格安航空会社の進出もあり、様々な航空会社に乗って海外旅行をする人が増えている。飛行機に乗るときの楽しみの1つとして、航空会社別の機内食を挙げる人は少なくないかもしれない。しかし楽しみとは裏腹に、「美味しくなかった」と感じる乗客も多い。
そんな機内食が、今後はフレッシュかつ健康的であることが求められるかもしれない。
シンガポール航空やエミレーツ航空などの航空会社は、機内食改善のために空港近くに植物工場を開設し、工場で生産した新鮮な野菜を機内食に使い始めている。ウェルネスやサステナビリティ意識の高まりが、機内食をどう進化させているのか、その最新トレンドを解説する。
機内で味が変わる理由
そもそもなぜ機内食は通常と比べて美味しくないと感じる人が多いのだろうか?
もちろん地上と違って梱包と配給の間に時差があること、事前調理され冷蔵・冷凍されたものを食べていることなどが根底にあるが、食事をする時の環境、つまり上空での加圧と湿度が、乗客の味覚の感じ方に影響している。
通常、標高が高いと食べ物の味自体と、人の味覚機能が低下する。上空の加圧の結果、食べ物は乾燥してうま味がなくなってしまう傾向が強く、さらに乗客は乾燥のためにのどが渇く。イギリスの新聞社DaliyMailの記事によると、高地では塩味と甘味の知覚が30%低下することが示されている。
また、機内の湿度の低下から鼻が乾き、料理を味わうために不可欠な人の嗅覚センサーが減少する。その結果、乗客は無味乾燥な食事という風に感じてしまうことが多いのだ。
少なくともエコノミークラスでは、個人でチェックインをすることが可能になってきた2010年代頃から、好みや体質によって機内食を選べるようになってきた航空会社もあるものの、機内食に関しては各航空会社まだまだ改善を続けている状態だ。
そして現在、飛行中のストレスを減らす機内での運動や瞑想などの促進と共に、機内食もウェルネス志向になってきている。航空会社は他社との差別化も含め、健康的でフレッシュな機内食の改善に注意を払ってきている。
世界最大級の垂直農業企業と提携、シンガポール航空
航空業界のリサーチ会社Skytraxが毎年発表するThe best airlines in the worldで、トップレベルに長年名を連ねているシンガポール航空。機内食の分野でも旅行者を魅了していると評価が高い。
シンガポール航空は普段から、加圧された試食・試飲室施設をもち、すべての料理が高度30,000フィートであっても、国際的に有名なシェフの味が意図したとおりに味わうことを実験している。
そのシンガポール航空が、アメリカニュージャージー州の植物工場会社AeroFarmsと提携し、2019年10月から新鮮な野菜を使った機内食の提供を開始した。
この取り組みは内部で2年前から計画されており、「産地直送のハイパーローカルな農産物を使用してより持続可能性を高め、二酸化炭素排出量を削減したい」というサステイナブルな観点と、「機内食を極力フレッシュで活気のある味にしたい」というグルメの観点からの目的があった。
パートナーとなったニュージャージー州のAeroFarmsは、空港から8km以内に位置し、6,500平方メートル以上の土地にある世界最大級の垂直農場であると言われている。
そこでは伝統的な農場のように太陽と土壌に頼った生産ではなく、高さ約12.2mの天井のある部屋で、LEDライトと再利用の素材から作られた布を使用して、一年中農産物を栽培が可能だ。
AeroFarmsでは、通常の水やりの代わりに、成長する植物の根に霧状に水を噴射する。収穫期間まで30〜45日間の伝統的な農法と比較して、10〜14日間で約700種類の果物や野菜を収穫できる技術をもつ。
「生産物は、収穫されて数日以内にキッチンに運ばれ、数時間以内に食器に入ります」と、シンガポール航空の広報担当者は説明している。
例えば新鮮なルッコラ。ルッコラはフレッシュさ漂う香りとその独特な苦みから、口の中の感覚が鈍る機内でも重宝する野菜としてシンガポール航空が積極的に使っている野菜の内の一つだ。
生ハム、パームハート、スパイストマトドレッシングを使い、AeroFarmsで取れたルッコラを乗せたトマトサラダは、現在、ニューアークからシンガポールへのフライトで上写真の通り提供されている。
シンガポール航空は今回のAeroFarmsとのコラボレーションが成功した場合、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シアトルなどの主要な米国市場で、より多くの垂直および従来の農場と提携したいと考えている。
「私たちの目標は、乗客に、空で最も新鮮な農産物を楽しんで、成長し、より環境的に持続可能な方法で配達するオプションを提供することだ」と広報担当者は話している。
砂漠の気候でも効率よく垂直農業で食材を供給、エミレーツ航空
もう一つの例はこちらも良いサービスで有名なエミレーツ航空。エミレーツ航空は、シリコンバレーのスタートアップCropOneと提携し、2019年12月からドバイにある世界最大級の植物工場で生産された野菜を機内食で提供し始めた。
従来アラブ首長国連邦の様な砂漠が多い気候でレタスを育てるのは難しいが、垂直型農場は革新的な農業技術でこれに対抗している。カリフォルニアに本拠を置くCropOneは、エミレーツとの契約を結び、中東地域の食料供給に大きな変化をもたらすと見られている。
CropOneのエミレーツ向けの12,000平方メートルの新しい施設は、105の航空会社と25の空港ラウンジを含むエミレーツフライトケータリングの顧客に、新鮮な食材の提供を開始する。
垂直農業では畑での栽培に使用される水の1/21,500を使用。スペース要件の点でも非常に効率的で、30平方メートルの作業場は、77,000平方メートルの農地に匹敵する農産物を栽培できるという。土壌がないため、野菜には自然と農薬、除草剤、殺菌剤が含まれていない。
規模の経済性も重要で、航空業界の様に一日に何十万食を必要とする業界にとっては近郊で生産・出荷できる点も魅力。これらの要因が、エミレーツが食料供給生産を社内に持ち込むことが決定したときの解決策として抜擢された。
15メートルの高さに積み上げられた水耕栽培の容器で育つレタスや野菜の列は、1日あたり2,700kgの製品を生産するという。これは38,400食の野菜の生産に匹敵する。土地が狭く高額な都心や輸送費やフレッシュさを考慮すると収益性は十分あるとCropOneのCEO Lo氏は語る。
だが従来の農業に比べて生産コストに関する課題は残る。欠点は、集約した労働力が必要となることと、24時間つけっぱなしのライトのエネルギーが必要なこと。従来の農場では250kWhで育つレタス1つは、垂直農業では3500kWhものエネルギーが必要となる。
地産地消を目指し都市部の少ない土地でも農業を可能にする垂直農業。それを機内食としてウェルネスとフレッシュネス、そして規模の経済で取り入れ始めた航空業界。
エネルギー消費率など、改善が必要とされる点もあるが、トレイサビリティーやサステナビリティーを追求している点で、消費者にとっても安心を与える戦略となるかもしれない。
企業の生産者責任が注目されている今、航空業界にとって機内食への取り組みもまた、差別化と生き残りを図る手段になることは間違いない。
文:米山怜子
編集:岡徳之(Livit)