同一労働同一賃金の先にあるもの——「非正規」という言葉が一掃される世界

TAG:

今年に入り、「同一労働同一賃金」という言葉をニュースなどでよく見聞きするようになった。そこで話題になっているのは、働き方改革にともなう法改正の話だ。働き方改革というと「時間外労働の上限規制」、つまり残業時間の抑制だけが注目されがちだが、これに加えて「年次有給休暇の取得義務化」と「同一労働同一賃金」が働き方改革の3つの大きな柱となっている。

「時間外労働の上限規制」「年次有給休暇の取得義務化」は昨年2019年4月からすでに始まっているが(中小企業は2020年4月1日から適用)、「同一労働同一賃金」関連の改正法は1年遅れて今年4月1日に施行される(中小企業は2021年4月1日から適用)ため、話題になることが増えているのだろう。

同一労働同一賃金は非正規雇用労働者(以降、非正規社員という)にだけ関係するものと思われているが、いわゆる「正社員」として働いている人にも無関係ではなさそうなのである。同一労働同一賃金が、日本で働く人の働き方やキャリア観に及ぼす影響について考える。

「同一労働同一賃金」ってどんなもの?

同一労働同一賃金とは、簡単にいうと「仕事内容が同じ人には、同じ額の賃金が支払われるべき」という考え方・原則のこと。この考え方が、この4月から「パートタイム・有期雇用労働法」と「労働者派遣法」の2つの法律の改正に盛り込まれ、導入される。これに先立ち、企業が自社の規程や賃金体系・制度に落とし込む、あるいは従業員に対応する際の指針となる「同一労働同一賃金ガイドライン」が厚生労働省より示されている。

厚生労働省ウェブサイトの「同一労働同一賃金特集ページ」では、今回の法改正の目的について「同一企業・団体におけるいわゆる正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者) とそれ以外の労働者、いわゆる「非正規雇用労働者」(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)の間の不合理な待遇差の解消を目指す」と記している。

ポイントは、(1)正社員と非正規社員との不合理な待遇差の禁止、(2)労働者に対する待遇に関する説明義務の強化、(3)行政による事業主への助言・指導等や裁判外紛争解決手続き(行政ADR)の整備、の3つだ。非正規社員の中でも派遣労働者に関しては直接雇用ではなく人材派遣会社が間に挟まるため、「派遣先均等・均衡方式」または「労使協定方式」という独特の方式で派遣労働者の待遇を確保する。

「同一労働同一賃金ガイドライン」の正式名称は、「短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針」というもので、2018年12月に厚生労働省から告示された。「指針」であるため法的な拘束力はないが、同一企業において、正社員者と非正規社員との間に待遇差が存在する場合に、どのような差が不合理で、どのような差なら不合理でないのかを例示している。賃金だけでなく、福利厚生やキャリア形成・能力開発なども「待遇」の一環とし、どう扱うべきかが記されている。

なぜ「働き方改革」の柱の一つなのか

同一労働同一賃金のもともとの考え方はヨーロッパ発祥だ。「同じ仕事(同一労働)に就いている労働者には、その性別、雇用形態、人種、国籍、宗教などに関係なく、同一水準の賃金が支払われるべき」という概念で、国際労働機関(ILO)が1946年に採択したILO憲章において「同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認」が前文に掲げられ、以降「人権保障」の一環として社会に浸透してきた。

しかし、このたび日本で導入される同一労働同一賃金が、突然この考え方に賛同して出てきたものかというと、そうではない。

安倍首相が「同一労働同一賃金の実現」を最初に表明したのは、2016年1月の施政方針演説でのこと。デフレ脱却や賃金拡大によって経済の好循環を生もうとしたアベノミクスの失速リスクが取り沙汰される中、2015年10月に改造内閣を発足する際に「一億総活躍社会」のビジョンとともに「国内総生産(GDP)600兆円」を打ち出した、そのすぐ後のことだ。

日本では近年、いわゆる非正規社員が急増している。1989年(平成元年)には非正規社員の数は817万人だったが、それから30年後の2019年(平成31年/令和元年)には2,165万人にまで増加している。正社員の数は、1989年が3,452万人、2019年は3,494万人でほとんど変わっていないため、非正規率に着目すると19%だったものが38%へ倍増しているということだ。


出典:厚生労働省 労働力調査(全国・年平均)

国税庁の民間給与実態統計調査(2018年分)によると、正社員の平均年収は504万円、非正規社員は179万円。かつては、夫が正社員として家計の主たる収入を稼ぎ、妻が主婦として家事・育児などを引き受けながらパートなどの非正規雇用で家計を補助するモデル世帯像があった。しかしいまは、非正規雇用による労働のみで生計を立てる人も少なくない。正社員と非正規社員の間に経済的・社会的格差が生まれ、それが経済にも大きなマイナス影響を与えるようになった。

この格差を埋め、GDPを増大しようと出てきたのが、同一労働同一賃金というわけである。

非正規社員の賃金・待遇を引き上げるのが狙い

さて、同一労働同一賃金が何であるかという大枠と、どうしていま導入されようとしているかは分かった。確かに同じ仕事をしている人には同じ賃金を支払うのは間違っていないと思えるし、不合理な格差はなくしたほうが良いだろう。しかし企業はというと、満場一致で「ぜひやりましょう」とはいかないのが実情である。

同一労働同一賃金を言葉の通りに受け取れば、「同じ仕事をしている人には、同じ賃金が支払われるべき」ということだから、仮に正社員と非正規社員の間に待遇差があるとして、「高い方に合わせて低い方を引き上げる」ことでも、「低い方に合わせて高い待遇を下げる」ことでも、実現は可能だ。

ただし、ガイドラインには「基本的に、労使の合意なく正社員の待遇を引き下げることは望ましい対応とはいえない」と書かれており、今回の目的は非正規社員の賃金・待遇を引き上げる狙いであることが分かる。

とはいえ、なにがなんでも「賃金・待遇を同じにせよ(引き上げろ)」というものではない。「AさんとBさんの職務が同一でない」という合理的な説明ができるなら、同じ賃金でなくてもよい、というものである。つまり、合理的な説明ができれば待遇差を維持できないわけではない。だが、例えば「正社員と非正規社員では将来の役割期待が異なるため」という説明は、ガイドラインでは「主観的・抽象的説明」のためNGとされている。何が同一で、何が同一でないのか、明確な線引きがないことが、企業によっては悩みの種だ。

単純に非正規の待遇を引き上げれば人件費が上がる

もう一つ現実的な問題として、人件費の高騰がある。同一労働同一賃金を、その目的に素直に従って、いま雇っている非正規社員の賃金を引き上げる場合、会社の利益の一部をその引き上げ分に充てることになる。

会社として十分な利益を上げられていればそれでいいかもしれないが、そうでない会社にとっては大きな問題だ。そもそも人件費を抑えるために非正規社員に頼ってきた側面が大きいわけで、依存度が高い業種において賃金増の負担は厳しいものになる可能性が高い。まして一度引き上げたらその水準で固定するわけでなく、将来の昇給も視野に入れなければいけない。

そうなると、正社員のほうの待遇を引き下げる選択肢も浮上してくる。しかし、正社員の賃金を下げる不利益変更には、労使間の合意が必要なため容易ではない。賞与や、法律で義務づけられていない手当の減額・廃止であれば比較的合意に達しやすいかもしれないが、賞与が本来の意味の「ボーナス」でなく、もらうべき年収の一部をボーナスとしているケースや、手当・福利厚生の待遇を手厚くすることで基本給を抑えているケースもあり、いずれにしろ待遇の引き下げは簡単にはいかない。

人材会社アデコは2月10日、今年の4月から同一労働同一賃金を導入しなければならない大企業500社の人を対象に行った調査の結果を発表した。この調査の実施時期は昨年12月だが、その時点で「対応方針が決定していない」企業は72.6%にも上ったということだ。

そして、対応方針が決定した企業のうち、同一労働同一賃金導入後、「正社員の『基本給』が減る見込み」と答えた企業が17.4%、「正社員の『賞与』が減る見込み」の企業も17.4%、「正社員の『手当』が減る見込み」が11.4%という数字になっている。これがまだ猶予のある中小企業まで含めると、来年4月以降、スムーズに導入され、目的通りに正しく効果を発揮するかは懸念が残る。

同一労働同一賃金の導入を難しくする根深い理由

また、日本で同一労働同一賃金の実現が難しい理由の一つとしてよく言われるのは、日本の正社員の賃金は、「職務」ではなく「人」に対して支払われる仕組みだということだ。一方、非正規社員はテンポラリーの雇用である前提から、賃金は概ね「職務」によって決まる。正社員と非正規社員では賃金の決まり方が大きく異なるため、両者の間で均等待遇を図りにくいのだ。

同一労働同一賃金が生まれたヨーロッパでは、一人ひとりの従業員の職務内容が明確に決まっており、仕事内容や責任の範囲がジョブ・ディスクリプション(職務記述書)に記される。賃金の決め方も、まず労働組合と企業団体との労使協約によって職種や地域ごとに賃金表を決める「職務給」という仕組みだ。この労使協約は、交渉の当事者である労働組合や企業団体だけでなく労働市場全体に適用されるため、正社員も非正規社員も同じ基準で、職務に応じて賃金が決まる。ゆえに、同一労働同一賃金が成り立ちやすい。

また、何の職務がどれだけできればどれだけの賃金を得られるかの基準が明確なため、スキルがポータブルになる利点がある。労働者は「自分はこれができるようになったので賃金を上げてくれ」という会社との交渉がしやすくなる。条件に納得できなければ、より評価してくれる企業を他に探せばいい。

一方、日本の一般的な賃金の決め方は、「職能給」の考え方に基づく。職能給とは、その「人」に備わっている職務遂行能力を評価し、それを基準に賃金額を決める考え方だ。この場合の職務遂行能力とは、仕事を経験することで誰でも向上していくものと考えられており、すなわち年齢や勤続年数に応じて賃金が上がっていくものとされる。つまり、職能給は「年功」的な体系だと理解して概ね間違いないだろう。

職能給は日本独自に成り立ってきた考え方で、1950年代半ば頃に始まった高度経済成長期を背景に、主に製造業における生産ラインで働く労働者の人事管理がしやすいということで確立してきた。ただ、これが成り立つには、右肩上がりの経済と終身雇用が前提となる。入社時点では具体的にどのような職務を行うかを詳細には定めず総合職として採用し、長期にわたってその会社で働く「会社の一員になる」という意味合いの強い労働契約。これになじみやすいのが職能給なのである。

労働市場の流動性が低い理由

バブル景気の終わり頃からその前提が崩れ、「年功主義」な賃金体系から一部または全面的に「成果主義」へと移行する企業が増えてきた——と言われていて、実際その通りではあるのだが、全体として見るとまだ年功主義を完全に脱したわけではない。正社員の給与は50歳前後まで一定して右上がりなのに対し、非正規社員は年齢を重ねても横ばいだ。


出典:厚生労働省 平成30年賃金構造基本統計調査(雇用形態別)

年功によって賃金が上がっていく給与体系は、「後払い制」という言い方もできる。つまり、若い時は給料が安いが、その代わり長く在籍すると給与が高くなり、若かったときに抑えられていた分を取り戻せる。そして、定年まで働いて得られる退職金は、途中で去った場合よりもずっと大きい。そういう仕組みだ。

最近、生産性が低いにもかかわらず会社に居座る中高年を揶揄する「働かないおじさん」なる言葉も生まれているが、後払い制の職能給に最適化しただけとも言える。現在、大手企業の早期退職募集をする事例が目立つのは、団塊ジュニアが定年を控える世代になる今後、企業にとって「後払い」が苦しくなることの証だろう。さらに、定年の年齢が段階的に引き上げられていることを考えると、ますます荷が重いはずだ。

非正規という言葉を一掃できるか?

今回の同一労働同一賃金の導入は、正社員の賃金カーブと非正規社員の賃金カーブを近づけようとするものだ。かといって、企業の右肩上がりの成長が見通せず、人件費の原資にも限りがあり、非正規社員の待遇の引き上げができないのだとしたら、どうするか。

安倍首相は、2018年通常国会後の記者会見で「この国から『非正規』という言葉を一掃する」と語った。「非正規」という言葉がなくなるのはどのようなケースかと考えると、一つは「いまの非正規社員がすべて正社員になる」ことが考えられるだろう。でもそれが叶わないとしたら、逆にすべての正社員が、いまの非正規社員のような雇用になれば、そのときもまた「非正規」という言葉は一掃されるのではないだろうか。

つまり、新卒で採用されればほぼ自動的に「期限の定めのない労働契約」となる仕組みをやめる。雇用の際には必ず契約期間を定めるということ。同時に、「後払い」の賃金体系をやめる。それによって正社員を企業に縛り付けるのをやめる。さらには、年功的な職能給をやめて、職務給へ移行し、皆が同じ土俵の上で同一労働同一賃金の実現を図るのである。

そもそも定年まで会社が存続しているかどうすら分からないのに、30年も40年も後の賃金アップや退職金をあてにして安心などできないのが、いまの時代だ。若手のうちに給与を抑えられることなく、その時々の働きに対して妥当な賃金が得られれば、共働きが多い育児世代の生活にもいくらかの余裕が生まれるだろう。子どもの出生率の向上にも貢献するかもしれない。

自分の仕事が評価され、納得のいく待遇に反映されると分かれば、働く人のモチベーションが高まるし、スキルアップにも意欲的になることが考えられる。また、何の職務にいくら払うかを明確にしていく過程で、どの仕事内容や働きぶりがいかに成果・業績に結びついているかを改めて知る機会にもなる。雇用形態という色眼鏡で従業員の能力を実態より低く見ていたケースなども見つかるかもしれない。

無期雇用の「安定」が得られずに生きるのはつらいだろうか?もし、長期にわたる雇用の保障を求める人がいて、それに応えられる企業、末永い雇用を確約できる覚悟と能力がある企業があるなら、そこは需要と供給がマッチするわけだから、40年でも50年でも60年でも期間を定めて契約を結んで構わない。その間の賃金をどうするかは、企業と労働者の間で決めればいい。

問題は、採用する/されると企業は「容易に解雇できない」状態に、労働者が「辞めないことにインセンティブがある」状態に、「無自覚に」置かれてしまうことだ。

変化は漸進的だが日本の雇用慣行を大きく変える可能性も

しかし、「年功主義はダメだ」と言って、ある時点で一斉に職務給を導入するとしたら、今のシニア層には受け入れがたいだろう。若い時は賃金を抑えられ、長く勤めれば取り返せると思ってきたのだから。もし断行するなら「精算」が必要だ。また現状ではシニア層が会社や働き方を変えようとしたときに、すんなり活躍できる場が少ない。

これから就職する若い世代も、いきなり職務給あるいは同一労働同一賃金の世界に放り出されたら、不利な状況に陥る。実務経験のない新卒学生がいきなり職務給の労働市場に入っていっても、経験者に太刀打ちできないからだ。いままでは企業が新卒入社者の将来に期待して採用し、育成してきた。多くの人は、そのおかげでいっぱしの職業人になれていた。

したがって、変化は少しずつ、漸進的に進めなければならない。キャリア初期に職業人としてのスキルを身につけるための職業教育の場や、職業資格の整備なども検討する必要がある。シニア層が活躍する土壌と機会をいかにつくるかという問題も解決する必要があるだろう。

ともあれ、もうすぐ「同一労働同一賃金」が導入されようとしている。ここまで書いてきたように乗り越えなければならないハードルも多々ある。しかし、私たちと企業との関係や、働き方、キャリア観を変えうるポジティブな可能性も秘めている。一度入社してしまうとあまり考えることのない企業との関わり方や労働契約のあり方について、このタイミングで一度考えてみてはいかがだろうか。

文:畑邊康浩

モバイルバージョンを終了