経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに発表している「学習到達度調査(PISA)」。2019年12月に最新版(2018年調査分)が発表され国内外でさまざまなメディアがその結果を報じた。
同調査は、各国の義務教育修了段階にある15歳を対象に「数学的リテラシー」「読解力」「科学的リテラシー」の3分野の学習到達度を評価。
日本は数学と科学においては常にトップ10内にランクインし、最新の2018年版でも数学6位、科学5位という好順位を維持した。しかし、読解力が前回の8位から今回15位に下落。
日本の読解力は2000年の第1回調査で8位だったが、2003年の第2回調査時には14位に下落、さらに2006年に15位に下がった。
これは日本国内で「PISAショック」と呼ばれ、文部科学省が「脱ゆとり教育」路線を本格化させるきっかけになったといわれている。その後、読解力は2009年に8位、2012年に4位まで回復。しかし、前回の2015年調査では再び8位に下落、そして今回15位という結果になった。
このようにPISAが発表される度に、順位が上がった下がったということが話題になる。これは日本に限ったことではなく、PISAの調査対象となっている国(2018年は79カ国)の多くで起こっていることだ。
またPISAの結果によって各国では教育議論が起こり、「脱ゆとり教育」促進に寄与したように教育政策に何らかの影響を与えることも少なくない。
PISAの存在意義は、学習到達度の国際比較により各国の教育方法を改善し、標準化することにあるという。
しかし一方で、PISAの調査結果は不完全であり、それを盲信することの危険性を指摘する声や標準化によって教育の多様性を失う可能生を指摘する声が上がるなどPISAが抱える問題は少なくないようだ。
これは英ガーディアン紙や米フォーブス誌、ワシントン・ポスト紙などさまざまな大手メディアでも取り上げられ国際的な問題となっている。
PISAを取り巻く賛否の議論。どのような議論が巻き起こっているのだろうか。
PISA、最新ランキングで1位独占した「中国都市グループ」
そもそもメディアで度々取り上げられるPISAとはどのような調査なのか。
調査対象となる国の15歳の問題解決能力と認知能力を測る同調査。数学、読解、科学の3分野でそれぞれ2時間の自記式試験が行われる。複数選択式と全記述式の問題で構成されている。過去には手書きで実施されていたが2015年からパソコン入力方式に変更されたようだ。
2018年調査で参加した学生数は計79カ国(OECD加盟国37カ国、非加盟42カ国・地域)の約60万人。日本からは183校から約6,100人が参加した。試験結果は平均が500点になるように計算され発表される。
最新版のランキングでは中国の躍進が顕著だった。
数学リテラシーの1位には「北京・上海・江蘇・浙江」の中国の都市グループがランクイン。次いで2位シンガポール、3位マカオ、4位香港、5位台湾、6位日本、7位韓国、8位エストニア、9位オランダ、10位ポーランド。
読解力でも「北京・上海・江蘇・浙江」が1位だ。以下、2位シンガポール、3位マカオ、4位香港、5位エストニア、6位カナダ、7位フィンランド、8位アイルランド、9位韓国、10位ポーランド。
科学的リテラシーでも1位は「北京・上海・江蘇・浙江」。次いで、2位シンガポール、3位マカオ、4位エストニア、5位日本、6位フィンランド、7位韓国、8位カナダ、9位香港、10位台湾。
中国はかつて上海をPISAの調査対象都市としており、2009年と2012年の2回の調査では数学・読解・科学3部門すべてで1位を獲得。その後2015年には上海だけでなく、北京、江蘇、広東を調査対象に加えた。
しかし、この都市グループは、数学6位、読解力27位、科学9位と上海単体に比べ順位が大きく落ち込む結果となった。
中国・上海、地下鉄で宿題をする学生(2018年5月)
「国際比較」難しいPISA調査
PISA批判の1つがその比較整合性に対するものだ。
もともと国際比較をするための調査だが、上記のランキングを見て分かる通り、一部の国は国全体のスコアであるのに対し、中国は都市別になっているのだ。
国際比較ということは、文字通り国と国の比較である。一定のサンプル数から当該国の15歳の学習到達度はどのようなものなのか、国全体ではどのよう教育水準なのかを測るべきなのだが、一部の国は教育水準の高い都市部のみを恣意的に選択し、スコアを高く見せようとしている。
フォーブス誌への寄稿論文で地理戦略分析コンサルティング会社Wikistratのシニアアナリストのゲイリー・サンズ氏が指摘するところでは、PISAの調査において、中国では教育水準が高い上海や北京が選ばれ、さらにその中でも特に優秀な学生のみが選出されているという。
また同氏によると、マレーシアでも同様のことが発覚。地元議員オン・キアン・ミン氏が同問題について口火を切ったという。オン氏が指摘するところでは、PISA2015年調査において、教育水準の高い学校の学生が不自然に多く含まれていたというのだ。
同年マレーシアからは計8,861人の学生がPISA調査に参加。そのうち裕福で教育水準が高いとされる学校から約30%を占める2,661人が参加したという。しかし、これらの学校に通う生徒の割合は同国15歳全体の3%にすぎない。
2018年調査の3部門すべてで首位となった中国都市グループ。さまざまなメディアで報じられたこのランキングによって、世界中で中国の教育システムが優れているという印象を持った人は少なくないはずだ。
しかし、PISAのランキングが示すのはあくまで上海、北京、江蘇、浙江の4都市の状況であり、中国全体の教育を示すものではない。中国では3分の2近い子どもたちが地方に住んでおり、それらの地域における出席率は40%ほどといわれている。
また中国科学技術協会の調査によると、2015年同国全体で科学リテラシーを持つ人々の割合は6.2%でしかないことが明らかになっている。さらに中国では、詰め込み式教育の弊害や子どもたちのストレス増大問題が指摘されるなど、同国の教育にはさまざまな問題が山積している状態だ。
中国・江西省の中学校の様子(2018年4月
PISAの結果やこれらの事実から分かるのは、上海や北京など中国都市部では教育水準が高いであろうこと、一方で都市部に比べ地方の教育水準は低く、都市と地方の教育格差は非常に大きいだろうということだ。PISAの結果が「中国全体の教育水準」をあらわすものではないという点は留意が必要だ。
こうしたことを踏まえると、PISAの「国際比較ツール」としての存在意義はあまりないといえるかもしれない。都市なら都市、国なら国どうしで比較しなければミスリーディングな意思決定につながりかねない。
未来の教育を考える「たたき台」としての役割
PISA批判の急先鋒の1人が米カンサス大学教育学部の特別教授ヨン・チャオ氏だ。
PISA最新版が発表された2019年12月3日、その翌日付けのワシントンポスト紙はヨン教授のPISA批判論文に焦点を当てた長文記事を公開した。
ヨン教授の批判ポイントその1は、PISAの主張には妥当性が欠けているというもの。
PISAの主張は、それが現代社会または未来において必要となる知識とスキルを測っているというものだが、この主張は経験的エビデンスに基づくものではないと指摘している。
現代社会、そして未来において必要な知識・スキルとは何か、またそれらは本当に必要なものなのか、などについて実証する研究やデータはないというのだ。
またPISAは、それが測る知識・スキルが長期的な経済成長に寄与する可能性があると主張しているが、この点についても経験的エビデンスが欠如していると指摘。
2010年に発表されたPISAの重要性を説くレポート「PISA The HIgh Cost of Low Educational Performance」は、今後20年でOECD諸国のPISAスコアを25ポイント高めることができれば、GDP換算で100兆ドル以上の価値を生み出す可能性があると主張。
この主張を導く論拠として用いられたのが、1964〜2003年に任意の国々で実施された国際テストの推移とその国々における1960〜2000年の経済成長データ。その関係からPISAとGDPにも正の相関があるとの結論が導かれたようだ。
しかし批判側からは、国際テストを受けたのは子どもたちであり、労働市場に入り経済に影響を及ぼすまでの時間差が考慮されておらず、その主張には妥当性が欠如しているとの批判があがっている。
2000年第1回PISA調査で、数学1位・科学2位だった日本と数学2位・科学2位だった韓国。両国における現在の経済状況を鑑みると、時間差を考慮したとしてもPISAとGDPに強い関係があると主張するのは難しいのかもしれない。
現在も数学・科学で好順位を維持する日本と韓国だが、両国では若者の自己肯定感が他国に比べ低くなっているなど、PISAの高スコアと若者の幸福感における負の相関を指摘する論者もいる。
チャオ教授はこのほか、PISAの「教育」視点には、文化・政治・宗教などの多様性が含まれていないことや教育の目的が経済に過度に偏りすぎ「教育」の考えが歪んでいるとの批判を展開している。
このような批判点を考慮すると、PISAの結果が何をあらわしているのか注意深く考える必要があるといえるだろう。
その存在意義については賛否分かれるところであろうが、多様性や経済以外の要素を踏まえ未来の教育はどうあるべきか、その議論を巻き起こす「火付け役」としての存在意義は大きいといえるのかもしれない。
文:細谷元(Livit)