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近年「次のフロンティア」として注目を集めるアフリカだが、依然「難民」や「内紛」といったイメージが強く、なかなかビジネス機会の場として実感することは難しいかもしれない。
しかし、多くのアフリカ諸国は日本人の想像以上のスピードで発展を遂げており、イメージと現実の乖離は大きくなるばかりだ。
その最たる例として挙げられるのがルワンダだろう。
「ルワンダ」と聞いてまずどのようなイメージが思い浮かぶだろうか。おそらく「虐殺」や「難民」「内紛」といった言葉が出てくるのではないだろうか。
それもそのはず。同国で80万〜100万人ともいわれる人々が殺害された「ルワンダ大虐殺」、1994年とほんの20数年前に起こった悲劇。当時ニュースでこのことが大々的に報じられたため、このイメージが定着したといえる。
しかし、その後の経過や同国の発展について報じられることは少なく、人々のルワンダに対するイメージはアップデートされないまま今に至っている。
一方、ルワンダは2000年ポール・カガメ政権発足後、安定した高度成長を達成し、いまでは「アフリカのシンガポール」と呼ばれるほどに大きな変貌を遂げている。自然資産、街の清潔度、安全性、ビジネスのしやすさ、ハイテク人材輩出など多くの点でアフリカ一と目されるほどだ。また、アフリカ初の国産スマホが登場するなど、アフリカのテックハブとして進化しようとしている。
ルワンダ虐殺で国の経済・社会基盤が壊滅状態となったが、たった20数年でどのようにして「アフリカのシンガポール」と呼ばれるまでに至ったのか。その軌跡とテクノロジーをめぐる最新動向に迫ってみたい。
生物多様性の宝庫ルワンダ国立公園
欧米列強に翻弄されたルワンダの過去
東アフリカに位置するルワンダ。西にコンゴ、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する内陸国だ。
人口は約1,200万人。国土面積は2万6,000平方キロメートル。台湾(3万6,000平方キロ)の3分の2ほどの広さで、人口密度はアフリカでもっとも高い。
もともとこの地域には、農耕を生業とするフツと遊牧を生業とするツチの2つの民族が暮らしていた。両者の境界は曖昧だったといわれている。
しかし第一次世界大戦以降ベルギーによる植民地政策によって、少数派だったツチ族が中間支配層に仕立て上げられ、またフツ族に対する差別的な扱いが広がったことで、ツチとフツの対立が先鋭化していくことになる。植民地政策において、少数派の民族を中間支配層に据え、その国を間接的に支配するのは欧米列強の常套手段だった。
人為的につくられた対立構造よって、特に被支配層だったフツ族のツチ族に対する嫌悪は増幅し、1994年ついに大量虐殺という事態に発展してしまう。100万人近い人が殺害され、数百万人の難民が隣国に流れ込んだ。
この事態は、ツチ族によって組織されたルワンダ愛国戦線が全土を完全制圧し、フツのパストゥール・ビジムング氏を大統領、ツチのポール・カガメ氏を副大統領とする新政権を発足させたことで一旦の収束となった。
ビニール袋禁止に観光・ビジネス誘致、シンガポールを彷彿とさせるカガメ大統領の政策
2000年、ビジムング大統領が辞任。それにともないカガメ氏が大統領に就任した。このカガメ大統領こそ、ルワンダが「アフリカのシンガポール」と呼ばれるようになった最大の功労者だ。
内紛で壊滅状態となった経済・社会基盤。内陸国であるため貿易には適せず、天然資源にも恵まれない同国の現状を鑑みたカガメ大統領は「選択と集中」によって、成長の軸をITテクノロジー、観光・環境、高付加価値農業の3つに絞り込んだ。
観光では、環境保護と街の景観を改善するためにゴミ問題への取り組みを徹底した。
2008年には「ビニール袋全面禁止令」が施行され、現在街なかではビニール袋はまったく使用されていない状況が実現した。もしビニール袋を持っている場合は即没収。ビニール袋の販売には罰金刑が科される。さらに海外からのビニール袋の持ち込みも禁止されており、空港で厳しくチェックされている。
街なかの清掃も徹底されており、ゴミが落ちていないきれいな状態が保たれている。
ゴミが落ちていないキガリ市内
ゴミ問題への対応はルワンダが「アフリカのシンガポール」といわれる理由の1つであるが、他の点をとってみても、カガメ大統領がシンガポールをロールモデルに経済政策を推進していることがうかがえる。
街なかをきれいに保つのは、同国の印象を良くし、観光客だけでなくビジネス会議の誘致を促進したい狙いがあるといわれている。ビジネス会議を誘致することで、各国の政治・ビジネスの有力者らが集まる環境を醸成することが可能だ。この状態が実現すると、政治・経済における域内ハブ/グローバルハブとしてのプレゼンスを発揮することができる。
シンガポールは「MICE(会議・報奨・大会・展示会)促進戦略」を進めているが、これがカガメ大統領の手本となっているのかもしれない。
ルワンダ首都キガリのコンベンションセンター
実際、カガメ大統領は2018年アフリカ連合議長を務め、世界一の単一市場になると目される「アフリカ大陸自由貿易協定」の設立で主導的な役割を果たしたと評価されている。
アフリカ初・国産スマホがルワンダで誕生した理由
ルワンダにおけるITテクノロジーをめぐる大きな変貌は特筆すべきだろう。他のアフリカ諸国が繊維や製造など安価な労働力を生かした労働集約型産業に注力するなか、ルワンダはハードとソフトの両方でデジタル産業を醸成し、知識やテクノロジーを基礎とする高付加価値経済を実現しようとしているからだ。
そのことを象徴するのがこのほどルワンダで発表された「アフリカ初の国産スマホ」だ。
ルワンダのMara Groupは2019年10月、スマホモデル「Mara X」と「Mara Z」を発表。サムスンなどの低価格スマホが圧巻するアフリカ市場だが、少し高い値段設定で勝負をしかけていくという。
同市場でサムスンのもっとも安いスマホは54ドル、無名ブランドであれば34ドルというなか、Mara Xは190ドル、Mara Zは130ドルという価格設定で攻める計画だ。
Mara Groupウェブサイト
エチオピア、アルジェリア、南アフリカなどで他社によるスマホ生産がなされているが、スマホ部品は輸入されており、純粋な「メイド・イン・アフリカ」と呼べるものではない。一方、Mara Groupはマザーボードなどの部品までも国内で調達・生産し、完全な国産スマホをつくりあげた。
2020年7月に発効すると見られているアフリカ大陸自由貿易協定。アフリカ大陸13億人、3兆4,000億ドルの経済圏における自由貿易協定となる見込み。Mara Groupは同協定をテコとしてアフリカ全土に同社のスマホを普及させたい考えだ。
ルワンダからアフリカ初の国産スマホが誕生した背景には、カガメ大統領が実施してきた「ビジョン2020」というイニシアチブの存在がある。
2000年カガメ大統領が就任した後、2020年までに同国を中所得国にすることを目的に開始された取り組み。デジタルテクノロジーのインフラ整備を行い、知識経済を推し進めることに焦点があてられている。この一環で光ファイバーやLTEの整備が実施されてきた。
ハード面だけでなく、デジタルテクノロジーに精通する人材や起業家の育成などソフト面にも力を入れており、そうした取り組みの成果が出始めている段階なのかもしれない。
低所得国から中所得国への発展において、ルワンダは中国やシンガポール、タイなどにアドバイスを求めたといわれている。一方、テクノロジー人材育成に関してJICAが支援するなど、日本もルワンダのIT化に貢献している。
このほか米カーネギーメロン大学がルワンダ首都キガリにサテライトキャンパスを開設したり、英通信衛生企業インマルサットがキガリ市内でIoTインフラを構築したりと、ルワンダではさまざまな側面でハイテク化が進んでいる。
虐殺という悲劇からたったの20数年でここまでの発展を実現し「アフリカの奇跡」とまでいわれるようになったルワンダ。このペースを維持できるのであれば、環境、観光、デジタル化など世界各都市が直面する課題で、一歩進んだソリューションを生み出すのかもしれない。
文:細谷元(Livit)