日本の出版業界の市場規模は年々縮小傾向にある。電子書籍市場が緩やかに拡大しているものの、紙ではコミックや文芸、新書などどのジャンルも売り上げの減少は止まらない。なかでも雑誌は2007年と比較すると半分ほどまで落ち込んでしまった。そんな中、児童書はここ10年で唯一売り上げを伸ばしたジャンルだ。
中国はこの“児童書”の成長が著しい。2017年頃から全体の25%と出版市場で最大シェアを誇り、毎年成長を続けている。日本では売り上げを伸ばしているとはいえまだ全体の10%未満であるため、中国のマーケットの成長には目を見張るものがある。
本稿では『かいけつゾロリ』の2度の中国進出におけるマーケティング施策の差異を通じて、中国児童書市場の特徴と攻略法に迫りたい。中国の子ども向けビジネスでは、KOL(キーオピニオンリーダー)を使ったマーケティングが重要となるなど、日本とは好まれるプロダクトも違えば、EC、プロモーション戦略のポイントも異なる。果たして日本企業の勝機はどこにあるのだろうか?
中国で受け入れられた、絵本と小説の間にある「読みもの」の存在
日本では絵本と児童向け小説のあいだに位置する本に、「読みもの」がある。特に絵と文章が一体となったレイアウトで構成される、凝った作品が無数にあり、その代表格が1987年に始まった原ゆたか氏による『かいけつゾロリ』だ。
ところが海外では中国に限らず、従来このようにレイアウトが複雑な本はほとんどなかった。だから『ゾロリ』を海外の出版社に紹介しても、「これは絵本なのか? マンガなのか?」と質問される状況が続いてきた。
ポプラ社は2000年頃から外資としていち早く中国の絵本市場に参入、2004年に現地法人現地法人「北京蒲蒲蘭文化発展有限公司」(以下、「蒲蒲蘭」と表記)を設立し、「絵本」という言葉自体を中国に普及し、貢献してきた。
こうした流れと、日本的な「読みもの」を理解してもらうことに対する困難から、当初、中国版(簡体字版)『ゾロリ』を絵本の販売ルートで展開。しかし絵本読者にはなかなか刺さらずに苦戦。別ルートでの販路開拓が課題となっていた。
そこにアメリカからジェフ・キニーの『グレッグのダメ日記』が遅れて入ってくる。
『グレッグ』は主人公が描いた絵日記という体裁で構成される、イラストと文章が一体となった(日本の読みものほど凝ってはいないが、やや近い)レイアウトの作品だ。シリーズ累計が2億3,000万部にも及ぶ世界的な人気作品で、日本でも2010年代以降、小学校中学年男子を中心に支持され続けている。
中国ではこれが5、6歳向けにヒットした。
中国では児童書を含めたキッズコンテンツ市場の特徴として、何かしらのわかりやすい効用(特に教育的効果)を求める、というものがある。
ところが『グレッグ』の主人公は勉強も運動も嫌いだが、ゲームは大好き、親や先生に言われたことをサボるためには、知恵を絞って一生懸命になる少年だ。グレッグの母親は教育者として新聞にコラムなどを執筆しているので何かと見栄を貼りたがり、父親はダイエットを宣言したあとすぐガレージでこっそりチョコをむさぼってしまうというダメダメなファミリーを描いている。つまり教育的な要素は皆無のストーリーなのだ。
しかしなんと『グレッグ』中国版は、教育熱の高さを見越して本の後ろ半分に英語版(といっても原書が英語なのだが)を付けて「語学教育にも役立つ」というポジショニングを取って成功した。
ではなぜこれが刺さったのが5、6歳向けだったのか?
ひとつは、日本の読みものの潮流とは別に欧米圏でも絵本と小説を橋渡しする「ブリッジブック」と呼ばれるジャンルが勃興していたが、『グレッグ』はその代表格のひとつとして捉えられた——「初めて絵本じゃない本を自分で読み切った!」という達成感を与える本として、ある種の教育的役割が期待されたことによる。
もうひとつは、中国では小学校入学とともに学力競争が本格化し、習い事や塾が週6、週7で入るという家庭が少なくない。つまり、娯楽要素の強い本を楽しめる期間は5、6歳が最後なのだ。
これまで中国の児童書市場の中心は未就学児向けの絵本にあり、それ以外にも子ども向け(小学生以上向け)の世界文学全集などやや難しく堅い本は各出版社から大量に刊行されてきたものの、その「あいだ」に位置する本の市場は発展途上だった。
ところがそこに『グレッグ』が参入に成功した。ジャンルが確立され始めると動きが早いのが中国だ。たとえば近い趣向の『カメラ』シリーズは8,000万冊売れ、ほかにも『マジック・スクール・バス』やイタリアの『ジェローニ』シリーズ、中国版『グレッグ』とも言うべき国産の『米小圏上学記』が市場を席巻するようになった。
このように状況が一昔前とは変わってきたタイミングで、ポプラ社は中国市場に『かいけつゾロリ』2度目の投入を決断する。
ブリッジブックとしての中国版『ゾロリ』の中身はどう変わったか?
マーケティングの基礎的なフレームワーク4P(Product,Price,Place,Promotion)に合わせて中国での『ゾロリ』に関する施策を整理してみよう。
まずはProduct、本としての特徴をどう変えたか?
最初の参入時は「縦書き」「並製(ソフトカバー)」だったものを2度目の市場投下時には「横書き」「上製(ハードカバー)」にした。
1回目のときは縦書き、つまり日本と同じ体裁で出していた。現代中国では縦書きの本はほとんどなく、子どもにとっては特になじみがない縦書きだと親に読み聞かせしてもらうか、ピンインがなくても読める年齢に達しないと読むことができず、「ブリッジブック」としての受容が期待できない。
これを踏まえて「2度目の参入時には戦略を大きく変えた」(ポプラ社ブランドプロモーション局コンテンツ事業部長 加藤裕樹氏)。まず、ピンイン付きの横書きに変えた。これによって『子どもが自分で手に取って読む本』『子どもが自分で初めて読み切る本』という、日本でも大事にしている『ゾロリ』のコンセプトを中国でも実現できるかたちになった。
また、『ゾロリ』と言えば「隠し絵」がある。ゾロリのママや作者である原ゆたか氏の絵が作中のどこかに隠されており、子どもはそれを探しながら繰り返し読むことが楽しみになっている。この隠し絵はシリーズ初期にはほとんどなかったが、翻訳版は第1巻からほぼ順番に刊行されていくことから、今回は中国の子どもにも楽しんでもらうために隠し絵を新規に追加した。
「良くも悪くもなんでも早くやってしまうのが中国で、子どもの本すら消耗品的に読まれる傾向があります。でも本には繰り返し読む楽しさもあるし、それを提供できるのが日本の作品の強みだと思っています」(北京蒲蒲蘭文化発展有限公司 編集本部国際項目総経理・江崎肇氏)
そして、本の仕様を並製(ソフトカバー)から上製(ハードカバー)にした理由は何か?
そもそも日本では『ゾロリ』は上製で出ている。というより、21世紀に入ってからは並製も増えてきたが、従来、日本では「たくさんの子どもが何度も(時に手荒な扱いで)本を読む」ことを前提に、壊れにくい上製で作る方が一般的だった。
ところが中国のECではセット売り・まとめ買いが一般的で、お得感を演出するために安く作れる並製の方が児童書でも人気だ。最初の参入時はこの潮流に合わせた。
ではなぜ2度目は上製にしたかといえば、台湾で教育系出版社から『ゾロリ』が上製で刊行され、既にシリーズ55巻を翻訳して累計65万部と人気になっていたからだ(なお台湾版は縦書きで小学校中高学年によく読まれている)。
中国は広大で、地域によって好まれるものも違う。2度目の参入時には台湾に距離的にも文化的に近い、福建省廈門(アモイ)から攻略していくことにしたのだ。「一冊の本を読み切ったという充実感は上製の方があり、そういう日本の文化が広がってくれればいいという思いもあります。また、並製のあとに上製版を出すことはほとんどありませんが、上製版が成功したあと並製を出すことはあります」(江崎氏)
中国市場攻略のための価格、チャネル、プロモーション戦略
マーケティングのフレームワークの4PのひとつであるPrice、価格はどうか。
定価は最初のときは15元、現行は28元にした。値段を倍にしたのか、と思うかもしれないが、中国は日本と違って毎年順調にインフレしていることと、並製から上製にしたことを考えれば妥当な線だ。それに28元と言っても、1元は約16円だから500円弱。中国ではハードカバーの児童書は30~40元が相場だが、『ゾロリ』はオールカラーではないこととセット販売のために28元と設定した。
台湾版は300台湾ドル(1,000円弱)と日本とほとんど変わらない値段だから、中国はずいぶん安い。しかも日本のように出版物に再販制があるわけではないから割引販売が当たり前だ。
日本の児童書ビジネスと比べると、粗利が小さく、数がないとやっていけないことが特徴になっている。
4PのPlace、チャネル(販路)についてだが、日本ではネット書店での児童書購買率がいまだに極めて低い一方で、中国では児童書の8割がインターネット経由での販売だ。
「当当」をはじめとする大手ECサイトに加え、近年ではKOL(Key Opinion Leaders)と呼ばれるインフルエンサーが自身のWeChatのアカウント上などでECを展開しており、こちらの売上も大きくなってきている。SNS上で100万以上のフォロワーを持つ存在が、そのSNSやライブコマースサービスを通じて宣伝するだけでなく、直接販売するチャネルが発達。ECに長けたインフルエンサーは、何十人何百人を雇用する経営者になることさえある。
蒲蒲蘭は最初の参入時に、絵本に強い流通・小売と、ブリッジブックに強い流通・小売は異なることを学んだ。したがって2度目の参入では後者を探す準備をし、さらには子育て系KOLにアプローチしてプロモーション兼販売を仕込んだ。
4PのPromotion、宣伝については、他には、絵本雑誌『萌』に16ページずつの連載形式で試読版を付けた。
前述の台湾に近い廈門(アモイ)から攻めたことも中長期的なプロモーション戦略の一環だ。この地域ではもともと台湾版『ゾロリ』をこっそり読んでいる家庭が少なくないとリサーチで判明していたため、廈門のインフルエンサーをオンラインでもオフラインでも巻き込み、まず厦門から人気を爆発させよう、と考えた。
中国では日本の書籍の流通のように、取次一斉配本で発売日に全国各地の書店に並ぶわけではない。都市や流通ルートごとに、文化も勝手もまったく異なる。だからまずひとつの成功モデルをつくり、それを横展開していくのがひとつのセオリーだ。「厦門で大流行」という情報自体がプロモーションになる。
これらの施策が功を奏して、初版3万セットは予約で瞬殺され、現在まで4タイトル累計7万セット=28万冊が好調な売れ行き。今後も年数冊ペースで翻訳刊行していく算段が立った。
日本で刊行されている『ゾロリ』は現在までに66巻。現状のペースでは翻訳が追いつくまでに8,9年かかるが、そのころまでに中国全土で全巻セットがコンスタントに売れる定番商品にすることが目標だ。
「本」だけでなくメディアやグッズの展開も
中国での『ゾロリ』人気に拍車をかけるブースターとして期待されるのがTVアニメである。
日本では2020年4月から13年ぶりのTVアニメ『もっと!まじめにふまじめ かいけつゾロリ』が放送されるが、このアニメも中国配信をにらんでいる。
中国でもアニメと本、玩具やグッズ、劇、オーディオブックなどとのメディアミックス、IP展開が行われている。子ども向けは地上波でアニメを放送するのが王道だが、日本のコンテンツに関してはなかなか地上波の認可が下りにくくなっている。とはいえ最近は動画サイトの配信から人気が爆発するものが増えてきた。
日本では玩具や商品化でキッズアニメの制作費を回収するのは厳しくなっているものの、中国では今のところそのモデルでいけると考えられている。
蒲蒲蘭にはすでに宮西達也の絵本『ティラノサウルス』シリーズという成功例がある。日本でも累計200万部超と人気だが、中国では累計800万部超。著者は(新型コロナウイルス流行以前は)年に何度も中国各地に足を運び、現地の子どもたちと触れ合ってきた。
『ゾロリ』でも、台湾では原ゆたか氏を招いて子どもたちみんなでゾロリの絵を描くイベントを開催して大反響となった。厦門では「海坊主にウニを投げつける」という『ゾロリ』の作中に登場するシーンを再現したアトラクションを作り、子どもたちがボールを使って遊べるカリキュラムを幼稚園向けに用意するなど、リアルイベントも大事にしている。
また、『ティラノサウルス』は劇場版でのアニメ化をはじめ、中国では玩具などへのグッズ展開はもちろんのこと、ショッピングモールと提携して『ティラノサウルス』の展覧会を制作して原画展や恐竜の絵コンテストを行っているほか、不動産会社、政府機関とも提携してさまざまな場所で朗読コンクール、自然教育、科学探検のイベントなどが実施されている。『ゾロリ』もこれに続けと仕込みを進める。
日本の作品の強みとは?
日本では1978年に那須正幹の『ズッコケ3人組』が登場するまで、児童書の読みものでは原爆・反戦などをテーマに教育的なメッセージを込めた、良くも悪くも「児童文学」然とした作品が主流だった。子どもが読んで「楽しい」「おもしろい」と思うことを第一にし、本ぎらいな子でも夢中になって読み通せる作品は、『ズッコケ』以降、徐々に増えていったのだ。
一方、中国の児童書市場では2020年現在でもいまだ勧善懲悪的なものや「子どもはこうすべき」という大人からの押しつけが強いものが目立っている。だからこそ日本の読みものにチャンスがある、と加藤氏と江崎氏は口をそろえる。
「国の発展段階とある程度比例して『お金持ちになったけど、心は?』『世の中、大事なのは勉強だけじゃない』という風に変わっていくのだと思っています。日本では当たり前になった『子どもだって自由にやっていいんだ』という価値観の本はまだ中国では少ないですから、それが広がることに価値がある」
蒲蒲蘭は『ゾロリ』に続いて『おしりたんてい』も中国版を投入予定だ。こちらも台湾版はすでにヒットしており、台湾では児童書の読みものランキングは『グレッグ』『おしりたんてい』『ゾロリ』が並んでいる。
絵本に続いて読みものも、中国市場の変化の速さに適応しながら日本発のメガヒットを生み出すサイクルを作れるかどうか――この成否によって、中国のみならず世界市場における日本の児童書/キッズ向けIPの存在感は大きく変わってくる。
ニーズもチャネルも商慣習も違う市場への進出は、一度の挑戦で成功するとは限らない。
しかし、トライアンドエラーを重ねていけば、日本の作品にも成功する可能性がある。
ゾロリやおしりたんていが先駆となり、それに次々続いて日本発のキャラクターが世界の子どもを魅了する未来を期待したい。
取材・文:飯田一史