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メンタルヘルスを取り巻く世界的状況
世界中で外出禁止や在宅勤務が増え、多くの人々のメンタルヘルスに影響が出はじめている。新型コロナ以前から深刻化していた世界共通の問題だが、ここに来て改めて対策の必要性が指摘されるようになっている。
世界保健機関(WHO)によると、世界中では毎年80万人が自ら命を絶っている。特に15〜29歳の層の自殺率が高く、同年代における死因としては、交通事故に次ぐ2番目の多さだ。うつを患う人々は世界3億人に上る。
メンタルヘルスに関して依然人々の理解が深まっておらず、「個人の問題」として見られることが多い。一度うつなどになってしまうと、社会的スティグマを負い、家族を含め周囲の人に打ち明けることができず、状態が悪化し、自殺につながってしまうケースが増えているというのだ。
医学誌Lancetは2018年10月に発表したレポートで、こうした状況が続けば、2030年には世界経済に16兆ドル(約1,728兆円)もの損失をもたらす可能性があると警鐘を鳴らしている。
その損失を生み出す大きな要因は、医療費などの直接コストではなく、メンタルヘルス悪化による、生産性の低下、公的扶助支出の増加、教育・法規制整備などの間接コストの増加だという。ただし16兆ドルの内訳は示されておらず、どの分野でどれほどのコストがかかるのは不明だ。
この点、デロイトが英国で実施した調査は、メンタルヘルスにかかる間接コストの内訳を示しており、全体予想の参考になるかもしれない。同調査は、英国の職場におけるメンタルヘルス問題とそれにかかるコストを分析。
それによると、職場におけるメンタルヘルス問題を起因とするコストは「欠勤コスト(Absence cost)」「出勤/低生産性コスト(Presenteeism cost)」「離職コスト(Turnover cost)」の3つに大別される。
2018年、これらを合わせた総合間接コストは、最大で450億ポンド(約6兆円)となり、前年から60億ポンド(16%増)増加したという。
内訳は、欠勤コストが68億ポンド、出勤/低生産性コストが266億〜293億ポンド、離職コストが86億ポンド。病欠数は減っているものの、コンディションが悪くても出勤を余儀なくされる場合が多く、出勤/低生産性コストが特に悪化している可能性があると指摘している。
産業別に見た、メンタルヘルス問題を起因とする従業員1人あたりのコストは、金融・保険・不動産がトップ。1人あたりのコストは3,353ポンド(約44万円)。次いで、情報通信2,573ポンド(約34万円)、プロフェッショナル・サービス2,398ポンド(約32万円)などと続く。
同レポートは英企業団体BITCの調査を参考に、メンタルヘルス問題を引き起こす要因にも触れている。職場におけるメンタルヘルス問題を引き起こす最大要因は「プレッシャー」。
52%が優先事項やターゲットが多く、プレッシャーを感じ、それがメンタルヘルス問題を引き起こし/悪化させていると回答。2番目に多かった回答は「過労」。36%が仕事量が多く、徹夜を強いられ、休暇が取れないと回答。3番目は「サポートを受けられなかったこと」(35%)だった。
自殺率・東南アジアワースト、タイで深刻化するメンタルヘルス問題
これまでメンタルヘルス問題は工業化した先進国のケースに焦点が当てられることが多く、開発途上国や新興国の状況は報じられてこなかった印象だ。特にアジアや中南米の多くの国々は「ゆったり」しており、メンタルヘルス問題や自殺はそれほど深刻ではないだろとのイメージが先行する。
しかし、メンタルヘルス問題は、貧困とも強いつながりがあり、新興国・途上国においても深刻化する問題になっている。
「微笑みの国」と呼ばれるタイ。ゆったりとした時間が過ごせるとして日本人にも人気の観光地。実際に訪れてみると、時間の流れが緩やかに感じるのは事実。
しかしこれは観光客視点の感覚、現地の住民たちは日々拡大する経済格差や貧困に苦しみ、メンタルヘルス問題を悪化させている。これに都市部における急速な近代化が加わり、欧米や日本に見られる現代企業特有のストレス環境も拡大していると考えられる。
タイ・バンコク
WHOのデータによると、タイの人口10万あたりの自殺者数は14.4人。世界32番目だが、東南アジアでは最多だ。2位のシンガポールは11.2人(世界67位)。タイでは年間約1万人が自ら命を絶っている計算になる。
状況は年々悪化し、特に若い世代の状況が深刻化している。地元メディアによると、同国における2018年の1時間あたりの自殺未遂者数は6.11人と前年の6.03人から0.08人増加。この数は、男性が女性を4倍上回るという。
年齢別では、男性35〜36歳のグループが最も高い数値を示している。一方、女性は50〜54歳の数値が最も高いという。
地元の専門家らは、タイではメンタルヘルス問題を社会的スティグマとして見る傾向があり、患者の治療タイミングが遅れたり、治療機会を失ったりするケースが多いこと、また全体的にメンタルヘルスを扱える医師が不足していることが近年の自殺増の要因になっている可能性を指摘している。
タイ発のメンタルヘルス・アプリ、問題抑制のカギに?
タイのメンタルヘルス問題の深刻化を受け、いくつかのスタートアップがテクノロジーを活用したソリューションを開発。その効果のほどに関心が寄せられている。
2017年に地元の女性起業家がローンチしたメンタルヘルス・アプリ「Ooca」。スマホで直接専門医師の診断を受けられるサービスを提供。周囲の目が気になり病院に行けない人々に支持され、いまではユーザー数が6万3,000人に達したという。
タイ発のメンタルヘルス・アプリOocaウェブサイト
またローンチ間近のスマホアプリ「Sati」は、メンタルヘルス問題を引き起こす要因の1つである「抱え込み」を解消するとし、期待を集めている。
タイで自殺が増加している北部地域。専門家によると、社会的スティグマもありこの地域の人々は、ストレスやメンタルヘルス問題を誰にも打ち明けず抱え込む傾向が強く、これが同地域で自殺率が急増する要因の1つになっている可能性があるという。Satiはこうした状況下にある人々の助けになることが期待されている。
デロイトがカナダ企業を対象に行った調査によると、職場のメンタルヘルスを改善・維持する投資には、ROI効果が見込めることが判明。メンタルヘルスとそれに付随するコスト、そして対策のベネフィットに関して適切な認識が広がれば、状況は変わっていくのかもしれない。
[文] 細谷元(Livit)