「僕がいなくても会社は回る。自分にしかできない仕事を。」30歳で独立した、注目の陶芸家の“はたらく意味”とは。

様々な大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。今回は、400年の歴史を持つ陶磁器の街、長崎県・波佐見町に生まれ育った、陶芸家の石原亮太さん。

小さな頃から慣れ親しんだ陶芸を仕事にするべく、焼き物の学校に進学、さらに海外留学でデザインを学びますが、陶芸家としての働き方に疑問を感じ、一旦は一般の企業へ就職。

その後、「自分にしかできない仕事がしたい」という想いから、30歳を目前に陶芸家として独立されます。“美味しいものを美味しく食べるための器作り”をコンセプトにされている石原さんの、陶芸に対する想い、陶芸家として社会に参加する意味についてお伺いしました。

陶磁器の街・波佐見町に生まれ、子どもの頃から慣れ親しんだ陶芸の道へ

——今、どんなお仕事をしていますか?

石:福岡県糸島の「Pebble Ceramic Design Studio」という屋号で、陶芸家として作品を作っています。

また、陶磁器メーカーのデザインや、器の絵付けをベースにしたテキスタイルデザイン、パッケージのデザインもやらせていただいています。

他には外部の異素材の商品開発なども行なっています。

——「Pebble Ceramic Design Studio」ではどういった器を制作されているんですか?

石:“美味しいものを美味しく食べるための器作り”をコンセプトに、日々の食卓の中でお料理をさらに美味しく感じられるような器を主にデザインしています。

——陶芸以外のお仕事ではどういったものを手掛けていらっしゃいますか?

石:文具メーカーのキングジムさんが運営するブランド、「HITOTOKI」の商品開発に携わり、「hacobuchi」という箱型の額縁のアートカードを陶板で作成しました。

また、「KITTA」という使い切りサイズのマスキングテープのイラストも陶板で手掛けています。表面加工も釉薬のように艶があり、仕上がりもとても満足しています。

また、ネットショップLOHACOで限定販売している、カルビー「フルグラ」のパッケージイラストなども担当しました。こちらは大変好評をいただき、「Top awards Asia」というパッケージの賞を受賞することができました。

——陶芸家としてご活躍されるまでの、経歴を教えていただけますか?

石:佐賀県立有田工業高等学校の窯業科を卒業後、有田窯業大学校という焼き物の専門学校に進学しました。在学中には交換留学制度を使い、ドイツハレ芸術大学デザイン大学へ留学をしました。

卒業後は福岡県にあるインテリア雑貨の卸販売や雑貨店を運営する会社に就職しました。

そこでは店舗での接客業から商品開発、店舗販促物デザインなど多岐に渡って仕事をしました。

2013年に5年半勤めた会社を辞め、独立して「Pebble Ceramic Design Studio」を立ち上げました。

——石原さんはどんな学生でしたか?

石:学生時代は陶芸含め、学業に没頭しましたが、学校で学ぶ範囲には限界があるなと感じていたので、学校以外で勉強することが多かったです。

——学校以外での勉強、というと例えばどういったものでしょうか?

石:父が陶芸関係の仕事をしていたということもあり、コネクションを辿っていろんな陶芸家やデザイナーに話を聞きに行っていました。

陶芸の技術は、実習を重ねた分だけ上達していったので、授業以外でも多くの作品を作りましたね。

ですが、デザインの方法や感覚的な事は授業項目になかったので、独学で様々な手法を研究しました。

——将来のキャリアについて、考え始めたのはいつごろでどんな就活をしていましたか?

石:考え始めたのは高校受験の時です。

「好きなことを仕事にしたい」と思い、窯業科がある高校に入学しました。

——その頃にはすでに、「陶芸を仕事にしよう」とお思いだったんですね。

石:そうですね。父の影響もあると思いますが、小さな頃から「何かを作る仕事をしたい」という気持ちを自然に持っていたように思います。その気持ちを持ち続け、高校受験で陶芸という道を選びました。

——小さな頃から陶芸に親しまれていたんですね。

石:私が生まれ育ったのは長崎県波佐見町という400年の歴史を持つ焼き物の産地です。

父は鹿児島出身でしたが、大学で陶芸に出会い、陶芸関係の仕事への就職のため波佐見に移り住みました。

私にとって、小さな頃から慣れ親しんだ焼き物は最も身近な遊び道具だったと思います。

——遊び道具から自然と焼き物への興味が培われていたんですね。

石:そうですね。とはいえ、子どもの頃から焼き物を作っていたわけではありません。

簡単な粘土遊びや、川に当時よく落ちていた“ハマ”と呼ばれる焼き物の道具で水切りをして遊んでいました。

焼き物が身近にあったことでその世界に入るきっかけにはなりましたが、もし生まれ育った街が違ったら、焼き物の道には進まなかったかもしれません。

——窯業大学校在学中にドイツへ留学されているんですね。

石:はい。僕は生まれてからずっと波佐見町を出たことがなかったので、外の世界を知りたくなったんです。

ちょうど在籍していた学校で交換留学制度が始まり、ドイツへと出向きました。

——ドイツではどういったことを学ばれたんでしょうか?

石:僕が通っていた窯業大学校は、技術的なことをしっかりと教える学校だったんですが、デザインの分野はかじる程度の内容でした。

ドイツでは、デザインの論理的な部分や考え方を多く教えてもらえたと思います。

陶芸を仕事にすることに疑問を覚え、一旦距離を置いた20代

——陶芸に携わる仕事を目標とされ、進学をされていた石原さんが、焼き物の専門学校をご卒業後、一旦会社に就職されたのはどうしてですか?

石:窯業大学校に通うことで焼き物もある程度作れるようになっていましたし、波佐見町という焼き物の産地にいるので、陶芸文化についても知識はあったと思います。

でも、その頃「このまま陶芸を仕事にして良いのかな?」と疑問を感じ始めたんです。

——どういった疑問でしょうか?

石:「僕は焼き物を作ることはできるけど、作ったものを誰がどのように使っているか、ということは全く知らないままなんだな」ということに気づいたんです。

また、焼き物工場に見学に行き、流れ作業のように器がどんどん作られている様子を見て、

モノがモノとしてただ消費されていく虚しさのような感覚を覚えました。

そんなことから、陶芸を仕事にするということに疑問を持ったんです。

焼いて、作って、それで終わりっていう仕事ってどうなのかなと。

「こんな状態で焼き物を作るのは良くないな」とも思ったので、一旦焼き物の世界から距離を置くことにしました。

——その後、一旦就職されるんですね。

石:僕もまだ若くて、「焼き物以外でもやっていけるだろう」という自信がありました。

当時は、焼き物の世界に戻るつもりはありませんでしたね。

お盆休みや正月に帰省するときに、少し土を触ることはありましたが、そこから独立するまではほぼ焼き物はやっていなかったです。

「自分がいなくても会社は回る」。30歳直前で陶芸家として独立へ

——そこから、陶芸家として独立しようと思ったのはどうしてですか?

石:ちょうど30歳になる直前の頃ですね。

就職した会社で働いている時に、「あ、自分がいなくてもこの会社は回っていくんだな」とふと感じたことがきっかけです。

自分一人がいなくなっても、特に誰も困らないし、会社は何事もなかったようにまわっていく。

その時に、「自分にしかできない仕事、自分でなければいけない仕事がしたい」と思い、再び陶芸の道へ戻り、独立することを決めました。

——独立への不安は感じましたか?

石:そうですね。でも、学生時代に一生懸命勉強した焼き物の技術や知識、それに、一旦就職したことで培った流通の経験を活かせるなという気持ちがあったので、不安もありましたが楽しみの方が多かったように思います。

——どんなことを考えていたり悩んでいたりしましたか?

石:自分が社会の中で必要な存在なのかどうか、ということを常に考えていました。

今、陶芸の仕事を通じて微力ながらも社会に対して存在意義を示せるよう、精進しています。

——石原さんが“はたらく”を楽しむために必要なことはなんだと思いますか?

石:社会的に意味のある仕事をすることだと思います。

——どういうことでしょうか?

石:器というものは、まず自分の頭を使ってデザインをし、そして手を動かして器を作り、さらに一緒に作ってもらう職人さんたちと議論を重ね、商品化し、営業をし、販売される、という長いルートを辿って人々の手に渡っていきます。

購入していただいたお客様の元で使用されて初めて、仕事を通して社会の一部、世の中の一部になれたんだ、という実感が湧くんです。

そうやって、社会に参加しているという実感を得られることが、僕にとっての“楽しく働く”ということに繋がっているように思います。

——その実感が石原さんのやりがいにも繋がっているんでしょうか?

石:そうですね。そうやって人々の生活の一部になることは、自分のやりがいというよりも、そもそも僕自身の生きる活力になっているように思います。

——“はたらく”ことに関するご自分のルールや、これだけは譲れないというような思い、信念などがあれば教えてください。

石:焼き物は、一度焼くと元の土には戻りません。

ある意味、環境破壊をしているようなものだと思っています。

そういった意識を常に頭に置きながら、「世の中に出て必要とされる、意味のある物を作らなければならない」という責任感を持つことが大事だと思っています。

——陶芸家として活動する中で気を付けていることはありますか?

石:“普通の人”になるようにすることですかね。

——“普通の人”とはどういった意味でしょうか?

石:世に必要なデザインを生み出していかなければいけない職業ですので、他の人が思いつかないようなことも閃いていかなければなりません。

ですが、そもそも器というのは、日常使いをする方々に向けて作っているので、“普通の人”の感覚を忘れてはいけないと思っています。

——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。

石:自分だけで思い悩んでいると、小さな世界でしか可能性は広がっていきません。

色んな人と話したり、人の話を聞いたりするだけで、世界はとても広がるなと感じます。

何事も吸収力のある20代の若いうちに、多くのことを学んでいってほしいと思います。

石原 亮太さん(いしはら りょうた)
陶磁器デザイナー/陶磁器作家
1983年、長崎県・波佐見町生まれ。佐賀県立有田窯業大学校を卒業後、福岡にてインテリア雑貨の会社で商品開発に携わる。2013年に「Pebble Ceramic Design Studio」(http://pebble-st.com/concept)を立ち上げ独立。

転載元:CAMP
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