「静寂需要」高まる、都会の騒音がもたらす知られざる健康被害

進む都市化と軽視される「騒音」問題

国連の推計によると、2018年世界の都市部に住む人口の割合は55.3%だった。都市部への人口流入は止まらず、この割合は2030年には60%に達する見込みという。

急速・過剰な都市化は環境や健康にさまざまな問題を引き起こすため、SDGsの観点からも多くの人々の関心が高まっている領域となっている。

たとえば、ごみ問題、水質悪化、交通渋滞、犯罪率の増加などが挙げられる。これらは目に見える問題。都市化にともない顕著になるため、人々の関心事になりやすい問題といえるだろう。

一方、目に見えない問題は人々の関心事になりにくく、放置されやすい。その1つが都市化にともなう「騒音問題」だ。

都市部に住む人々は常に何らかのノイズにさらされている状態。朝の通勤・通学や帰宅のときには自動車や電車の音、会社・学校においても何らかのノイズにさらされている。家にいるときでさえ、テレビやスマホなどからノイズが発せられており「静寂」の一時を得ることはほとんど不可能だ。

騒音を常に受け続けることは、健康状態を悪化させている可能性がある。

騒音問題に取り組むヘルスケア団体Quiet Coalitionの会長ダニエル・フィンク医師は、英ガーディアン紙の取材で騒音によって心身の健康状態が悪影響を受ける可能性があると指摘。

高血圧、糖尿病、肥満、心臓病、卒中の原因にさえなり得ると警告。また強い騒音環境にいると、うつや不安症にかかる可能性が2倍高まるとも述べている。

ニューヨークでは年間20万件以上の騒音関連の苦情が寄せられている。騒音によって生活の質が下がることは容易に想像できるが、それが心身の健康状態に悪影響を及ぼすと考える人は少ないようだ。

騒音が及ぼす健康被害に関しては、全体的に研究が少ないとされているが、一部の研究者らが興味深い調査結果を公表しており、騒音と健康の関連について考えるきっかけを与えてくれる。

医学誌Journal of the American College of Cardiology(2018年2月号)に掲載された論文「環境騒音と心臓血管システム」によると、騒音がひどい環境にいると「ストレスホルモン」と呼ばれるコルチゾールが体内で過剰に分泌し、血管を傷つけ、高血圧や心臓発作、冠状動脈疾患などにつながる可能性があるという。

また、飛行機や自動車の騒音と肥満に関連性があると指摘する論文や道路の騒音が糖尿病リスクを大幅に高めるとする論文などが発表されている。

60デシベル以上は危険水準? 健康に悪影響を及ぼす音量とは

どれほどのノイズが危険水準とされているのか。この点については専門家の間でも意見が別れており、統一された見解はないようだ。

WHOは「Make Listening Safe」という難聴予防キャンペーンを実施した際、85デシベル以上を危険水準と設定。85デシベルの音量を聞く時間は1日8時間以内に抑えるべきと説明している。

WHOによると、85デシベルは自動車の騒音レベル。この水準の騒音を8時間以上聞くと難聴になる可能性が高まるという。またこれより大きな音量の場合、許容時間はどんどん短くなる。

たとえば、自動車よりうるさい芝刈り機の音量は90デシベル。1日の許容時間は2時間30分に縮まる。100デシベルのドライヤーの場合、許容時間は15分。110デシベルの電動ノコギリは30秒だ。


WHOによる音量危険水準(WHO「Make Listening Safe」レポートより)

一方、60デシベル以上が危険水準だと指摘する専門家もいる。ドイツ・マインツ大学メディカルセンターのトーマス・ミュンツェル医師はガーディアン紙の取材で、60デシベル以上で心臓病のリスクが高まると述べている。

米国では「National Transportation Noise Map」などで交通騒音レベルを確認することができる。ニューヨークを見てみると、空港周辺で85〜90デシベルの高い数値があらわれている。


ニューヨーク周辺の交通音量レベル(「National Transportation Noise Map」より)

ドイツのスタートアップMimi Hearing Technologyが世界各都市を対象に実施した騒音レベル/難聴割合調査は、世界の騒音状況を俯瞰する上で大変参考になる。

同調査によると、騒音などが理由で難聴になった人の比率がもっとも低い都市はオーストリアのウィーン。騒音レベルが低く、住民の聴覚は健康的であることが示唆された。

一方、難聴比率がもっとも高かったのがインドのデリー。交通渋滞やけたたましいクラクションなどよって人々の聴覚はかなり不健康な状態にあることが示された。

同調査は、都市別の騒音公害についても分析を行っている。騒音公害の件数がもっとも少なかったのはスイス・チューリッヒ。一方、騒音公害件数が最多だったのは中国・広州市。

同社はこのほか世界国別「Hearing Index」を公表。聴覚の健康状態が良い国と悪い国の比較を容易にしている。指数が高いほど、聴覚の健康状態が良好であることを示している。Hearing Indexが最大だったのは、2.65ポイントのカナダ。2位は2.28ポイントで日本がランクイン。

このほかオーストリア、スイス、ルーマニア、ドイツ、スウェーデン、フィンランドなどが好順位となった。一方、ワーストは、−12.85ポイントでインド。またUAE(-7.89)やトルコ(−7.84)、イスラエル(−6.44)なども低い数値を記録する結果となった。

「サイレント・リトリート」需要の高まり

うるさい都市部での生活から抜け出し、静寂を求める「サイレント・リトリート」や「メディテーション・リトリート」と呼ばれるスタイルの旅行需要が高まりつつある。

フォーブス誌(英語版)は2019年11月に「世界ベスト・メディテーション・リトリーツ」と題した記事を公開。

静けさや精神的な充実を求め旅行する人々が増えつつあると述べた上で、カナダのOntario Vipassana Center、タイのWat Suan Mokkh International Dharma Hermitage、バリのBali Eco Stay、ポルトガルのShamballah Yoga Retreatなど世界各地のリトリート先を紹介している。


Bali Eco Stayウェブサイト

一方、ガーディアン紙は2019年1月に公開した「英国・欧州のベスト・メディテーション・リトリーツ トップ10」の中で、欧州・英国のヨガ・瞑想リトリート先を紹介。ギリシャのレフカダ島、フランスのドルドーニュ、イタリアのアッシジなど、あまり聞き慣れない地名が紹介されている。

またシンガポールに拠点を置くChannel News Asiaでは2018年4月、バリの宿泊施設「Bali Silent Retreat」の特集記事を公開。質素であるが、都会では味わえない静寂を体感できることの価値を説いている。


Bali Silent Retreatウェブサイト

騒音公害による健康被害に対する人々の認知が高まっていけば、静寂を求める需要は今後ますます高まっていくことが考えられる。静かな場所ほど価値が高まるという現象がこれから見られるようになるのかもしれない。

文:細谷元(Livit

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