パンデミック後加速?「ビヨンド・シリコンバレー」の流れ
テックスタートアップの聖地といえば「シリコンバレー」。グーグルやフェイスブックを生み出した、そのエコシステムやマインドセットは、世界中の起業家や投資家のお手本になっている。その動向は、ビジネスパーソンの間でも注目度が高く、日本でも「シリコンバレー式の〇〇」というキャッチコピーは、頻繁に使われる常套句だ。
また世界各地には様々なスタートアップクラスターが存在し、「次のシリコンバレー」を目指し、しのぎを削っているともいわれている。
しかし、世界中の経済・社会の様々な側面を大きく変えた新型コロナ・パンデミックをきっかけに、この「スタートアップといえばシリコンバレー」というイメージも大きく変わる可能性が高まっている。
ユニコーンと呼ばれる高成長スタートアップは、シリコンバレー以外の場所で誕生するケースが増えており、パンデミックによる経済・社会変化をきっかけに、その流れが強まることが予想されるのだ。
この「新ビヨンド・シリコンバレー」論を唱えるのが、世界中のテックスタートアップに投資をするベンチャーキャピタリストのアレクサンドル・ラザロー氏。
同氏が2020年4月にリリースした著書「Out-Innovate: How Global Entrepreneurs–from Delhi to Detroit–Are Rewriting the Rules of Silicon Valley」は、スタートアップの世界が今後どう変わっていくのかを指し示すビジネス書として、英語圏のニュース/ビジネスメディアの間で大きな話題となっている。
その主旨はタイトルが示す通り「世界各地の起業家がシリコンバレーのスタートアップ・ルールを書き換える」というのもの。
ラザロー氏は、シリコンバレー以外で醸成されるスタートアップ都市/コミュニティを「フロンティア」と呼んでいる。このフロンティアにおける、スタートアップがシリコンバレーとは異なったアプローチで、高成長を遂げるというのだ。
フロンティアとして挙げられる都市には、バンガロール、トロント、ナイロビ、ラゴス、サンパウロ、ジャカルタ、シカゴ、デトロイト、東京、モントリオール、ウィニペグなど、先進・新興国を含め様々な都市が含まれている。
フロンティアでは、どのようなスタートアップ・ルールが誕生しているのか。
まず成長に対するアプローチ。シリコンバレーのスタートアップは、前例となったユニコーン企業に追いつけ追い越せと、どのような犠牲を払ってでも成長を遂げる「growth-at-all-cost」というアプローチが主流。短期間で、ミニマムプロダクトを開発し、それをもとに資金調達し、シリコンバレーの豊富なテック人材を活用し、成長を加速させるというもの。
このプロセスにおいては、資金を使い切ってしまうということもよく起こるが、シリコンバレーではそれが許容されるという。これについてラザロー氏はハイリスクな「grow-or-die(成長か死か)」アプローチとも呼んでいる。
一方、フロンティアの起業家らは、シリコンバレーのような豊富なベンチャーキャピタルにアクセスできないため、起業当初から「sustainability(持続可能性)」と「resilience(回復力)」を念頭に、事業展開が求められる。外部資金ではなく、事業で得られた利益を投資にまわすなどの「バランス型アプローチ」が取られている。
米ユタ州の都市プロボで2002年に創業されたスタートアップQualtrics。ユタ州のベンチャーキャピタルが十分ではない環境下、事業利益を投資にまわし、高成長を遂げたスタートアップの1つとして紹介されている。
ラザロー氏の取材に対し、創業者らはQualtrics事業について、5年ではなく20年という長期スパンで考えていたと述べている。外部資金を入れなかったことで、投資家からのプレッシャーにさらされることなく、同社プロダクトの精緻化を時間をかけて行うことができたとのこと。2019年、同社はSAPに80億ドル(約8,560億円)で買収された。
月間迷い時間は500年分、住所のないケニアにデジタル住所をもたらすスタートアップ
「真の問題(real problem」」の解決を目指すというのもフロンティア・スタートアップの特徴だ。
ここでいう真の問題とは、人間が最低限の生活を営むために必要な「ベーシック・ヒューマンニーズ」が欠如した状態。この状態をテクノロジーで解消しようというスタートアップがフロンティアで増えている。
アフリカ・ケニアのOkHiは、住所がない場所にデジタル住所を付与するテックスタートアップだ。いわゆる先進国で当たり前となっている「住所」だが、アフリカなどの新興国では、住所を持たない人の方が多い。こうした人々は現在世界に40億人おり、2050年には80億人に達すると見込まれている。ラザロー氏によると、2014年時点ケニアでは住所を持つビルは全体の2%に満たなかったという。
住所がないことで、多くの時間や労力が損失する。また、多くの人々が社会サービスを受けられないことを意味する。たとえば、救急車のレスポンス時間。ケニアの首都ナイロビにおける救急車の平均レスポンス時間は2時間以上。一方、ニューヨークでは、平均6分10秒。
OkHiの創業者ティンボ氏は「Be Included」をミッションステートメントに、デジタル住所サービスを開始。GPS、写真、場所の詳細説明などを組み合わせ、住民にデジタル住所を付与。パートナー企業は、このデータベースにアクセスすることで、様々なサービスを提供することが可能となった。
たとえば、UberやJumia(アフリカEコマース大手)などが、OkHiのサービスを利用している。OkHiのウェブサイトによると、ケニアでは住所がないことで、住民が道に迷う月間総時間は、500年分に相当するという。
Rivigo、インドのロジスティクス市場に革新もたらすフロンティア・スタートアップ
インドのRivigoもフロンティア・スタートアップの代表例として取り上げられている。
Rivigoは、2014年に元マッキンゼーのコンサルタント、ディーパック・ガーグ氏らが創業したロジスティクス企業。「リレー方式」という独自の物流システムを導入、インドの物流を根底から変える革新スタートアップとして注目を集めている。
インドの物流は非効率。陸海の物流コストは、米国に比べ30〜70%コスト高になるといわれている。その経済損失は年間450億ドル(約4兆8,000億円)に上る。
インド物流の非効率・コスト高の要因の1つが、長距離トラック運転手の慢性的な不足。国土が広いインド、長距離トラック運転手は、数カ月間家に帰れないことがほとんど。こうした労働環境に加え、結婚が難しくなるなどの理由も加わり、トラック運転手を目指す人が極端に少ないのだという。
Rivigoは、運転時間が最大4~5時間に収まるようにトラックのリレーポイントを各地に設置。運転手Aが地元からそのポイントまでトラックを運転する。同ポイントで、そのトラックの運転を運転手Bに代わってもらい、運転手Aは、別のトラックで来た道を引き返す。この方法により、運転手たちは毎日家に帰宅できるようになった。
また、リレー方式により、24時間トラックを稼働させることも可能となり、物流効率が大幅に改善している。たとえば、インド北部のデリーと中西部のプネー。約1,400キロ離れており、その工程を運転手1人で担当する場合、70時間要する。しかし、Rivigoのリレー方式を活用すると24時間以内で運搬することが可能となるのだ。
インドの陸上ロジスティクス市場は1,500億ドル(約16兆円)。競合がほぼいないといわれるRivigo、2019年9月には評価額10億ドルを超え、インド8番目のユニコーン企業になったと報じられた。
ラザロー氏は、Rivigoのような高成長を遂げるフロンティア・スタートアップをユニコーンではなく「Camel(ラクダ)」と呼んでいる。ラクダは、おっとりしたイメージだが、必要なときは高速(時速65キロ)で走ることができ、砂漠の厳しい環境でもサバイバルできる姿が、フロンティア・スタートアップと重なるのだという。
パンデミック後、スタートアップの世界はどのように変わっていくのか。ラザロー氏が説くように、フロンティア・スタートアップがスタートアップのルールを形作っていくことになるのか、今後の動向が気になるところだ。
[文] 細谷元(Livit)