新型コロナウイルス感染症の感染拡大で社会に閉塞(へいそく)感が満ち、深刻な経済危機にある現在。しかし日本は、大災害に襲われながらもその都度立ち上がってきた。本シリーズでは、逆境に負けない日本企業の技術力やマインドを取り上げ、「コロナ後」のビジネスのヒントを探っていく。
新型コロナウイルス対策が進む中、私たちは、データとテクノロジーの持つ力を再認識させられている。例えば、2020年3月から5月にかけて、厚生労働省がLINEと連携して実施した「新型コロナウイルス対策のための全国健康調査」の分析データは感染対策に活用され、統計処理されたデータをもとに主要駅周辺における人の流れの推移が公開されている。データの活用はますます身近なものとなってきており、コロナ後のビジネスを考えるうえで役立つものとなるだろう。
こうしたデータ活用において、日本の代表的事例といえるのが、日々膨大なデータを収集・処理している気象業界だ。今回は、気象庁が事務局となって、気象データを活用した新ビジネス創出を目的として設立した「気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)」で、人材育成WG副座長を務める越智正昭氏にお話を伺い、コロナ後のデータビジネスについて考える。
1日1.6TBのデータを扱う気象情報はビッグデータの先駆者
越智氏は、気象ビジネスは「実はビッグデータ、IoT、AIのフロントランナーなのです」という。まずは、気象ビジネスのアウトラインについて伺った。
越智 「今、気象庁が1日に収集する気象観測データの量は、1.6テラバイトにも及びます。新聞1日分の情報をデジタル化すると約1メガバイトですから、新聞約5,000年分に相当する膨大なデータを、毎日、気象庁は収集・分析・処理しているのです。このビッグデータに加え、今ほどの精密さはありませんが、蓄積された過去のデータも利用できます。
民間気象情報会社は、これらの基礎データを元に、気象以外の各種情報を掛け合わせ、さまざまな業種のお客様に提供しています。そのプロセスでは、元となるビッグデータ、そのビッグデータを処理する各種のデジタル技術、そして近年ではAIを駆使し、付加価値の高い情報をつくり出しています」
例えば、越智氏が2018年まで社長を務めていた気象情報会社「ハレックス」が手掛けた事例として、次のようなものがあるという。
●首都圏の民間鉄道会社、京浜急行電鉄
京浜急行電鉄は、「鉄道事業者向け防災気象サービス」を導入。可視化された6時間先までの土砂災害の危険度予測を、保線業務に活用している。現在、京浜急行は、大雨による運行停止の判断を、詳細な降水量データを元に解析した危険度予測情報を活用して行っている。
●愛媛県東温市の農業生産法人
ハダカ麦は、穂に付いたまま十分に熟させた後、雨が降る直前に刈り取ることが望ましく、愛媛県でハダカ麦を作る生産農業法人は、5月の収穫時期の詳細な気象情報を求めていた。ハレックスの予測に基づき麦の刈り取り日時を決めたところ、収穫量は変わらず(つまり、要した手間は変わらないまま)収穫した麦の品質等級が上がったため、収入が3割近く増えた。
このような事例は、気象と関係性が強い業種における気象データの活用例であり、有効な活用法を想像しやすい。しかし、ハレックスが手掛けた中で、越智氏自身も驚いた事例があるという。
越智 「一番驚いたのは、株式会社ルグラン様と協同でつくり上げた『TNQL(テンキュール)』というファッション・リコメンドサービスです。これは、気象ビッグデータを分析・活用し、AIが天気や気温の変化に合わせ、ユーザー一人ひとりのその日のコーディネートをリコメンドしてくれるものです。
ルグランとハレックスの女性社員だけで10人の合同開発チームをつくり、気象ビッグデータを分析し、その日の気温・天気・降水量・風速・湿度・気温差などから算出される体感温度、ユーザーの嗜好などから、最適なコーディネートを提案する独自のアルゴリズムを、AIの技術の活用により構築しました」
——こうして、気象データというビッグデータが、企業が抱える課題の解決であったり、新しいビジネスの創出につながっていく。その意味で気象ビジネスは、ビッグデータ時代における「データ活用ビジネスの先駆者」といえるのだろう。
「インフォメーションの提供」から「インテリジェンスの提供」へ
では、この気象ビジネスの事例から、私たちは何を学び取ればよいのだろうか。越智氏は、「データ活用ビジネスが顧客に何を提供するのか」という視点が大事だと、次のように話す。
越智 「これからの気象ビジネスにおいて気象情報会社は、従来のような『気象データを処理した情報(インフォメーション)』だけでなく、『気象データに付加価値を付けるためのインテリジェンス』も提供していかなければなりません。その点は気象ビジネス以外の領域でも同じで、『インテリジェンスの提供』こそが、今後のデータ活用ビジネスの核心になると考えています。
『ICT』は『Information Communication Technology』の略ですが、データ活用ビジネスにおいては『Intelligence Collaboration Technology』と捉えることが大事です。
クライアントから売り上げなど課題となる対象のデータを提供してもらい、いくつかの仮説を立てた上で、各種気象データとの因果関係について分析、調査を行います。このときは、過去の気象データを使います」
そして、インテリジェンスを提供するデータ活用ビジネスを成り立たせるためには、「人材の育成」こそが重要だという。
越智 「かつてのハレックスは、気象データを活用してソリューションを提案し構築するまでの能力は持ち合わせていませんでした。
そこで、経験を積んだ気象予報士たちを営業職に配置転換し、お客様と一緒になっていろいろと試行錯誤させることで、気象データの分析ノウハウや活用ノウハウを習得させるようにするところから始めたのです。これはまさに、『ICT=Intelligence Collaboration Technology』とした例で、業務に関するお客様のインテリジェンスと、気象データ活用に関する気象予報士のインテリジェンスとをコラボレーション(連結)することにより、それまでにない新しい価値を創出しようとしたわけです。その変革が見事に結実したのが、前述のTNQLです。
これからのビッグデータを活用したビジネスに必要な人材は、そのデータが持つ意味や特性を熟知し、データを用いて課題解決・新サービス創出に結びつくソリューションの構築に寄与できる力量を持った人材。言い換えれば、元となるデータ・情報にクライアントの業務ノウハウを掛け合わせ、分析することのできる人材なのではないかと考えます。そこで、気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)でも気象データを分析し活用できる人材の育成を進めています。
こうした人材の育成には時間がかかりますが、データ活用ビジネスにとって、極めて重要なことだと認識しています」
データ×IT×AIで「しっかり守る、もっと儲ける」ビジネスを
確かに、越智氏の指摘するように、データを活用したビジネスの最終的なアウトプットは、クライアントに対するソリューションなのだろう。ソリューションを導き出してこそ、データを高付加価値化させたといえ、ビジネスの価値も上がるはずだ。
そこで考えなければならないのが、どのような方向性を以ってデータに付加価値を与え、ソリューションを導き出すべきなのか、ということだ。
越智 「ITに求められているビジネス上のニーズは、『無駄を省きたい』、『しっかり守りたい』、『もっと儲けたい』の3つです。このうち、『無駄を省きたい』は、日本の場合、昔から取り組まれていて、ほとんど限界にまできているように感じています。ですから、この先、無駄を省くという方向でITの活用を考えても、大きな成果は望めないでしょう。
一方で、リスク回避のための『しっかり守りたい』と、プロフィットの増大を目指す『もっと儲けたい』というニーズに対しては、開拓の余地が大きいビジネスだと思います。
この2つのニーズに応えるために有効な『近未来予測』データが公的に提供されているのが気象データです。気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)の会員数は飛躍的に伸びており、間もなく1,000社に迫ろうとしていますが、この背景には、『しっかり守りたい』『もっと儲けたい』へのニーズの変化に、多くの人が気づき始めていることがあると感じています。
気象データ以外のビッグデータでも、過去データ・AIの活用とそれに基づく近未来予測によって、解決策を導き出していくことが必要でしょう。つまり、ビッグデータとIoTとAIを組み合わせ、そこに人材を投入し、リスク回避につながるソリューション、プロフィット増大につながるコンサルタントを提供するモデルを構築できるかどうかが、データ活用ビジネスの将来を決めるのだといえます」
越智氏は「『無駄を省く』から、『しっかり守る』、『もっと儲ける』という日本のIT活用のニーズの変化は、『守り』の生産的革命から『攻め』の生産的革命へのパラダイムシフトだと捉えるべき」だと語る。ビッグデータが集積され、テクノロジーの進化によってその活用が容易になった今、さらにAIを掛け合わせることで、そこからどんなビジネスを生み出せるのか。変化が求められている現在(いま)、これからその答えが分かっていくだろう。