2月21日に公開されたアリ・アスター監督の『ミッドサマー』は公開前のマスコミ試写会や先行上映会でも傑作だと名高く、公開から全国満席続出、4日間で動員7万7,125人、興行収入1億1,545万400円(全国106スクリーン)という大ヒットを記録した。しかも公開後すぐに全国でリピーターが続出したそうだ。
この成功の第一要因は、映像美、緻密な脚本、キャストの演技など、傑出した作品性によるものに違いないが、ここではホラージャンルにおける市場トレンドやSNSを駆使したマーケティング手法がどのようにヒットに繋がったのかを探ってみたい。
最も収益性の高いジャンル映画、「ホラー」
映画データリサーチャーであり、映画プロデューサーのステファン・フォローズ氏は、ホラー映画は制作が楽しく、比較的少ない予算でも収益性の高いジャンルとしてフィルムメーカーたちに人気だと説明する。
フォローズ氏の分析によると、1996年から2016年まで、アメリカ映画市場においてホラー映画は最も利益を生み出す可能性の高いジャンルだったという(製作予算が約5,000万円以上の映画について)。
実際に、映画の統計サイト「THE NUMBERS」に記載されているアメリカ映画市場の興行収入におけるジャンル別マーケットシェアのグラフでは、全ジャンルを合わせた興行収入はほぼ横ばいが続く(新型コロナウィルスの影響で2020年の急下降以外)にも関わらず、2016年のホラージャンルのシェアは4.3%、2017年は9.5%、2018年は7.2%、2019年は6.6%、2020年は9.1%と、多少の上下を繰り返しながらも2016年以降、拡大している。
つまり、2020年の今もホラーは利益を出しやすいジャンルだと言えるだろう。
それは、他ジャンルよりも比較的に制作コストが低く、ホラーのコアなファン層は、映画館での映画観賞率が高いことが理由だと考えられる。
事実、筆者が以前取材したことのある国際セールス・エージェントは「ホラーファンはどこの国でも確実に一定量いるし、最近のホラー映画はホラージャンル以外のオーディエンスも獲得できるから、フィルムマーケットで売りやすい」と言っていた。
近年のホラー映画の名作には、もはやホラーというジャンルではひとくくりできない作品が多いのだ。
他ジャンルとの“掛け合わせ”がホラー映画の収益増のカギ
ここ数年、ホラー映画にニューウェイブが来ていると言われている。その新しい波とは、ソンビ、幽霊、ヴァンパイアや連続殺人鬼による単純な怖い映画ではなく、ラブストーリーやファミリードラマなど他のジャンルとクロスオーバーしたような物語のホラー映画を指す。
そもそも、ホラーのジャンルとは何なのだろうか。様々な論争があるが、映画歴史家のティム・ダークス氏はこう定義づけている。
「恐怖、パニックや警告を与え、観客の内なる恐れを引き起こす。観客を楽しませながらカタルシスを起こし、ショッキングで恐ろしい結末で物語を締めくくる。ホラー映画は、奇妙でタブーな人生の暗部に焦点をあて、人間の本性や恐怖を浮き彫りにする。
例えば、悪夢、弱さ、孤独、嫌悪、未知への恐れ、死や孤立への恐怖、自己の喪失、性への恐怖など」要は、“恐怖を観客に与えるストーリー”でさえあれば、ゾンビや殺人を題材にしなくとも、メロドロマでもファミリードラマでも何でもよいわけだ。
その証拠に、先述のステファン・フォローズ氏はホラーを8つのサブジャンルに分けている。さらに、これらのサブジャンルを収益の可能性の高い順番に並べてみると以下の通りになるという。
第1位…ホラー・コメディ
第2位…ホラー・ロマンス
第3位…ホラー・ミステリー
第4位…ホラー・ドラマ
第5位…ホラー・スリラー
第6位…ホラー・Sci-Fi
第7位…ホラー・ファンタジー
第8位…ホラー・アクション
次に、ホラージャンルのアメリカの年間興収のマーケットシェアにおけるランキングで第1位を見てみると、2017年は『IT/イット”それ”が見えたら終わり。』、2018年は『クワイエット・プレイス』、2019年は『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』だ。これらは先述した8つのサブジャンルが交錯した物語ばかりである。
『IT』シリーズはコメディやロマンスを含みながらも、殺人ピエロの正体を突き止めるというミステリーでもあり少年・少女の成長物語を打ち出したドラマでもある。同様に、『クワイエット・プレイス』も「音を立てたら、”超”即死」というスリラーなのに、家族愛や子供の成長物語を描いた人間ドラマだ。
ホラー映画のターゲットマーケットを変えた『クワイエット・プレイス』
マーケティングの観点では、『クワイエット・プレイス』がホラー映画のターゲットマーケットを変えたという評判だ。
「Variety」によると60%のホラージャンルの観客の年齢層は15歳から30歳。全映画ジャンルにおいてこの年齢層が占める割合は40%というから、ホラージャンルのターゲットマーケットは通常は若者だということになる。
ところが、『クワイエット・プレイス』は子供を愛する親の恐怖を軸にすることで、若いホラーファンに加えて、子供をもつ親という50歳以上の高い年齢層や女性までも観客として取り込むことができた。
こういった幅広いターゲットマーケットにアピールするようにメディア戦略も練られたという。まず、本作の予告編は、午後に放送されるエレン・デジェネレスのトークショーや朝の番組などで流された。これら番組の視聴者層は主に主婦層である。また、予告編ではセリフのあるシーンを入れずにプロットを極力取り除くことで観客の興味を一層駆り立てた。
さらに、人気トークショーのホストであるジミー・ファロンや『IT/イット”それ”が見えたら終わり。』の原作者であるスティーヴン・キングなど、絶大なフォロワー数を誇る著名人が続々とSNSに応援コメントを投稿。SNS上の口コミも映画のプロモーションに繋がったのだ。
『ミッドサマー』に見るホラーの境界線を押し広げたマーケティング
『ミッドサマー』も『IT』シリーズや『クワイエット・プレイス』と同じく、ホラーのサブジャンルがミックスされた物語だ。
作品解説は省略するが、フローレンス・ピュー演じる大学生の女性ダニーが恋人や友人とスウェーデンに行くロード・ムービーのような構成のなかに、Sci-Fi以外の8つのサブジャンルすべてが絶妙に混じり合った重層的な仕上がりになっている。
本作のアリ・アスター監督がこの映画を”観客が混乱するように作った”「(カップルの)別れのオペラ」と呼ぶように、北欧の神話を彷彿とさせる神秘的なカルト集団を背景に、恋人たちのメロドラマが繰り広げられる美しくも禍々しいオペラのようだ。
『ミッドサマー』配給:ファントム・フィルム ©2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved
ホラー映画のマーケティングは難しい。なぜなら、ネタばれしないように作品性を観客にアピールしなければいけないからだ。特に『ミッドサマー』のようなポリフォニックな作品はどこをセリングポイントにすればよいのだろうか。本作の配給会社ファントム・フィルムで宣伝を担当する美濃又氏への取材をもとに、特に興味深いマーケティングを考察してみた。
(1) 映画独自の世界観を訴えるポスター
「明るいのに怖そう」「明るいのに様子がおかしい」というコンセプトをもとにすべてのクリエイティブを制作。
アメリカ版ポスターのローカライズをポスターチラシとして発表した後に、日本オリジナルの企画として画家のヒグチユウコ氏と本作のアートディレクターである大島依提亜氏による美しく禍々しいアートポスターを発表することで、ビジュアルによる作品の世界観をより深く観客に届けた。
(2)独自の絵文字をツイッターやインスタグラムに多用
花、太陽など映画で登場するキーアイテムを想起させる独自の絵文字を使ったコミュニケーション。この可愛らしい絵文字は日本で映画館観賞率の高い10代から20代の女性にアピールしたのではないか。
(3)監督による2回の舞台挨拶や、日本人クリエイターとの対談
「Base Ball Bear」の小出祐介氏や映画監督の園子温氏などとの対談から、『ミッドサマー』の製作秘話以外にも、アスター監督のパーソナリティ、映画愛、人生観など監督自身の魅力を日本の観客に伝えた。
(4)SNSの#ファンアート
先行上映会の鑑賞客が@midsommarで友人を本作に誘うとプレゼントが当たるキャンペーンなども行い、ファンコミュニティを活性化。
(5)「観た人限定完全分析ページ」を公式サイトに開設
物語に隠された謎をあえて解説することによって、作品の理解度を深め、見逃した部分をファンがもう一度鑑賞したくなるように仕掛けた。
(6)公開の翌月にディレクターズカット版を公開
オリジナルの劇場公開版147分からカットされたシーンを追加し、上映時間は170分に。異例のスピードで出したことで、それまでのプロモーション効果から、オリジナル版を観た人も観ていない人も、ディレクターズカット版を観たくなっていたのではないだろうか。
『クワイエット・プレイス』、『ゲット・アウト』(2017)、『サスペリア』(2019)やアスター監督の前作『へレディタリー/継承』(2018)など、近年におけるホラーのニューウェイブと呼ばれる作品群のなかでも、『ミッドサマー』は「美しく禍々しい」「明るいのに怖い」という両極端の特徴が相混ざった独特の世界観が際立つ。
そして、このユニークな世界観を盛り上げるマーケティング戦略もあったからこそ、本作は公開前から口コミで話題作となり、公開日夜にはツイッターの“日本のトレンド”に #ミッドサマー がランクインしたのだ。ファンによるSNSの投稿を見ると「ホラー映画は苦手だったのに観に行った」という声も少なくない。
中国市場を除くと世界の年間興行収入は殆ど横ばいが続く。そんな成熟した市場のなかでホラー映画が成功するには、ホラージャンルのコアなファン層以外のターゲットマーケットを獲得する作品性、ビジュアルコンセプト、メディア戦略やSNSのマーケティング手法が必要不可欠だろう。
取材・文:此花わか