ゾンビ社会を生む「孤独」という病

2019年5月、一般社団法人日本少額短期保険協会が公開した、「第4回 孤独死現状レポート」によると、2015年4月から2019年3月までに孤独死した人数は3,392人。死亡した年代で最も多かったのが男女共に60代、全体では約8割が男性という統計が出ている。

孤独の病に悩まされているのは日本だけではない。イギリスでは2018年、孤独問題担当国務大臣に任命されたトレイシー・クラウチ氏が、「孤独はわれわれが直面する最も重要な健康問題です」と、国民に呼びかけている。

インターネット技術が発展しコミュニケーション手段が増え、多様なコミュニティにアクセスできるようになったにも関わらず、私たちの日常は孤独と隣り合わせのままだ。

最近では社会と孤立してしまったが故に、凄惨な事件を引き起こしてしまうケースも多々見られる。

読売新聞記者を10年、大手PR会社を経て、現在はフリーで企業のコミュニケーション課題を解決する岡本 純子氏(以下、岡本氏)は「いまだからこそ、孤独の危険性は知っておくべき」と語る。

岡本氏に、「孤独」の本質や、向き合い方について訊いた。

選択的孤独と絶望的孤独

2017年頃から「孤独」に関する執筆活動や発信を行なっている岡本氏だが、日本は世界と比べて孤独対策後進国だと指摘する。

岡本「いま、孤独は世界で最も注目されているトレンドワードの一つです。連日、海外のメディアでは、『孤独は現代の伝染病である』とか、『早急に対策を考えなければいけない』といった報道がなされているのですが、日本ではそうした意見はあまり目にしません。むしろ、孤独を好意的に捉えている人も多いように感じます。

もちろん、自分の時間を大切にするための孤独は良いものだと思います。ですが、孤独と自立を一緒くたに一切合切肯定してしまうのは、危険な側面もあるのではないか、というのが私の意見です。

孤独の危険性を知らないままだと、誰の手も差し伸べられず本当に困っている人たちに対し、社会的に何の対応もできず、自己責任の一言で片付けられてしまう恐れがあります。そうならないためにも、私は孤独について発信活動をしています」

そもそも孤独とは、どのような状態のことを指すのだろうか。

岡本「語源を辿れば孤独の『孤』というのは、『みなし子』という意味なんです。なので孤独は、みなし子のように誰にも頼れず、支えてくれる人がいない、とても不安な状態のことを指します。ただ日本の場合は、一人で自分の時間を楽しむ、といった文脈でも孤独が使われるので、本来の意味が曖昧になってしまっている部分があります。

では海外ではどうなのかと言うと、孤独には、『solitude』と『lonliess』の2種類があります。前者はソロ、一人で楽しい状態。後者は一人で辛い状態を指し、決してポジティブな文脈では使われません。日本語的に言えば、選択的孤独なのか、絶望的孤独なのかを見極める必要があるのです」

孤独と依存の関係性

孤独は人種を超え、伝染病やガンといったように、心と身体を蝕む病であり、社会的影響も及ぼすと岡本氏は述べる。

岡本「孤独になってしまう人は、依存しやすい、という特徴があります。例えば、アルコール依存症や、ゴミ屋敷に住むのを止められない、などです。よく周囲に依存していないことが自立的であると考えてしまいがちですが、実際は、極端な依存先がある人ほど孤独な状態である場合が多いですね。

ここで気を付けておきたいのは、依存先を求めてしまうことは、人間にとって異常なことではなく、正常な生理現象であると認めることです。人間は社会動物であり、繋がりのなかで生き、生かされています。独りきりで生きていけるほど強い生き物ではありません。そのため、極端な孤独になってしまうと、自然と極端な依存先を求めてしまうのです。喉が渇いたときに水が飲みたくなるように、誰かと繋がりたいと思うことは自然なことなのです。

孤独の社会的な影響という側面で言えば、社会全体が「独りは良いことだ」という価値観が浸透してしまうと、本当の意味で孤独な人の状況を手助けする雰囲気にはなりません。人は、人との繋がりの中でコミュニケーションの仕方や折り合いを見つけ学んでいくものですが、独りでいることしか知らない人にとっては、どのように他人と接触して良いのか分からず、ゾンビのように社会を徘徊しているようなループに陥る可能性があります」

人間関係が可視化される若者の孤独

孤独に悩まされると聞くと、私たちは高齢者が悩みを抱えているイメージがあるのではないだろうか。しかし、岡本氏は、若い世代にも孤独は同様に深刻な問題であると指摘する。

岡本「デジタルネイティブ世代と呼ばれる若者は、また中高年とは違った孤独のかたちがあるのではないかと思っています。インターネットで常に繋がってはいるけど、リアルではどうなの?というギャップを持っている人はいますし、リアルでのコミュニケーションに苦手意識を持っている若い人も多いようです。繋がっていないことに対する恐怖や不安感は、昭和世代よりも強いなと、自分の周りの子どもなどを見ても感じますね。

なぜそうなってしまうのかと言えば、大人になると生活が仕事中心となり、特別に強い繋がりが無くても社会の中で承認された存在になれます。ですが、10代や20代は、周囲との繋がりそのものが生活の質とアセットになってしまい、それが可視化されるSNSでの『いいね』の数によって格差やコンプレックスを感じやすい社会を作り出してしまっているのではないでしょうか。

また若い人にとっては、恋愛や結婚も気になるトピックかと思います。ですが、私にとっては、結婚しているとか恋愛をしているとか、家族がいるか、などは孤独の問題とは関係がないと思っています。

基本的に孤独というのは、自分の求めている人間関係と、現実の人間関係との間に、どれくらい乖離があるかが問題になります。なので、独身だけどもいつも一人でいるのが好き、という人にとっては、孤独とは言えないのです。

日本の場合は旧来、家族が孤独のセーフティネットとして機能してきた側面がありました。なので、国としても家族で孤独を防止しようとする動きもあるようですが、今後3〜4割結婚しないと言われている時代に、果たして家族や恋人だけが孤独防止装置になるかと言えば、そうとは限らないのではないでしょうか」

すじこ的孤独よりも、弱いつながりを

では、どのようなものが孤独防止装置となり得るのだろうか。岡本氏は、組織の中だけの関係性に留まらず、自ら弱くても複数の繋がりを持つべきではないかと提唱する。

岡本「日本の社会は、会社のような擬似的コミュニティを自分が所有している繋がりだと思ってしまう傾向にあります。もちろんそのコミュニティがうまく機能している時は、孤独感はありません。しかし、一度それらが無くなってしまうと、途端に一人ぼっちになってしまいます。私はそれを、薄い膜が切れるとバラバラの粒になってしまうすじこに例えて、『すじこ的孤独』と表現しています。

すじこ的な生き方よりも、蜘蛛の巣のような、弱いけどいろいろな方向に糸が伸びていくような関係性を築いていくのが、この時代には適しているのではないかと思っています。たとえ弱い繋がりだったとしても、自分が望んだ人たちと繋がることで、それは心と身体のセーフティネットになります。ポイントは、自分の心地よさを第一に考えることですね。

なのでこれからは、会社だけ、家庭だけ、に所属するコミュニティを限定するのではなく、広く色々な人とお話をしたり、助けてもらうことが大事なのではないかと思います」

孤独は自己責任ではない

とは言え、他者を頼るのが苦手な人もいるのではないだろうか。

岡本「確かに、人に何かをお願いしたり、助けを求めることに対して抵抗がある人が大勢いることも分かります。特に中年男性は、プライドがどうしても邪魔をしてしまう、というケースもあるでしょう。

いまの若い人は、リアルでのコミュニケーションが苦手な人もいる一方で、オンラインでの繋がりは得意な傾向にあると思います。昔のように、繋がったり群れたりはカッコ悪い、という価値観が薄れてきているのではないかと。先ほども言ったように、人間はそもそも弱い存在です。なので、それで良いのではないでしょうか。

困ったら色々な人に頼ったり、相談してもいい。孤独になるきっかけや要因は様々です。誰にでもいきなり孤独になる可能性はあります。それを救う社会的なシステムを皆で考えるべきであって、孤独それ自体を自己責任であると考え、強がるのは違うのかなと思います。

自分の弱さを認め、周囲を頼れるような社会をつくっていく。そういった考え方が、私たち日本人が今後、社会問題である孤独と付き合っていくカギとなるのではないでしょうか」

取材・文:花岡 郁
写真:國見 泰洋

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