昨日の当たり前は、明日も当然なのか? コロナビフォーアフターを考える「5つの観点」

TAG:

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、私たちは今、息をひそめるように暮らしている。都市封鎖、外出制限・要請など、自由が奪われ、ともすると不安がひたひたと押し寄せる。しばらくの辛抱。誰しもががそう思い、我慢、我慢と自分に言い聞かせながら暮らしている。この嵐をどうにかやり過ごしたら元に戻れる。

「元に戻る」の“元”とは、どういった状態を指しているのだろう。

天然痘、ペスト、結核など、歴史上、幾度となく感染症が世界で大流行し、それをきっかけにして社会制度や文明が変化したと言われている。情報が一瞬で世界を駆け巡る現代は、昔とは違うかもしれない。

けれども、今を生きる私たちのなかで、今回ほどの規模で未知の疫病蔓延を経験をした人は限りなく少なく(スペイン風邪は1920年代)、疫病が歴史を変えることを否定する根拠はどこにもない。また、情報社会ゆえ、昔と比べようもない早いスピードで歴史が変わっていくという考えも成り立つかもしれない。

「元」が何だったか分からなくなるほど変化するものもあるだろうし、「元」に戻ることが難しいものもあるかもしない。あるいは、気づいていたけれど見ないようにしていた「元」を改善するタイミングが、今この時なのかもしれない。そもそも、「元」は本当に戻りたい場所なのかも考えてみる価値はある。

最近、現在進行中の出来事、あるいはコロナ後についての記事や意見があがってくるようになってきた。今回は、個人の好みが入って恐縮だが、明日の風景を変えるかもしれない5つのトピックを選んで、考えてみた。

感染抑制とプライバシー保護は水と油なのか

中国や東アジア諸国は、新型コロナウィルス対策において欧米とは異なるアプローチで抑え込みに効果を上げていると言われている。その中核となっているのが「コンタクト・トレーシング」のテクノロジである。

コンタクト・トレーシングは、主にスマートフォンのアプリを利用して、感染者や接触者を追跡するシステム。GPSロケーションテクノロジで感染者を追跡するもの、Bluetoothを使って濃厚接触の可能性を検出したり通知したりするもの(グーグルとアップルが開発中)などがある。

例えば、2003年、SARS(重症急性呼吸症候群)の震源地となった香港では、感染者が訪れた場所、乗った路線などの行動をトレースして発表、封じ込めを行った。

今回もSARSでの経験を教訓に徹底した情報開示を行い、さらに3月19日から6月18日まで中国本土、マカオ、台湾を除くすべての国・地域からの入境者を隔離対象として、隔離期間の14日間、監視用の電子リストバンドの装着を義務付けた。

韓国では政府の情報をベースにして感染場所、感染者の国籍、性別、年齢、訪れた場所などが表示されるアプリ「Corona 100m」が2月初旬のリリース以来、100万以上ダウンロードされたという。

国によって濃淡はあるが、世界各国は新型コロナウィルス感染の拡大を防ぐための手法としてコンタクト・トレーシングは概ね有効だと判断しているようだ。

コンタクト・トレーシングは、匿名化が条件で、プライバシーも保護するとしているが、4月21日付のロイター通信の記事によると、25カ国以上の科学者や研究者などの専門家約300人が、プライバシーを保護する技術を政府が構築しない限り、データは不当な差別を引き起こしたり、監視ツールになりかねないという懸念を公開文書で発表している。一方で、「感染拡大を食い止めるには、あらゆる対策を打つべき」という専門家も多い。

コンタクト・トレーシングでは、情報をサーバに集約する中央集権方式、各自のスマートフォン内で接触データのマッチングを行う分散方式などがある。オーストラリアや英国は中央集権方式のコンタクト・トレーシングのアプリを開発中で、ドイツは中央集権から分散方式に切り替えたことで開発に出遅れたとしている。

高度な技術はプライバシーを守れるだろうが、それを運用するのがヒトである限り、データが追跡目的以外で使われない保証はないのではないか。

2018年、欧州ではインターネット上の個人情報も人権のひとつであり、保護されなければならないと考えるGDPR(一般データ保護規則)が制定された。GDPRとコンタクト・トレーシングを並列するべきではないかもしれないが、感染抑制のためなら個人の動きを積極的に公開するという動きがあるようで、どことなく落ち着かない。

あの時、安全とプライバシーをトレードオフしたのだと後悔する明日が来ないようにするためには、どうすればよいのだろうか。

ベーシックインカム実現への扉が開いたのか

現在、アメリカに次いで多くの新型コロナウィルス感染者を出しているスペイン。死亡者数の増加率の低下により、都市封鎖(ロックダウン)を段階的に緩和する動きもでているが、一時は経済活動の原則停止という厳しい処置がとられたこともあり、この期間に90万人近くの雇用が失われた。その規模は1930年代の大恐慌、2008年の金融危機を上回るものだという。

大変厳しい状況が続くなか、ナディア・カルヴィニョ経済大臣は、4月5日、スペインのテレビ局『ラ・セクスタ』で、政府は国民にむけて最低限所得の保障制度を準備していると語った。実施への日時は明らかにしなかったが、なるべく早く行えるようにしたいと大臣。「スペイン政府、ベーシックインカム制度を導入か?」という報道が駆け巡ったが、注意深く読んでみると、「対象となる人口」「家族世帯が多くなる」「状況を考慮する」などの発言もあり、すべての国民が所得保障として一定額の現金を受ける制度であるベーシックインカムとは異なることがわかる。

一方で、アメリカでは成人の国民1,200米ドル(子ども500米ドル)の給付がスタート、日本でも全国民に一律10万円を給付する「特別定額給付金」を決定。ヨーロッパ諸国では事業者に補助金を支給している。

「特別給付金」「補助金」という言い方で非常事態での特別措置だということを強調しているが、最低所得保障という定義においてはベーシックインカムと同様の性質だ。現在、ベーシックインカムが実現可能かどうかの社会実験が図らずも進行しているといえないだろうか。

グローバルから国内回帰になるのか

新型コロナウィルス感染拡大の中、様々な経済活動がダメージを受けている。

グローバル規模ではサプライチェーンが打撃を受けた。災害、政情不安などを考え、生産拠点をAからBにスイッチするというリスクマネジメントはどのグローバル企業もとっているが、今回は予想を超えた規模だった。サプライチェーンのパワーハウスは未だ中国であり、製造業が集積する武漢市の都市封鎖で、武漢に拠点を置く世界の企業は部品が届かないなどの理由により早い段階から活動をストップせざるを得なくなった。

一極に頼る脆弱性を露呈するばかりか、感染が世界へ拡大するうちに次は流通、次は港など、サプライチェーンの全ての工程に影響が出た。世界貿易機関では、2020年は現代史上、最悪な年になるとし、国際貿易は少なくとも13%、最悪の場合は32%縮小するという見方を発表した。

SARSが流行した2003年、世界における中国の生産量は4%にすぎなかったが、今や4倍の16%。中国で起こること全てが世界に影響を与えるようになっていると、欧州復興開発銀行のチーフエコノミストは説明する。

新型コロナウィルス前は米国がとる保護貿易主義に懐疑的な意見もあったが、コロナ後は医療関連、食糧を中心に保護貿易政策をとる国が増えるとアジアトレードセンターのデボラ・エルムス事務局長は予測する。

実際、日本政府は生産拠点を中国から日本国内、東南アジアなどの第三国への移転する企業に補助金を出すことを決定。フランスでも財務省が地元のラジオ局で「中国のような大国への依存を減らす」と語った。

グローバル経済は大きな富をもたらしたが、大きなリスクもはらんでいる。そのリスクを今回、机上の知識ではなく、実感を伴って学んでしまった。ロンドンビジネススクールのリチャード・ポーター教授はBBCニュースで語る。「サプライチェーンが寸断されるや、企業は自国で代わりのサプライヤーを探し始めました。国内で見つけられたら、多少高かろうが、手放さないと思いますよ。なぜならリスクをはっきりと認識してしまったのですから」。

観光業はレジテントファーストにシフトするか

世界規模の感染拡大で大打撃を受けたセクターといえば観光業だろう。GDPの13%を観光業が占めるイタリアでは、3月だけで2億ユーロ(約2,300億円)に相当するロスが出たという(イタリア観光連盟「Assotourismo」調べ)。この2億ユーロはホテルや旅行代理店での予約キャンセルだけで、旅行者がレストラン、ショップなど現地で落とす金額も加えたら、その痛手は計り知れない。

一方で、ひっそりと静まり返った観光地は、瑞々しさを取り戻している。

3月16日付の『CNNトラベル』によると、ロックダウン中のヴェニスの運河では、魚やクラゲなどが泳ぐ姿が見えるようになったという。観光客が投げ捨てるゴミもなく、水上交通がほぼ皆無となったため底に溜まる泥が攪拌されなくなったせいだ。運河つながりで私が住んでいるオランダでも、ヒートホールンという水郷の村が、静かな田園風景を動画で紹介している。

静けさとラグーンの美しさと取り戻したヴェニス。(CNN Travelより)。Venezia PulitaというFacebookの公開グループでは、魚の大群やタコが泳ぐ動画がアップされている。

コロナ前、各国の観光スポットはオーバーツーリズムに悩まされていた。寺院や教会は静寂もあったものではなく、名画はじっくり見られず、シティの住人は年中騒音とゴミに昼夜に悩まされていた。

それがここへきて観光客が一斉に姿を消し、観光地に住む住民は長らく忘れていた土地の魅力、快適さを取り戻した。むろん、観光客によって成り立っているお土産ショップやレストランにとっては死活問題だが、この快適さを手放したくないと思う住人もいるだろう。

住人より18倍多い数の観光客が訪れるアムステルダムを有するオランダも、長らくオーバーツーリズムに悩んでいた。2019年、オランダ政府観光局は『2030 Perspective』という観光ヴィジョンを発表。デスティネーションプロモーションからデスティネーションマネジメントへの転換、レジテントファーストを強く打ち出した。

ホテルやレストランなど観光セクターだけがメリットを享受していたことを反省し、住人こそが観光大使であるとして意思決定に積極的に参画してもらうこと、全てのセクター、人々が観光から恩恵を受けられるようにするとしている。

ガラガラのトラファルガー広場や、エッフェル塔、ゴッホミュージアムは誰も望んでいない。迎えるほうも、訪ねるほうも快適な旅が楽しめる仕組みづくりに着手する絶好の機会が、今なのかもしれない。

オランダの水郷の村、ヒートホールン

多様性は理解できない

「多様性」は最近のビッグ・キーワードである。LGBTなど性の違い、多国籍企業でのCSR推進、生物多様性を尊重した自然環境保護など、あちこちで多様性が叫ばれている。

多様性とは、色んなモノやヒトや生き物がこの世界に存在していること、私たちの役割はそれを理解することだと思っていた。しかし、「理解する」というのは浅すぎる考えなのではと気づかされる記事に出合った。

3月28日付の読売新聞に掲載された養老孟司さんへのインタビューである。多様性の尊重が叫ばれていることに対し、養老さんは、「そもそも生物が色々あることを多様性の一言ですますのがおかしいし、人間には都合がよくない新型コロナも多様性の一つ。登場してしまったからには、共存するしかない」と述べる。

多様性とはヒトにとってすこぶる不都合なものも含むのだ。「理解」を辞書で調べると「意味・内容をのみこむこと」「他人の気持ちや立場を察すること」とある。そうだとしたら新型コロナウィルスをはじめとした多様性を理解するというのは、世界は決して居心地がいい場所ではないということを知ることのなのかもしれない。

養老さんは続ける。「ただ、世の中も自然も、思うようにまかせぬものですから、起こったことはしょうがない。その結果をいかに利用し、生き方を見直すかで先行きは違ってくる」。新型コロナウィルス拡大が収束して普段の生活が送れるようになったとしても、今、リアルタイムで経験している「座りの悪い感覚」を忘れずにもち続けていたほうがいいような気がする。

文:水迫尚子
編集:岡徳之(Livit

モバイルバージョンを終了