世界5億人が感染した1918年のパンデミック、歴史から学ぶ新型コロナへの対抗策

TAG:

ドイツの「コロナパーティー」、欧州で感染が拡大する理由

拡大が止まらない新型コロナウイルス感染。米ジョンズ・ホプキンス大学の特設サイトのデータによると、3月24日時点、世界の感染者数は38万人、死者数は1万6,500人を超えた。

感染者最多は中国で8万1,514人。次いで、イタリア6万3,927人、米国4万6,332人、スペイン3万5,136人、ドイツ2万9,056人、イラン2万3,049人、フランス2万123人、韓国9,037人、スイス8,795人、英国6,726人、オランダ4,764人、オーストリア4,474人、ベルギー3,743人、ノルウェー2,625人、カナダ2,088人、ポルトガル2,060人、スウェーデン2,046人など。

つい最近まで韓国を中心にアジア圏における感染者急増に関心が集まっていたが、ここにきて欧州と米国における感染拡大が顕著となり、連日各国メディアがその状況を報じている。

イタリアの動向が注目されがちだが、スペイン、ドイツ、フランスなど隣国でも感染者が2〜3万人に達し、予断を許さない状況だ。

なぜ欧州でここまで急速に感染が広がったのか。要因の1つとして、人々の危機意識の薄さが考えられる。この意気意識の薄さが当局の対応遅れや人々の感染リスクを高める行動につながり、感染が爆発的に拡大した可能性がある。

欧州・米国とアジアにおける危機意識の差を生み出している要因の1つとして考えらえるのが、SARSの体験・記憶だ。2002〜03年にかけて、中国や香港、シンガポールで猛威をふるい、8,000人以上が感染、774人が死亡した。

様々な報道を見ていると、SARSも今回の新型コロナ・パンデミックのように世界中に拡散した印象を受けるが、実はそうではない。欧州ではほんの数件、アフリカや中南米に至っては感染例が報告されていないのだ。アジアではSARSは身近に迫る脅威となり、人々の記憶に焼き付いたはず。

一方、感染が広がらなかった欧州では、対岸の火事として、ほとんど記憶に残らなかった可能性がある。

ドイツの「コロナパーティー」は、そうした危機感の薄さを示す最たる例といえるだろう。普及不要の外出自粛が求められるドイツだが、若者が公園に集まり、大音量でパーティーを開いているという報告が多数相次いでいるのだ。

クラブが閉鎖されたこと、また学校が休校になっていることもあり、屋外で自主的にパーティーを催す若者が後を絶たないという。もちろん若い世代にとってSARSが起こったのは生まれる前後のことで記憶がないのは当たり前だが、親世代の危機意識が影響していることは否めない。

コロナパーティーが相次ぐドイツでは警察が駆けつけ解散させることも(写真はイメージ)

新型コロナウイルスはもはや抑え込む(contain)ことはできないと判断され、当局・専門家らのフォーカスは感染速度を緩めること(flatten/slow the curve)にシフトしている。

この状況下、コロナパーティーのような多数の人々が集まるイベントは最悪の状況につながる可能性があり、当局はより厳しい規制を設けることが求められる。

感染対策には「過剰反応」が有効?最大1億人が死亡した1918年パンデミックからの教訓

より厳しい規制、つまり学校や教会の閉鎖、あらゆる集会の禁止など「Social distancing(社会距離戦略)」と呼ばれる施策だ。

ドイツでも学校が閉鎖されており、社会距離戦略が実行されているが、屋外でパーティーが開催されていることを考慮すると、その程度は緩いものだと判断できる。

この社会距離戦略は、感染速度を緩める上でカギとなる。

ハーバード大・公衆衛生学部長マイケル・ウィリアムズ氏は世界経済フォーラムの取材で、新型コロナウイルスの感染速度を抑える上で、社会距離戦略が現在取れるなかで最善の手段だと断言している。

不要不急の外出を禁じ、学校や教会を閉鎖、大型イベントを中止・延期することで、感染拡大を大幅に減らせるというのだ。

「過剰反応」と批判される対策だが、歴史を振り返ると社会距離戦略に対する認識も変わることになるはず。

1918年に世界中で流行したスペイン風邪。このときの米国各都市の対応の違いとその効果が、感染者・死者数の差異によって如実に示されている。

1918年1月〜1920年12月にかけて世界中で猛威をふるったスペイン風邪。感染者数は5億人と推計されている。当時の世界人口は18億人、全人口の4人に1人以上が感染した計算になる。死者数の正確な数字は不明で、5,000万人〜1億人が死亡したとみられ、歴史上最悪のパンデミックといわれている。

このスペイン風邪で、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーなど著名人が何人も命を落とした。日本でも39万人が亡くなった(当時の人口は5,500万人)。

スペインと名がつくが、その起源については専門家らの見解はまだ統一されていないようだ。一説では、米カンサス州の陸軍基地で広まり、米軍の欧州進軍で、欧州各地、そして世界中に広まったといわれている。

このスペイン風邪の対策において、米国ではセントルイスとフィラデルフィアの2都市の対策の違いが、その後の状況に決定的な差を生み出した。

フィラデルフィアでは1918年9月21日に、複数人の感染が確認された。

対応した医師たちは感染拡大を懸念したものの、同市公衆衛生責任者であるウィルマー・クルーセンは、単なる季節性のインフルエンザであるとし、医師たちの警告を無視し9月28日に予定されていた軍事パレードを敢行することを決定。戦争資金を集めるPR効果がある軍事パレードを中止にはできなかったようだ。

当日、沿道には数十万人がかけつけ、予定通り軍事パレードは実施された。

しかし、パレードから72時間後、フィラデルフィア市内にある31の病院は感染者で埋まり、同週終わりまでに2,600人が命を落とした。

当時の状況を分析した書籍「Global Flu and You」の著者ジョージ・デナー氏は、クルーセンの決定は「完全に悪いアイデア」だったと述べている。

このフィラデルフィアと反対の行動をとったセントルイス、その対応は今回の新型コロナ対策で有益な示唆になる。

セントルイスの医療当局責任者マックス・スタークロフは、セントルイスで初の感染例が報告される前から、市の医師たちに警戒を怠らないように指示。地元紙への寄稿で、不要不急の集まりを控えるよう訴えていた。

米セントルイス

セントルイスでは10月5日に、7人家族の感染が判明。翌日、さらに50人の感染報告があがった。これを受け、スタークロフは軍事パレードの中止を市当局に要請したほか、公衆衛生危機の宣言、感染報告を怠った医師への罰則、社会距離戦略の実施なども要請。

早急に学校、劇場、公共施設などが閉鎖された。経済活動に支障が出ると、企業から批判があがったが、感染抑制を優先し、これらの施策を敢行した。

2007年に発表された論文「Public health interventions and epidemic intensity during the 1918 influenza pandemic」は、セントルイスとフィラデルフィア、それぞれの対策効果の違いをあぶり出している。

以下のグラフは、人口10万人あたりの死亡率をあらわしたもの。社会距離戦略を取らなかったフィラデルフィアの死亡率は、10月中旬ごろに250人を超えた。一方、セントルイスは最大で50人ほどにとどまっている。最大値で比較するとその差は5倍だ。

フィラデルフィアとセントルイスの10万人あたりの死亡率、黒線:フィラデルフィア、点線:セントルイス(「Public health interventions and epidemic intensity during the 1918 influenza pandemic」より)

この研究は、新型コロナウイルス感染拡大を受け、海外メディアでの引用が増えている。専門家らは、社会距離戦略が効果を発揮するには、そのタイミングが重要だと指摘。タイミングが遅すぎると、その効果は大幅に弱まってしまう。

また、規制を緩めるタイミングで判断を誤ると、二波や三波につかまってしまうリスクがあるとも指摘している。

欧州や米国で徐々に社会距離戦略が実施されているが、そのタイミングや程度が適切なのか、今後も注視する必要がありそうだ。

文:細谷元(Livit

モバイルバージョンを終了