これまでにないスピードで変化する今日の世界。この変化についていくため、私たちは学校教育を終えてからも、効率よく新しいスキル・知識を学び続けることが求められるようになり、キャリアアップのための学びへの関心は高まるばかりだ。
しかし、何を学べばどのような道につながるのか、迷いを抱える人は多い。政府や国際機関にとっても学びは重要なテーマだ。多くの国が、高額な教育費による教育格差が生まれる中でいかに平等に質の高い教育を実現するかといった課題に直面している。
こうした課題にブロックチェーンとデータサイエンスで挑むのが、非営利組織の「Learning Economy:ラーニング・エコノミー」だ。このワシントンに拠点を置き、「スキルは新たな通貨となる」というメッセージを投げかけ、注目を集めている。
これまでにない発想とテクノロジーによって支えられたラーニング・エコノミーが目指す「学び」の変革とは。
すべての人に学びとスキルアップの機会を。ラーニング・エコノミーの目指すもの
スキルを資産と捉え、学びとキャリアに関するデータをユーザーのコントロール下に置いた上で、学校や公的団体、企業などの間で効率的に交換できるようにする、そんなラーニング・エコノミーの概念が国連で提唱されたのは2018年のことだ。
その後、ユーザーの教育、スキル、キャリアに関するデータを安全にシェアするプラットフォームが構築され、翌年の2019年には、ハーバード大の公共政策大学院による研究を経て、アメリカでNPOという形で実行に移ることとなった。
今年2020年に入ってからは、コロラド州の高等教育省とフロリダ州のブロワード郡公立学校で、夏の終わりまでに試験運用を開始する予定となっている。
アイデアから実験的な取り組みへと歩みはじめたばかりのラーニング・エコノミーだが、その目標は壮大だ。2030年までの10年の間に国連の提唱する「持続可能な開発目標」のうち、教育に関する目標2つを解決するという決意が表明されている。
その一つは「すべての人のための質の高い教育」、教育の平等の達成だ。
日本でも奨学金という名の借金に苦しむ若者、親の所得格差による教育格差といった問題が深刻だが、ラーニング・エコノミーが拠点を置くアメリカでも、非常に多くの学生が進学のために借金を抱えることが大問題になっている。
このような課題にラーニング・エコノミーは、人々が自身の学びとキャリアに関するデータと引き換えに、無償で学ぶ機会を得るという構想で挑もうとしている。
ラーニング・エコノミーのシステムが収集するユーザーのあらゆる教育や学習、そしてキャリアに関するデータは、政府や企業にとって非常に価値あるものだ。教育への投資効果や、特定のスキルを持つ人材の分布といったデータは多くの組織に必要とされている。
データを求める公的団体や企業がラーニング・エコノミーに支払いをすれば、それをユーザーがデータ提供の対価として受け取り、さらなる学習、スキルアップへの費用として用いることができる。つまり、データの対価は、スキルという通貨でユーザーに支払われるというわけだ。
このメリットを享受するのは、より良い教育やスキル獲得を求める学生やビジネスパーソンだけではない。欧州では難民危機が深刻化しているが、再定住に不可欠な言語や就労のためのスキルを学ぶ機会は難民自身にとっても、受け入れ先の国にとっても重要だ。
しかし、もしその学習の機会が、ラーニング・エコノミーを活用することで、受け入れ先国の負担なく実現できたらどうだろう。
夢のような構想にも感じられるが、ある教育メソッドがどのようなアウトカムを生み出すのか。データ分析に基づいてより効率的なアプローチを分析しようという「根拠に基づく教育」が提唱されるようになっている昨今、学習者のデータが価値を持つという視点は説得力がある。
ブロックチェーンと人工知能がキャリアアップに向けた「学び」をサポート
ラーニング・エコノミーが目指すもうひとつの持続可能な開発目標は、「すべての人に働きがいのある人間らしい仕事」をもたらすというものだ。
「働きがいのある人間らしい仕事」を定義することは容易ではないが、他の人や機械に簡単に代替されないような、自分ならではのスキルやキャリアに基づいた仕事をイメージする人が多いのではないだろうか。
ラーニング・エコノミーは、「ユニバーサル・ラーナー・ウォレット」という機能と人工知能によるキャリアアドバイスでこの目標の達成をサポートする。
「ユニバーサル・ラーナー・ウォレット」は、自身のこれまでの学びの実績を収納するポケットのようなものだ。基礎教育から高等教育までの学校の卒業証明や職歴、個人で参加したワークショップやオンラインコースの修了証から、アプリで学んだ言語まで、ユーザーの持つすべての「学び」に関するデータを管理できる。
あくまで自身の情報の所有者はユーザーであり、自分だけが自身のすべての記録を閲覧し、誰と共有するかをコントロールする。
そして、集まった膨大なデータは個人を特定せずに分析がなされ、それに基づいてユーザーは自身のキャリアや今後身につけるべきスキルなどについて、人工知能を活用した個別のアドバイスを受けることができる。
ビジネスの意思決定を膨大なデータを活用して行う「データ・ドリブン」は、いまや、個人のキャリアやスキル、学習に関する意思決定にまで適用可能なアプローチになりつつあるのだ。
利便性という観点からもメリットは大きい。様々な資格証明を提出するのに現在のような紙ベースだと、紛失や遠方からの取り寄せの手間など、何かと煩わしい。
しかしラーニング・エコノミーのシステムでは、「ユニバーサル・ラーナー・ウォレット」に保管された学位や資格証明に、ユーザーが許可を与えることで、直接提出先機関にアクセスしてもらうことができる。
しかも、ユーザーは情報を登録する手間さえない。学習の記録を持っている側、つまり学校や認定団体がシステムに直接アクセスし登録を行うからだ。
もちろん、個人のスキル、教育、職歴といったデータをすべて集約するというラーニング・エコノミーの構想には、データ管理の安全に関する懸念がつきまとうだろう。
この課題を解決するために採用されたのが、暗号通貨ビットコインをサポートするために発明された記録管理システムであるブロックチェーンだ。データベース上で安全かつ匿名で情報を共有し、情報の改ざんを防ぐ。
ブロックチェーンや人工知能などの新しい技術の誕生、そして価値を増すビッグデータといった近年の急激な変化が、教育の平等や、働きがいといった長く世界各国が抱えてきた課題に、ラーニング・エコノミーという新しい可能性を示した。
いまだ実験段階といえるこの取り組み。今後、教育の平等と働きがいを世界にもたらす存在となりうるのか、世界各国から期待が寄せられている。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)