様々な大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。

今回は、高校卒業後に海上自衛隊のパイロットとして勤務したのち、30歳を目前に退職、次に挑戦したビジネスプランコンテストで“ほふく前進”を披露したことで人生最大のビジネスチャンスを得て、靴下販売代理店の社長に転身した佐藤禎之さん。

そして現在はオイシックス・ラ・大地株式会社(株式会社とくし丸へ出向)の営業として活躍しています。“記憶に残る男”の行動力、そしてどんどん前に突き進んでいく佐藤さんの突破力の源についてお伺いしました。

「大学には行かない」と決意。
「働きながらお金をもらえる!」とパイロットの道へ。

——今、どんなお仕事をされていますか?

佐:高齢者に向けた移動スーパーの会社で執行役員、営業部長をやっています。

全国で400台稼働(※2019年5月末時点)しており、毎月10台ほど増え続けているのですが、この提携先となる地域スーパーへの営業や、既存提携スーパーへのスーパーバイジングがメインの仕事です。

——佐藤さんは海上自衛隊に入隊されていたそうですね。

佐:はい。高校を卒業後、パイロットになるために海上自衛隊へ入隊し、25歳で任官するまでは、艦載部隊(護衛艦に乗っている対潜哨戒ヘリコプターパイロット)に所属していました。任官してから29歳までは、救難ヘリコプターのパイロット。その後、特殊部隊の幹部要員にチャレンジしましたが、この訓練途中で退職しました。

——なぜ大学進学ではなく、パイロットの道を選ばれたんですか?

佐:高校2年の時に「大学に行くの止めよう」って決めたんです。

——それはなぜですか?

佐:大学に行ったら、みんなと同じ道を進むだけで、自分が差別化できなくなると思ったんです。

みんなより早く社会へ出て活躍すれば、それだけ差を作れるそう思って、何の世界で活躍したいか、自分の夢は何なのか、を考えたんです。

そこで思いついたのが、小さな頃の夢だったパイロットへの道でした。

——「早く社会に出て活躍したい」という気持ちから、パイロットの道を選ばれたんですね。

佐:はい。当時パイロットになるための方法は3つ。航空大学校、海外で免許取得、自衛隊。

航空大学校や自社養成は、大学を卒業してから進む道ですし、海外に行って免許をとるお金はありませんでした。

自衛隊はお給料をもらいながらパイロットになれ、社会で活躍もでき、夢も叶えられる

「これしかない!」っていう感じでしたね。

——そこから30歳まではパイロットとして活躍されるんですよね。

佐:はい。パイロットの仕事は本当に楽しかったし、やりがいもありましたが、30歳を目前に司令から呼び出され、日本最強特殊部隊である特別警備隊から誘いが来たというお話をいただいたんです。

30代はビジネスに挑戦したいと以前から考えていたので、何かのご縁と思い、このチャレンジを機に退職しました。

——なぜ30代はビジネスを始めようと考えられていたんですか?

佐:任官した2000年頃は、ベンチャーブームで若手起業家がどんどんメディアに出ていた時期でした。ゼロからイチを作り、社会に貢献している彼らがものすごくカッコよく見えたんです。

自衛隊は収入も立場も安定していますが、もっと人生を賭けてチャレンジをしてみたいという気持ちが湧いてきたんですよ。

ビジネスに関する知識もコネもなく、やることも決まっていませんでしたが(笑)、思いきって退職しました。

——退職された時、不安ではなかったんですか?

佐:なぜでしょう、不安は全くありませんでした(笑)

タリーズコーヒージャパンの創業者である松田公太さんが、「タリーズを立ち上げる時に7千万円の借金を抱えたけど、コンビニで35年働けば返せるから大丈夫」って本に書かれていたのを読んで、「死ぬわけじゃないんだから」という気持ちでした。「よし、やってやろう!」という感じでしたね。

ビジネスコンテストの決勝戦。
ステージ上で突然“ほふく前進”を披露し、社長の道へ

——その後、どのようなキャリアを歩まれていくのでしょうか?

佐:自衛隊を退職後にビジネスプランコンテストに出場し、そこで審査員として来場されていたタリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さんと知り合い、当時松田さんが目をつけていたアメリカの靴下ブランド「リトルミスマッチ」の日本代理店の社長になりました。

——自衛隊から社長へ!コンテストの出場者であった佐藤さんが、なぜ松田公太さんとビジネスを始められることになったんですか?

佐:ビジネスプランコンテストの決勝戦は、1千人の観客と、当時活躍していたベンチャー経営者の前でプレゼンをするというものだったんです。

そこで僕は、ただプレゼンするだけじゃ目立てないなと思って、ステージで“ほふく前進”をやったんです(笑)

——なぜほふく前進を!?

佐:だって審査員の皆さんはプロのビジネスマンなわけですから、その人たちの前でビジネスについてプレゼンしたところで、よほどのことじゃないと声はかからないですよね。

彼らの“記憶に残る方が得策だ”と思ったので、ステージ上で自衛隊の経歴を話して「今からほふく前進やります!」って宣言してパフォーマンスしたら、大いにウケました。

——狙い通り記憶に残ることができたんですね!

佐:そうだと思います。コンテストの後に、審査員の皆さんに「一度お会いしたいです」と書いたお手紙を送りました。

そうしたら半年後、知らない番号から着信があって。

電話に出たら「タリーズの松田です。机の引き出しを掃除していたら君の手紙が出てきたんだけど、今から会える?」って。

——いきなりですね!

佐:すぐに松田さんの元へ行ったら、机の上に靴下が並んでいたんです。

なんでこんな所に子どもの靴下があるんだろう?と思っていたら、「これ、日本で流行ると思うんだよね。やらない?」って言われたので、「もちろんやります!」と答え、社長になったというわけです。

——自衛隊から靴下の販売代理店の社長への転身ですね。

佐:プラザ(当時ソニープラザ)さんへ商品を卸したり、横浜の赤レンガ倉庫や六本木ヒルズへの出店、原宿に路面店なども出したりすることができて上り調子だったのですが、37歳の時に、輸入元の会社が倒産してしまったんです。

自転車操業で会社経営をしていたので、そのあおりを受けて、店舗クローズなどの整理を数年かけて行いました。

——事業の整理を行ってから、次はどういった働き方をしていかれたんですか?

佐:その時期に、前から定期的に経営について相談させていただいていたオイシックス株式会社(現オイシックス・ラ・大地株式会社)社長の髙島宏平さんから、「うちでサラダを始めるから手伝わないか」とお声がけいただき、サラダ専門店のポップアップショップなどを手がけました

その後、オイシックス・ラ・大地株式会社が、株式会社とくし丸を買収するタイミングで、髙島さんに「とくし丸に来ないか」とお誘いいただいたんです。

自分の強みを活かしながら、足りない部分は学ばせていただこうと思い、株主である松田公太さんの了解を得て、転職しました。

——どういった所が佐藤さんの強みなのでしょうか。

佐:突破力と諦めない力だと思います

仕事って、結果が全てですが、自分にしかできないことをやらないと意味がないと思うんです。

普通の営業方法で契約できれば良いですが、それが難しそうな時、どうやって自分の武器を使って相手の懐に入っていくかを考え、結果に繋げていくように心がけています。

普通であれば手詰まりな課題を、諦めずに突破していく力が自分の強みだと思います。

「今楽しいか」よりも、
「苦しい時期こそ将来のためになる」と信じて踏ん張る

佐藤さんが、“はたらく”を楽しむために心がけていることはありますか?

佐:働いている時間って、人生で一番大きい割合を占めますよね。

常に仕事が楽しめているのも良いかもしれませんが、人生を楽しむには、長くて辛い時期を乗り越えた先にある達成感も必要だと思います。

だから、「今楽しいか」ということより、「将来のために頑張っているか」は意識しているかもしれません。

——将来のため、というのは?

佐:仕事は大変だし、結果が出なくて自分の不甲斐なさに落ち込むこともあります。

実際、転職してから仕事で満足できたことはありません。

だけど、この苦しい時期が肥やしとなって必ず将来に活かされると信じて、大変なこと自体を楽しんでいます

——佐藤さんはどのようにして今の道を見つけられたと思いますか?

佐:常に「この道で良いのか」と自問自答しながら日々を過ごしていますが、前に進むにはどこかの道を歩くしかない

その中で、道を変える時が必ず来る。

自分なりのゴールへ向かっていると思うのであれば、その時までは今の道をただひたすらに歩くしかないと思っています。

——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。

佐:慌てずに、自分の強みを活かせる場所で働いて、「これが自分のやりたいことだ」と思える何かが見つかるまで、その道で必死に頑張ってみてください

強みが活かせれば結果も出やすいし、結果が出れば評価もされて、楽しくなるはずです。

後はいっぱいチャレンジして、いっぱい失敗すること

チャレンジからしか新しいものは見つからないと思います。

僕も、公太さんや宏平さんを超えていくために、これからもチャレンジを続けていきます。諦めない力が僕の強みですからね(笑)

佐藤 禎之(さとう よしゆき)さん
会社員/株式会社とくし丸 執行役員 営業部長
高校卒業後、海上自衛隊にてパイロットとして活躍。30歳で退職し、アメリカの靴下ブランド「リトルミスマッチ」の日本販売代理店社長に就任するも37歳で販売元の倒産を受け会社をクローズ。その後、オイシックス・ラ・大地株式会社に就職し、株式会社とくし丸に出向。現在は営業部長として日々新規開拓を行っている。

転載元:CAMP
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