今年の1月上旬、米アマゾンのCEOであるジェフ・ベゾズ氏はインドに飛び、2025年までに10億ドル(約1,100億円)を投資すると発表した。アマゾンはこれまでにも約55億ドル(約6,100億円)を投資しており、2019年夏にはハイデラバードに同社最大といわれる「キャンパス(オフィスビル)」をオープンさせている。
アマゾンは、インド発で現在は米ウォルマート傘下のフリップカート(Flipkart)と首位を争っており、そのプレゼンスはいよいよ高まるばかりだが、発表の場にインド政府高官の姿はなかった。
それどころか、貿易省大臣のPiyush Goyal(ピユシュ・ゴーヤル)氏は、ニューデリーで開かれた国際的なカンファレンス「Raisina Dialogue」で、「アマゾンの新しい投資はインドに何の恩恵も与えない」という見解を示した。
詳しくは、10億ドル投資しても10億の損失をだすなら、その損失をまかなう必要があるわけで、新たな投資がインドに恩恵を与えているわけではないという意味で、後に大臣は「曲解されて伝わっているようだが、インドの規則や規範に従うなら投資はいつでも歓迎する」と追加でコメントしている。
大臣の追加コメントは、Eコマース市場を外資のジャイアントの思いのままにはさせないというメッセージともとれる。
実際、インド当局は、アマゾンとフリップカートを、他の商店が太刀打ちできないような大幅な割引を行う不正競争(独禁法違反)の疑いで調査を命令している。アマゾンの発表を受け、1月15日、全インド商業連合(CAIT)は、国規模のデモを展開、「ベゾズは帰れ!」と声を上げた。
インドには、日用品、食品など、ありとあらゆるものを売る商店が市、街、村の至る所にある。キラナストア(Kirana store)と呼ばれ、たいがいが家族経営で、客は店の人と顔見知りだ。配達してくれたり、つけ払いの都合もつけてくれたりする。
インド全体でその数は約1,500万軒。小売り形態の9割以上を占めており、インド人の生活の一部となっていることは想像に難くない。アマゾンも何千というキラナストアとの提携を発表し、囲い込みを図っている。
厳しい外貨規制、根強い現金主義、欧米諸国とは異なる社会構造。数々の障壁があるにも関わらず、アマゾン、ウォルマート、eBayなどが地元のプラットフォーマーとしのぎを削り、インドのEコマース市場で優位なポジションをとろうと躍起になっている。(EC検索できるグーグルショッピングのインド版も2018年12月にオープン)。
さながら、インドEコマース市場戦国時代のようだ。
数字から見るインドEコマースのスケール
なにも経済やEコマースに精通していなくても、インドが成長市場であることは容易に想像できる。
実感をもって理解してみようと、インドとアメリカ、中国、日本をざっくり比較してみた。
なお、インドのEコマースに関する資料は、出典を示していない限り、2019年6月に報告された『インドEC市場調査報告書』(日本貿易振興機構(ジェトロ)デジタル貿易・新産業部EC・流通ビジネス課ジェトロ・チェンナイ事務所)を参考にさせていただいた。
■人口2020年→2030年(『世界の統計2018』総務省統計局)
インド:13億8,319万→15億1,298万
アメリカ:3億3,143万→3億5,471万
中国:14億2,454万→14憶4,118万
日本:1億2,532万→1億1,912万
■2020年時点の中位年齢(『世界の統計2018』総務省統計局)
インド:28.2歳
アメリカ:38.3歳
中国:38.7歳
日本:48.7歳
■2020年のアメリカ・中国・日本のeコマース市場規模(推定)(出典:Statista)
アメリカ:4,198億米ドル
中国:1兆19億米ドル
日本:991億米ドル
■インドのeコマース市場推移
2015年:230億米ドル→2018年:566億米ドル(推定)→2020年:1,031億米ドル(推定)
■インドのインターネット・スマートフォン利用者推移
インターネット:2015年2億6,000万→2018年3億6,900万(推定)→2020年5億1,200万(推定)
スマートフォン:2015年1億9,900万→2018年3億7,400万(推定)→2020年4億4,300万(推定)
インドのインターネット普及率は2018年で見ると約27%、スマートフォン利用率は28%(人口13億2,417万で計算)。同年で各国を比較してみると、インターネット利用率はアメリカ89%、中国60%、日本91.28%、スマートフォン利用率はアメリカ69.6%、中国50%、日本65%(出典:statista)。
インドのeコマース市場規模は、現時点では、アメリカや中国の足元にも及ばない規模だが、2027年には中国を上回り世界最多となる人口、若い平均年齢層、伸びしろしかないインターネットやスマートフォンの利用率を考えれば、そのポテンシャルははかりしれない。
今のうちにくさびを打ち込みたいと思うのは、機動力のあるグローバル企業ならごく自然な流れだろう。
インド・フィンテックを知るキーワード:ファイナンシャルインクルージョン
Eコマース市場を活発化させるには、電子決済を含むフィンテック技術は欠かせない。
独自のデータベースでスタートアップやテクノロジー企業、ベンチャーキャピタルに関するレポートを発行するCBインサイツによると、インドのフィンテックスタートアップ総調達額は中国を初めて上回った(『Global Fintech Report Q3 2019』)。また、世界をリードするフィンテック企業5位にインドのPaytmがランクインしている(『2019 FINTECH100』KPMG)。
急成長を遂げた背景には、インド独特の事情もある。まず、政府が国家事業としてデジタル化を進めていることだ。2014年にモディ政権が成立し、同年国家のICT政策である「デジタル・インディア」を承認、発表した。その政策には、デジタルインフラの提供、キャッシュレスをはじめとする金融サービスの電子化が含まれている。
さらに、キャッシュレス化に拍車をかけた要因といわれているのが、2016年に施行された高額紙幣廃止である。国民GDPの2割を占めるといわれているブラックマネーの流通の対策による汚職や脱税、偽札対策のための措置だった。
また、2009年から導入が始まったインドのマイナンバー制度AADHAAR(アーダール)も加速化に一役買っている。AADHAARは虹彩や指紋といった生体認証情報を組み込んだIDシステムで、銀行口座や携帯電話番号に紐づけて運用されている。
「国民皆銀行口座プロジェクト」(Pradhan Mantri Jan Dhan Yojan)なども、インドのフィンテック市場の成長させる独特の土壌である。
このように官がイニチアティブをとり、インド特有の社会インフラ整備を取り込みながら進められているインドのフィンテック。
その羅針盤となっているのが、ファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)という概念である。ファイナンシャル・インクルージョンとは、貧困などに関わらず国民全てが取り残されることなく金融サービスをアクセスでき、恩恵を受けることを意味する。
インドのフィンテックを考えるとき、インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールから生まれる画期的な技術やスタートアップの調達額などに注目するだけでは不十分なのではないか。
ファイナンシャル・インクルージョン、リープフロッグ現象(技術的発展の段階を踏まず、一気に最先端技術に到達すること)がもたらす影響、人口増爆発などのダイナミックな社会情勢を俯瞰してみると、複雑な模様を描く曼荼羅が見えてくるのかもしれない。
文:水迫尚子
編集:岡徳之(Livit)