元SONY代表で、現在はクオンタムリープ代表取締役社長を務める出井伸之氏は、長年抱いてきた想いを形にした。新規事業に挑むすべての挑戦者と、応援者・Giver(受け取る以上に与えようとする人)をつなぐ基盤となるコミュニティ「アドベンチャービレッジ」を創出したのだ。VC(ベンチャーキャピタル)やアクセラレーターといった挑戦者を支援する組織をゆるやかにつなげ、支援基盤を強化。東京ベイエリアをベースに挑戦者が生まれやすい環境をつくり、世界各国の賛同者を巻き込んだ大きなうねりを生み出そうとしている。
今回は、出井氏の単独インタビューを敢行。アドベンチャービレッジ設立の背景や、出井氏が考える「伸びる挑戦者」の共通点、さらに82歳を迎えてなお挑戦しつづける理由について伺った。
日本が再びジャンプするには、新規事業に挑み続けるしかない
ベンチャー起業家に代表される挑戦者を応援する投資家やエコシステムビルダーをつなげ、新産業が湧き出る環境をつくるムーブメント「アドベンチャービレッジ」。出井氏はアドベンチャービレッジ発足の理由について、経済的に冬の時代が続く日本をもう一度春めかせたいという想いを挙げる。
出井:「日本がここまで縮こまってしまったのは、プラザ合意による急激な円高、バブル崩壊、後手に回ったIT革命という『3つの敗戦』を経験しながら、危機感の薄さから現状を打開できなかったから。『Japan as Number One』と世界におだてられた時代から抜け切れないまま、リーマンショックでさらなる打撃を受け、今なお冬の時代は続いています。2006年に起業した会社を『クオンタムリープ(非連続の飛躍)』と名付けたのも、どうにか日本を冬から脱出させたいという願いからでしたね」
日本がもう一度ジャンプするには、数多くの新規事業に挑むしかないと感じていた出井氏。しかし、日本でベンチャー企業が育ちづらかった根本的な理由は、「リスクマネー(投資しても回収できない可能性のある資金)」の不足だと指摘する。
出井:「私が入社した1960年当時、SONYは上場2年目のベンチャー企業で、伸び盛りにも関わらず常に成長資金不足でした。2006年にSONYを卒業して外に目を向けると、あの頃から50年近く経っているのに、今なおベンチャーに成長資金がいきわたっていない。銀行は法律によってベンチャーへの投資に二の足を踏まざるを得ないし、VCの一部も利益を求めるあまり、5年未満の短期間での成長をベンチャーに求めるケースが少なくないそうです。シリコンバレーや深圳など、ユニコーン企業が次々と生まれる地域は、桁違いのリスクマネーが飛び交っているのに……」
さらに、新規事業に取り組み続けるためには、ベンチャー企業を育てるだけでなく、大企業側の変革も必要だと語る。
出井:「大企業は、単純にベンチャー支援をすればいいということではないんです。大企業こそ、これまでの事業を工夫して延命するよりも、まったく新しい事業に取り組む気概を取り戻してほしい。そのためにも、大企業がベンチャーと協力して新規事業に取り組むことが必要です。一緒に仕事をすれば、大企業側も変わらざるを得ない。ベンチャー企業が増えるほど、大企業の変革も進む。そういう流れを社会に生み出したいですね」
失敗を恐れずに、新しいことに挑戦できるムードが冒険者を育てる
アドベンチャービレッジの大きな目標は「失敗を恐れず挑戦することの価値を認める社会をつくる」こと。この目標が立ち上がったきっかけは、出井氏がシリコンバレーで遭遇したワンシーンにあるそうだ。
出井:「ある会食で、投資家と投資を受けて失敗したベンチャーのCEOが同席していたんです。CEOはもじもじして『すみませんでした』と謝っているのに、投資家は『え、そうだったの?』なんてあっけらかんとしてたんですよ(笑)。投資先すべてから確実にリターンが得られるとは考えていないようでした。日本でリスクマネーが出回らないのも、大企業が新規事業に踏み出せないのも、失敗に対して厳しすぎる風土が一因だと思います。スタートアップがたくさん生まれるエリアでは、『ベンチャーにとって失敗は経験のひとつでしかない』と誰もがしつこいくらい話しているのが印象的でした」
アドベンチャービレッジは、誰もが失敗を恐れず挑戦できる場所にする。日本から新規事業に挑む、冒険者たちが集い、育つ村にする。出井氏は熱い想いを語る。
出井:「『村に子どもが生まれたら、全員で育てよう』というアフリカの古いことわざが気に入ったんです。冒険者という名の子どもが生まれたら、みんなで育てたい。実は、日本にも若い冒険者はいるのですが、ひとり孤独に頑張っていることも多いんです。アドベンチャービレッジに出てきたら、冒険者の兄弟にも応援者にも会えます。失敗は当たり前と感じ、新しいことに挑戦できるオープンな村にしたいんです」
さらに、この先は世界の中心がアジアに移ることは明白であり、日本もその一員となる必要があると考えている。
出井:「東京のベイエリア(東京湾周辺)は、世界的な規模の産業集積地帯。ここを中国のグレーターベイエリア(広東・香港・マカオ)にも肩を並べるスタートアップエコシステムの拠点にしたいと考えています。まずは先ほど話したように、「志を抱いて冒険したっていいじゃないか!」というムードを日本社会に広げ、将来的にはアジアのイノベーションハブに発展させたいですね」
応援者「エコシステムビルダー」がつながれば、挑戦者は湧き出てくる
失敗を恐れず、新たな挑戦を続けるための機運(ムード)を高めるためにも、継続的で大規模な情報発信が重要だと考えているアドベンチャービレッジ。その手段の一つが、大規模イベントの構想である。志を同じくするエコシステムビルダー同士をつなぎ、それぞれの活動や成果、失敗を共有する場をつくる予定だ。
出井:「イベントドリブンというのかな、成果や経験値を共有しあうことで、世界に仕掛けていける人を増やしたいという想いがあります。面白いことになるからこの指とまれ! という感じでイベントができたらいいですね。VCもエコシステムビルダーも、理念は意外と共通してるんですよ。ユニコーン企業を日本から輩出したい。日本を復活させたい。そんな共通した想いを軸に、多様なベンチャー応援者が集まったら何かが起こるはずだと期待しています」
2019年11月には、スタートアップ企業が1日で複数のVCやコンサルティング会社と1対1でピッチを行い、壁打ちもできるイベント「Startup Speed Dating 2019」を実施。15社ものVCだけでなく、会場には多くのエコシステムビルダーも集まっていた。イベントは好評で、2020年からWeWorkとの共催で2か月に一度、定例イベントを開くことになったそうだ。
出井:「これだけ多くのエコシステムビルダーが集まってくれたのも、ゆるやかに同業同士がつながれば、ムーブメントが起こせそうだという予感を感じてくれたからだと思います。これまで、競合でもあるエコシステムビルダーを集めた企画はなかったので、最初はビルダーさんも警戒されたと思いますし、アドベンチャービレッジのミッションやイベントの趣旨を説明して回ってくれた社員には苦労をかけたと思います(苦笑)。『アドベンチャービレッジは御社の競合ではありません!』とお伝えし、つながりづくりに賛同いただきました。互いへの理解が深まって以降、多くのエコシステムビルダーさんと良好な関係を築けています」
自分自身からは引退できない。日本に春風を吹かすため、挑戦あるのみ
これからアドベンチャービレッジから湧き出てくるだろう冒険者に「成長の共通点」があるとすれば、目標が明確で、その目標に社会的意義があるかどうかだと出井氏は語る。
出井:「『2030年までに50カ国で1億人の貧困層に廉価かつ高品質なマイクロファイナンスのサービス提供を目指す』というビジョンを掲げ、創業からわずか数年で3,000人以上のグループ社員を抱えるまでに育った五常・アンド・カンパニーというベンチャーが好例だと思います。急成長するには、潜在的な仲間や応援者に気付いてもらえるレベルまで事業を押し上げられるかどうかが重要。他力を借りていいんです。あと、伸びるベンチャー企業は人気アイドルグループと似ていると感じることがあって、意欲あるメンバーが自然とバランスを取っている印象を受けます。あえて自分と違う才能や性格の持ち主を選べているのかもしれませんね」
最後に、出井氏がSONY卒業以降も、精力的に活動し続けられる理由について伺った。
出井:「あるメディアで『組織からは引退できるが、自分自身からは引退できない』っていうフレーズを目にしたんです。なかなかいい言葉だな。と心に留めていたら、自分の過去発言だったっていうオチがつくんですが(笑)。今でも、心の底からそう思ってます。私も82歳という年齢を見れば、人生の冬。でも、人生の春を迎え、夏に向かおうとする冒険者たちの成長を見るとワクワクするし、自分のことのようにうれしいんです。『自分にもまだ、やることがある』と信じて自分の想いを声に出せば、モチベーションは自然と上がります」
その言葉通り、講演会等での登壇後、アドバイスやパワーをもらおうと輪になる若手起業家と出井氏がコミュニケーションをとりあう光景はめずらしくない。
凍てつく冬をじっと耐えるのではなく、若き挑戦者たちとともに春を再び生きようと挑戦を続ける出井氏。冒険者が集い、育ち、船出するエコシステムを創り出そうとするアドベンチャービレッジ発のムーブメントに期待したい。
文:岡島梓
取材・編集:花岡郁
写真:西村克也