新型コロナウイルス感染症の感染拡大で社会に閉塞(へいそく)感が満ち、深刻な経済危機にある現在。しかし日本は、大災害に襲われながらもその都度立ち上がってきた。本シリーズでは、逆境に負けない日本企業の技術力やマインドを取り上げ、「コロナ後」のビジネスのヒントを探っていく。
多様な人材を活用して、市場ニーズやリスクへの対応力を高める「ダイバーシティ」の必要性が叫ばれながらも、導入が思うように進んでいない日本企業。
だが、新型コロナウイルスの影響で働き方が変化する中、企業存続のためにダイバーシティの導入はますます必要不可欠になっていくと、静岡県立大学の国保祥子准教授は指摘する。
今回は、経営学の立場から組織のダイバーシティを研究する国保氏に、日本における大きな問題の一つであるワーキングマザーの視点から、新型コロナウイルスにおける企業のパラダイムシフトや価値観の変化について伺った。
日本の問題は働き方を自由に選択できないこと
労働人口が減少する中、ダイバーシティの導入は日本経済を持続的に成長させる手段として必要性は認識されているが、なかなか進んでいない。そこには、日本に根付く古典的な考え方があると国保氏は語る。
国保 「日本の企業や組織の場合、ダイバーシティにおける主な課題は、性別ダイバーシティの問題です。日本では、家事・育児や介護などのケアの責任を負うのは女性、男性は仕事をするという古典的なジェンダー観が社会に深く根づいており、それを前提としたさまざまな仕組みができあがっています。そのために、そのジェンダー観とは異なる行動、例えば女性がもっと仕事がしたい、男性がもっと育児がしたいと思っても、構造的に難しくなっていることが多く、悩んでいる人が多いです。性別にとらわれない働き方の選択が難しいことが、日本の組織における問題のひとつです。
それは、子どもを育てながら働く『ワーキングマザー』に顕著に現れます。共働きで子どもを育てていると、残業や出張、転勤をはじめ、働く時間や場所の制約を受けます。一方で、会社としては、転勤や出張が業務に必要であれば当然任せたいと考えますから、制約のある人材は使いにくいという印象になります。これは、男女平等、女性活躍が叫ばれる中で企業の課題となっていました。育児をがんばりたい『ワーキングファーザー』が、職場ではそう言い出せないというのも同じ問題です」
コロナ後に参考にするべきワーキングマザーの働き方
社会に根付いたジェンダー観を変化させるのは簡単なことではない。しかし、新型コロナウイルスという外的要因によって、こうした状況に変化が起きているという。
国保 「外出自粛により、性別や世代に関係なく、在宅勤務を強いられることになりました。これまでは主にワーキングマザーが行なっていた制約のある働き方を、非常に多くの方が経験されたことでしょう。
ひとつのパラダイムシフトといえるこの事態に、早々に適応したのがワーキングマザーです。働く時間や場所の制約を受けながら、これまで働いてきた経験やノウハウがあるので、ある意味で当然の結果かもしれません。ワーキングマザーの多くは、『子どもが急に熱を出して出社できなくなったので、在宅勤務に切り替えざるを得なくなった』『自宅からオンラインで同僚とコミュニケーションをとりながら業務を進めざるをえなくなった』といった経験をこれまでたくさん積んできており、業務の進め方やITツールの工夫を重ねてきているのです。
企業でも、ワーキングマザーのために、在宅勤務や時短勤務などの制度、持ち出し用のパソコンなどの機器、有給を取りやすい環境を整えてきた企業は、今回の事態においても比較的スムーズに対応できたのではないでしょうか。ワーキングマザーから全社員へと適用範囲を広げるだけで対応できたからです。多様な働き方を導入していたことで、いざというときの対処ができる点こそ、ダイバーシティのメリットです。
一方、ダイバーシティの取り組みが遅れていた企業には混乱もあったでしょう。そうした企業は、組織の管理を洗練させバージョンアップする機会だととらえ、多様な働き方の導入を検討してみてはいかがでしょうか。今後は採用においても、リモートワークをはじめとする働き方の多様性がない企業は、優秀な学生や転職者に選ばれにくくなるでしょう。中長期的な視点から、この事態を考えることが必要です」
指示を言語化して明確に伝えることがリモートワークには必要
日本におけるダイバーシティ問題の一つであったワーキングマザーの働き方は、コロナ後の働き方を考えるうえでひとつのモデルだといえるだろう。さらにワーキングマザーの視点から、これからの企業が抱えるであろう問題点も見いだせるという。
国保 「在宅勤務によって、オンラインの業務コミュニケーションで齟齬が多発したり、組織内の関係性が悪化したり、ITリテラシーの低い社員がパフォーマンスを出せなくなったりした企業もあるのではないでしょうか。
こうした問題はリモートワークの限界というより、リモートワークによって組織がもともと抱えている課題があぶり出されている現象です。そもそも、指示は明確かつ論理的に伝えなければなりませんし、信頼関係を醸成するための仕組みも、意図してつくらなくてはなりません。業務上で必要なツールを駆使して、タスクや進捗を可視化して共有することもチームワークには必要でしょう。こうした基本的なことができていない組織は、職場に集まって働いているときにはなんとなく回っていても、情報量が少なくなるリモートワークではうまく回りません。
一方で、普段からきちんとコミュニケーションをとり、部下の様子を把握している上司は、リモートワークで困ることはないでしょう。育児中の部下を上手に活躍させている上司には、こうした方がたくさんいらっしゃいます。
これからは、より管理職の能力が試されているといっても過言ではなさそうです。一部のリモートワークができない職種をのぞき、通常業務の中にリモートワークをどのように組み込んでいくかといったことを、今後は考えなければなりません。新型コロナウイルスの感染問題が収束しても、以前の働き方に戻るとは考えられず、リモートワークでできることを、あえてオフィスワークでとはならないでしょう。ですから、企業も人もよりスキルを高めて適応することが求められます」
不安な状況で力を発揮する女性的な視点
多様な働き方を推進するうえで、指示を明確に伝えるコミュニケーションが必要だということは、現在リモートワークを行う多くの読者が実感していることだろう。このコミュニケーションの問題は働き方の変化により生まれたものだが、国保氏はもうひとつ、新型コロナウイルスの問題で評価された、女性が得意とするコミュニケーションスタイルにも注目する。
国保 「新型コロナウイルスの感染問題では、組織の管理やリーダーシップのあり方の点でも、興味深い現象がありました。感染問題にうまく対処したと、国際的に評価されているニュージーランドのアーダーン首相のコミュニケーションです。
感染の拡大を抑えることができたのは、もちろんさまざまな対策や対応が結びついた結果ですが、彼女のロジカルかつエモーショナルなコミュニケーションは国民に高く支持されたと思います。ロジックだけではなく、『皆さんが大変なことはよくわかっています』と共感を寄せるコミュニケーションは女性が比較的得意とするもので、新型コロナウイルスの感染問題のように先が見えず、誰もが不安に思っているときには力を発揮します。対照的なのは、トランプ大統領のような『オレを信じてついてこい』というマッチョなコミュニケーションですね。
この共感をベースにしたエモーショナルなコミュニケーションは、多くの女性が社会的な環境の中で身につけた後天的なスキルです。今後、共感性がより重要となる状況が想定されますので、男女ともに共感力を見直すべきときが来ているのではないでしょうか」
ダイバーシティとはリスクに備える選択肢
新型コロナウイルス感染症の感染拡大は、これまで当たり前と思われた業務の進め方や、コミュニケーションのあり方について、変更や見直しを迫るものとなった。感染終息後を見据えて、ビジネスパーソンは何に留意して働くべきだろうか。
国保 「基本的なことですが、視野を広く持つことと、問題の構造を考える習慣を身につけることが必要です。視野を広くしてアンテナを高く張れば、会社の常識は世の中の常識ではないこと、ダイバーシティが一部の女性のためのものではなく、これからの社会に必要なものであることが理解できるのではないでしょうか。また、リモートワークがうまく進まないという問題の構造を考えると、コミュニケーション不足という本質にたどり着くに違いありません。
新型コロナウイルスの感染問題は、ダイバーシティの価値を教えてくれました。ダイバーシティとは選択肢です。世の中がすべて予測通りに動くのであれば、ダイバーシティは必要ないかもしれません。しかし、新型コロナウイルスの感染問題のように、予期せぬことは起きるものです。それに備えて選択肢を残さなければなりません。リモートワークかオフィスワークか、男性か女性ではなく、将来のためには両方が必要なのです。
選択肢を用意することは当然のことながらコストを必要とします。しかし、選択肢を持たないというリスクの方が、組織の存続にとって大きいことを理解するべきタイミングではないかと思います」
制度や環境を整えていた企業が、コロナ後の働き方の変化にスムーズに対応できたように、ダイバーシティを取り入れ多様な選択肢を持つことは、予期せぬリスクへ対処する手段となる。また、多様な働き方を整えることで多様な人材が集まり、多様な視点で企業の競争力を強化していくことも期待できる。多くの企業がリモートワークを経験したいまこそ改革を進め、現在の逆風が「日本のダイバーシティを推進したきっかけになった」と評価される未来へとつなげたい。