規感染者数もほぼ一桁台を推移、外出規制が大幅に緩められつつある。
筆者の住むエストニアでも、当局は「最悪のシナリオは食い止められた」とし、各所に配置された手指消毒薬と、ソーシャルディスタンシングを呼びかけるスティッカーをのぞけば、街の様子はほぼパンデミック前のように戻っている。
人口密度が高い上に、厳しい制限がなされなかったにもかかわらず、日本でさほど感染が拡大しなかった理由に議論があるように、バルト3国の感染制御が比較的うまくいった理由を説明することは難しい。
迅速な国境閉鎖と厳格なロックダウンを行い、死者数と感染者数を世界トップクラスに抑えこんだニュージランドは、いまではCovid19対策のひとつのモデルケースのように扱われているが、ニュージーランドが対策を取りはじめた二月初頭、バルト三国の対応はのんびりしたものだった。
2月3日にはすでに外国人の入国を制限していたニュージーランドに対し、そのころエストニアでは「新型コロナは風邪のようなもの」「人口密度が高いアジアの病気」、そんな言葉が市民の間だけでなく、政治家や専門家からでさえ聞かれた。
その後、感染者の増加が顕著になり、イタリアやフランスの悲惨な状況が報道され始めると、リトアニアで2月26日、エストニアとラトビアでは3月12日に非常事態が宣言された。エストニアでは続いて17日に外国人の入国が原則禁止されたものの、その後も経路不明の感染は増え続けた。
しかし、エストニアでは、オンライン学習への全面移行やイベントの延期こそなされたものの、基本的に厳格なロックダウンは実行されず、外出の自粛とソーシャルディスタンシングの義務づけ、在宅勤務の推奨、マスク着用の推奨といった緩やかな対応にとどまった。自粛を後押しする手厚い補償もなく、飲食店もモール内をのぞいて、営業禁止にはならなかった。
そんなエストニアをはじめとするバルト3国で、なぜ、イタリアやイギリス、フランスのような感染の急拡大と死者数の急増が避けられたのかはわからない。人口密度の低さを理由とする報道もあれば、広範囲かつ標的を絞った検査の迅速な実施が奏功したとする専門家もいる。
エストニアに関して言えば、2月の楽観ムードから一転、非常事態を宣言した直後からは、様々な対策が矢継ぎ早に取られたことに、安心感を感じたのを覚えている。
まず、検査・医療体制の準備のスピードが非常に早かった。政府の専門家チームの医師の指揮のもと、国内の病院と救急隊、検査機関の受け入れ態勢の準備、続いて軍の協力による臨時病院テント設置や、県をまたいだ患者の移送が迅速に行われた。
また、個別の感染対策の動きも早かった。イギリスやアメリカでは公共交通機関スタッフが複数感染し亡くなったが、エストニアでは、前方ドアの使用禁止、現金使用の禁止、続いて乗客対応を減らすため、首都タリンにおける公共交通の全面無料化がすぐに行われた。
運営が続けられた保育園でも、原則終日屋外保育への移行、親の出迎え時差実施と屋内への立ち入り禁止、少しでも風邪の症状がある園児の自宅待機の徹底がなされた。
ほかにも、緊急対策の緩和を希望した人は7%にすぎなかったことなど、自粛に国民の協力が広く得られていた点も寄与したのかもしれない。
希望の光明、バルティックバブルの導入
こうして感染拡大が落ち着きを見せた頃、エストニアでは公衆衛生、国境管理、経済対策を論点として、非常事態のEXIT戦略の議論が始まった。
世界各国と同じように、バルト三国にとっても経済対策は待ったなしの状態だ。バルト3国では今年、経済が8%縮小すると予想されており、エストニアに関しては、パンデミックにより、この先2年間で歳入が35億ユーロ減少する可能性があるとしている。エストニア財務省は、昨秋のシナリオでは2.3%の経済成長を予測していたが、これは8%の減少に調整されている。
また、4月半ばの調査ではエストニア人口の58%が、パンデミックの影響で収入が著しく減少していると報告しており、3月13日以降、13,000人が失業給付を申請している。そのうち約4,000人はこれまでに再就職を果たしているものの、国民の経済対策に関する関心は高まるばかりだ。
そんなエストニアにとって、観光業はGDPの15.2%と非常に重要な産業であり、人口約130万人の小国ゆえ、特にインバウンドの重要性は高い。その意味で、観光業の再開への第一歩といえるバルティックバブルには、大きな期待が寄せられている。
このバルティックバブルのおかげで、地続きの隣国であるバルト3国の住民は、週末に気軽に互いの国を訪れることができるようになり、リトアニア首相は「バルティックバブルは、ビジネスを再開するためのチャンスであり、人生が正常に戻ってきていることを示す人々のための希望の光明である 」との声明を出した。
最近では、エストニアの観光地、タリン旧市街を訪れると、テーブル間隔をあけつつも、客で賑わうレストランのテラス席が目立つようになっている。
バブル内での旅行を盛り上げようとする取り組みもある。バルト3国は地続きの隣国ゆえ、世界遺産のような主要な観光地はすでに訪問済みという人も多い。そんな点を考慮して、エストニアの現地メディアは「バルト3国の15のユニークなスポット」といった、リピーター向けの観光情報を発信するなどしている。
トラベルバブルの実施から約1ヶ月弱、現在では、エストニアは欧州各国の感染拡大状況を毎週評価し、独自の基準を満たした国からは、症状がないかぎり2週間の隔離なしでの入国を認めている。
こうして、しだいに人の行き来が活発化している欧州。第二波の到来は懸念されているものの、パンデミックが長期化する中で、今後、経済対策と公衆衛生の両立をどのように図っていくか、トラベルバブルをはじめとする各国の対策に注目が集まっている。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)