日本マイクロソフトが働き方改革の一環として週休3日制を導入し、従業員の生産性が40%上がったとの報告書が11月に公表された。この結果に「何と羨ましい」「やっぱり長時間労働は害が大きい」と日本人以上に熱く反応したのが、中国メディアやネットユーザーだった。
中国では今年、「996」と呼ばれる長時間労働の是非が国民的話題になり、このほど発表された「2019年の十大流行語」にも選ばれた。働き方改革が進む日本とは逆行した動きが進んでいる。
「朝9時から夜9時まで、週6日働く」ことを意味する「996」は、12月に発表された中国の2019年流行語トップ10にもランクインされるなど、広く議論を呼んだ。
日本マイクロソフトの週休3日制に感慨
中国のEC企業で、出店企業の日本展開をサポートしている劉陽さん(仮名、24)は、日本マイクロソフトの週休3日制のニュースを見てとても驚いた。劉さんは2年前に中国の大学の日本語学科を卒業。日本企業でのアルバイト経験も豊富だ。
「日本企業は終身雇用、年功序列、残業のイメージが強くて、日本語専攻の学生たちの間でも敬遠されていた。日本に交換留学したときはコンビニでバイトしたけど、オーナーの働き方を見て、日本企業ではとてもやっていけないと思った」
中国のユニクロでアルバイトしたときは、店長が『激務で半年で15キロ痩せた』と話しているのを聞いて、恐怖を覚えたという。
「働き方改革という言葉は知っていたけど、日本はそんなに状況が変化しているんですねえ」と感嘆した劉さんは、「中国はむしろ、ちょっと前の日本みたいになってますよ。僕の従兄も大変そうです」と話した。
通勤時間惜しみ職場近くで夜勤警備員の副業
北京市は家賃も高く、会社の近くに住むことも難しい。996で働く若いビジネスパーソンに、通勤時間の長さも追い打ちをかける。
劉さんの従兄、丁強国さん(仮名、28)は北京にある大手不動産企業でグラフィックデザイナーをしている。丁さんによると不動産企業も物件のマッチングや査定などでIT化が進み、本社部門はIT企業のようになっているという。
丁さんの月収は2万元(約32万円)。「高卒にしては高い方ですが、深夜0時すぎまで働いて、相乗りタクシーで帰ることが多いです」という。
丁さんは最近、同じ会社に勤めるITエンジニアが、副業で隣のビルの夜間警備員をしていることを知った。
「タバコを吸いに外に出たときに警備員姿の彼とばったり会って、びっくりしました。会社と家を往復する時間がもったいないから、ベッドで仮眠が取れて、夜食と朝食が出て、小銭も稼げる警備員になったそうです」
浮き彫りになったカリスマ起業家と若者の温度差
ライバルとの激しい競争や急激な事業拡大に直面する中国のIT企業は、長時間労働が常態化しており、2016年に「午前9時から午後9時まで、週6日働く」という意味の「996業務制」という言葉が登場した。地図会社の高徳地図や清華大学などが2017年に発表した「企業残業ランキング」では、中国を代表するIT企業が上位に名を連ねる。
高徳地図、清大学などが2017年1月にまとめた「2016年度交通報告」より作成。
IT業界の業界用語だった「996」という言葉は2019年、ある動きがきっかけで一気に広がり市民権を得た。
中国人プログラマーたちが今年初め、苛酷な労働実態を訴えたり、是正を求めるためにプロジェクト「996 icu」を立ち上げたのだ。「icu」は文字通り集中治療室を指し、「996で健康を害した人々を救済する」という意味が込められている。
「996 icu」の活動が話題になると、今度は著名経営者から「996」を擁護する意見が挙がるようになった。
アリババ創業者のジャック・マー氏は社内の交流会で、「他人を上回る努力と時間の代償を払わなければ、自分が望む成功は手に入らない。アリババでは1日12時間働くことを覚悟してほしい。1日8時間働きたい人はいらない」と発言。だが、彼の言葉が伝わると、SNSでは「時代遅れだ」「がっかりした」などと批判が噴出した。
カリスマ経営者のマー氏も、かつてないレベルの批判にひるんだのか、その後「996は不健康で持続できない働き方だ」と意見の修正を余儀なくされた。
スマホメーカー大手シャオミ(Xiaomi、小米科技)の雷軍CEOも社内で「996なんて甘すぎる。Xiaomiに必要なのは7127(7時から深夜12時まで、週7日働く従業員だ」と発言したことが、社員に暴露され非難を浴びた。
省エネモード、「ほどほど」でいい中国の20代
「996」問題は、IT業界のカリスマ経営者と労働者の温度感の不一致を浮き彫りにした。
中国では2018年、「仏系青年」という言葉が流行した。共産党系メディアの人民日報の解説によると、仏系青年とは「こだわりもやる気もない。何か聞くと『何でもいい』と答える若者たち」を指し、現代の速すぎる生活リズムや激しい競争、プレッシャーで疲弊した90後(1990年代生まれ)の、社会に対する一つの対処法でもあるという。
日本で言えば「さとり世代」といったところだろうか。
ネットや中国経済の急成長期に起業し、たくさんのチャンスをつかみ、欧米企業を迎え撃ちながら会社を大きくしてきた30代後半から50代の中国人と、省エネモードでほどほどの生活を望む20代の「仏系青年」では、「996」の捉え方が天と地ほど違ったのだ。
ブラックというわけではない
一方で、「996」の当事者の中には「納得づくで働いている」という声も少なくなく、「996=ブラック企業」というわけでもないようだ。
外資コンサル企業に勤める深セン市在住の女性(32歳)は、「996なんてまだいい方で、私のクライアントはだいたい997ですよ。コンサルの私も当然、朝夕週末関係なく呼び出されます」と話した。この女性の年収は日本円にして850万円。家賃1万元(約16万円)の高級マンションで暮らし、連休が取れれば海外旅行に行く。
「仕事のストレスは大きい。けど、結婚・出産の前に市場価値を上げたい。よい条件で転職するためにも今が頑張りどころだと思っている」
従業員の平均年収が1,000万円超と推定される通信大手のファーウェイ(華為技術)は、「職場に仮眠用のマットレスがある」「45歳定年説」など、モーレツぶりを伝える逸話には事欠かない。
ファーウェイの30代社員は、「45歳で定年という制度は実際にはないけど、がむしゃらに働き成果を出す人以外は、自然と淘汰されるのは確か。だから社員の平均年齢は若い」と明かした。
同社は昨年、本社から車で1時間ほど離れた東莞市に研究開発拠点を建設し、約3万人がオフィスを移ることになった。この社員は「家族がいる人にとっては、迷惑な話ですよ。だけど、長時間労働も、意に添わぬ引っ越しも、待遇の良さを思えば理不尽までは感じない。年金(持ち株の配当金のこと)も手厚いですし」と話した。
深セン市内の朝の風景。同市はIT企業が集積し、「996」の働き方を選択せざるをえない人々が少なくない。(浦上早苗撮影)
ある中国人ブロガー(30歳)は、「996企業で1カ月働いてみた」体験をブログにこうつづっている。
「働いているエンジニアたちにとっては退社時間が18時であっても、21時、もしくは23時でも大差はないらしい。彼女もいない独身の男ばかりだからだ。IT企業は給料がいいし、技術の変化のスピードが速いから、彼らは『35歳になるころには自分のスキルが使い物にならなくなる』という危機感を持っている。だから夜遅くまで働いても、朝早く起きて勉強している」
ブロガーにとって意外だったのは「仕事の時間は長いが、職場の雰囲気は意外にも明るく、皆楽しそうだった」ことで、家族との時間を大切に思い、話題になっているレストランで食事をしたいと考える自分とは、人種が違うとの結論に至ったという。
「996」を巡る議論からは、世間から一括りにされる「90後」の中でも、相反する価値観が拮抗していることも鮮明になったのだ。
取材・文:浦上早苗