ドリカムとの出会いで学んだ “ダンスの持つ本当の意味”。キャリアの先を考え、決して後戻りしないプロの道。

様々な大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。

今回は、DREAMS COME TRUEをはじめ、多くの著名アーティストのバックダンサーや振り付けを手掛けるダンスアーティストのKEITAさん。プロとしてデビュー後、壁にぶち当たったKEITAさんを変えた出来事やアーティスト、常に前に進み続けているKEITAさんのダンス人生についてお伺いしました。

ダンス漬けの学生生活、自分でつかんだプロへの道のり

——今どんなお仕事をされていますか?

K:ダンス、ラジオパーソナリティ、アパレル運営、DJとして活動しています。

職業でいうと“ダンサー”という枠になるのかもしれませんが、ダンスを主軸として色々なものを表現するということで、自分では“ダンスアーティスト”という言葉を使わせていただいています。

——具体的にはどういったお仕事内容になるのでしょうか?

K:アーティストさんのコンサートツアー、ライブ、テレビ、CM、MVなどにバックダンサーとして出演したり、振付・演出などを担当したりしています。ダンススタジオの運営、ダンスのインストラクター、全国各地へのワークショップ開催も行っています。

ラジオパーソナリティーとしては、毎週水曜日に自分の生放送の番組を担当しています。

アパレル運営は主に企画の立ち上げや、デザインの提案、プロモーションですね。

DJとしては都内のクラブでプレイすることが多いです。

——KEITAさんとダンスの出会いはいつ頃になるんでしょうか?

K:まだ風営法などがおおらかな時代だったんですが、中学2年生で初めてクラブに行った時、テレビで見るようなファッションをした人たちが踊っているのを見て、衝撃を受けたんです。悔しいような、憧れのような、何とも言えない感情でしたね。

「踊れないとこの人たちの輪に入ることができない」と思って、公園に友達と集まり、見よう見まねでダンスをスタートしたんです。

——そこからダンス漬けの毎日が始まるんですね。

K:部活もやりながら毎日空いた時間はダンス、ダンス、ダンス、、、という感じ。高校に入学するとダンスへの想いはさらに加速し、授業は完全に睡眠時間になっていました(笑)

——そこからどういった進路を歩まれていくんでしょうか?

K: 大学進学後はいわゆる大学生らしいイベントに参加していたんですが、中学高校で遊びまくっていた分、そういう遊びに対してあまり新鮮さを感じず…。

遊びがつまらなくなると、だんだん学校からも足が遠のいてしまい、毎晩池袋にあるクラブに通うようになりました。

——クラブではどういった経験をされたんでしょうか?

K:クラブのスタッフの方、DJ、シンガーなど、年齢や性別を飛び越え、同じ価値観を持つ様々な人との出会いがそこにはあったんですよね。

大学に入り、本格的にダンスも再開していたので、自分にとっては探し続けていた場所に辿り着いたような感覚になっていました。

——ダンスを職業にしようとその時から思われていましたか?

K:時代もあり、まだ職業としてダンスが確立される以前だったので、その時は完全に遊びの延長でしたね。

でもどうしてもダンスへの熱が冷めず、アメリカに渡ってはダンスを学ぶということの繰り返しでした。

とにかくアメリカの空気に触れさえすれば、自分のダンスは飛躍すると勘違いしていたので、年に2~3回、消費者金融でお金を借りて渡米していました。

20歳そこそこで300万円くらいの借金を抱えていたんです。本当だったら借金をどう返済するかで頭を悩ませるはずなんですけど、その当時はノリで生きていました。

若いって恐ろしいですね(笑)

——そこからどのようにしてダンサーを職業にされていかれるんですか?

K:クラブやストリート界隈で名前が知られるようになり、もっと高みを目指すため、有名な方に自分のダンスを見てもらいたいと思うようになったんです。

「見てくれさえすれば必ず評価されるはずだ」という根拠のない自信に満ちていたので、

自分のダンスをビデオテープに山ほどダビングし、有名なアーティストがライブをやっている会場の楽屋の外や、ラジオDJの放送終了後の駐車場など、考えうるすべての場所へビデオを持って出かけました。ありとあらゆる雑誌社へテープを郵送したりもしましたね。

——その方法で何か得たものはあったんでしょうか?

K:ビデオを配ったことによって劇的に周りの環境が変化するといったことはありませんでしたが、1つ得たのは、“自分の情熱を自分で形にしたことへの自信”でした。

その自信は自分のダンスをさらに加速させ、ついにダンスの振り付けという仕事にたどり着いたんです。

——ついにプロとしてデビューされるんですね!

K:僕のそういった活動やクラブでのダンスパフォーマンスを見てくれていた先輩から「やってみないか?」と声をかけていただき、MISIAさんのミュージックビデオの振り付けを手掛けることになりました。22歳の春のことです。

それがありがたいことに評価を得て、その後に行われる全国ツアーへの参加に繋がり、プロとしてのキャリアがスタートしたんです。

——そのお仕事が次に繋がっていったんですね。

K:全国ツアーの終了と同時に、また次のアーティストの全国ツアーのオーディションに合格したんです。

華やかな世界に飛び込み、ダンスでお金を稼ぐようになり、その先には夢の世界が待っているに違いないと思い大学を中退し、これまでずっとダンスを職業としています。

ぶち当たった壁、原点に立ち返り復活

——そこから順調にお仕事は続いていかれたんでしょうか?

K:しばらくは順調だったのですが、25歳の時、途切れなく続いていたダンスの仕事が、1年ほど全くこなくなるという状況に直面しました。

若かったので、それまでのギャランティーを全部使い切るような生活を送っていて、当然貯金もなく…。それまでのような生活ができなくなったんですね。

——プロになってから初めて壁にぶち当たられたんですね。

K:アルバイト生活に戻ろうかと一瞬思ったんですが、「プロとしてダンスで食っていくと決めたんだから」と、そこは頑なに守っていまして。

周囲には華やかな風に見せつつ、実際はコンビニでお弁当も買えず、交通費もないので歩いて移動…といった状況が続いていました。

一度甘い汁を吸ってしまって後戻り出来なくなったというのもあったと思います。

——何がきっかけで立ち直ることができたんでしょうか?

K:原点に立ち返ったんですね。プロとしての活動を支えるのは、お金にはならなくても、自分で良いと思うものを発信し続ける姿勢にあると気付かされたんです。

——なぜ原点に立ち返ることができたんですか?

K:仕事が無くなった時、クラブや公園で一緒に踊っていた仲間の元へ戻ってみたんです。

そうしたら、みんなめちゃくちゃ楽しそうに踊っているんですよ。僕の場合は、ダンスがただの仕事になってしまっていた。

「そうだ、ダンスって楽しむためにやっていたんだ」って原点に立ち返ることができたんです。

——その経験がきっかけで、また活動が軌道に乗り始めるんですね。

K:そこで活動を再開し、またクラブで踊るなどして、自分のダンスに磨きをかけていきました。出会った人たちに支えられ、以前のように何とか仕事も舞い込んでくるような状況に戻ることができたんですね。

その時に、自分を磨き続けることの大切さ、人との繋がり、支え合うこと、などたくさんのことを学んだように思います。

DREAMS COME TRUEとの出会いが新しい自分を導いてくれた

——30代はどのようなお仕事をされてきたのでしょうか?

K:30代になってからは、プロダンサーとして活動しながら、様々なアーティストさんへの振付や指導、さらにはライブを丸々演出するような機会をいただいたけるようになりました。

自分に求められるものもその分多くなり、能力不足な自分との戦いが常にありました

——具体的にはどういった戦いがあったのでしょうか?

K:インプットとアウトプットのバランスも非常に難しくなり、いわゆる“ネタ切れ”に近いこともしばしばありました。

自分の年齢も30代に入り、いつまでもこの状況は続かないということ、いつか誰かに取って代わられるという恐怖に似た不安を抱え始めた時期でもあります。

——どのようにその不安を解消されていったのでしょうか?

K:不安を抱えたからといって、前進を止めることはできないですよね。

前進することでしか新しい何かを掴むことはできないと思い、不安を押し殺すようにダンスをしていく時期が続きました。

そんな中、あるアーティストとの出会いが、次のステップへと進む大きなきっかけとなりました。

——それはどなたですか?

K:DREAMS COME TRUEさんです。

ストリート文化から育ってきた僕は、自分のプライドもあり、最初は彼らの意図を汲み取れないことも多々あったんです。

“笑顔を届ける”“演技をし、歌い、楽器を使うといったさまざまな形での総合的なパフォーマンス”というのが“ストイックにダンスのみ”というスタイルでやってきた、頭の固い自分を苦しめたんですね。

それを彼らは諦めず、何年もかけて、実感として、そして言葉だけでなく背中で教えてくれました

——KEITAさんの現在を形作る多くのことを、DREAMS COME TRUEさんのパフォーマンスから学ばれたんですね。

K:それまではMISIAさんから始まり、安室奈美恵さん、クリスタルケイさん、平井堅さん、MINMIさん、倖田來未さん、BoAさんなど、様々な素晴らしいアーティストの方々とお仕事をさせていただきましたが、自分に足りない多くの要素を学ばせてくれたアーティストはDREAMS COME TRUEさんです。

彼らとの出会いは自分のダンスの価値観を大きく変えてくれました。

彼らの作り出す音楽や、パフォーマンスに真摯に向き合うその姿勢が、“プロとは何たるか”と言うことを具体的に教えてくれたと実感しています。

——そこから新たなKEITAさんのキャリアが生み出されていくんですね。

K:自分のキャリアのその先を考えるようになった時に“自分の夢を叶えることが誰かに勇気や希望となって届く”というようなことに気付き始めたんです。

例えば、DREAMS COME TRUEのステージでパフォーマンスする自分のダンスを見て、一般の方が泣いたり笑ったりしている姿を何度も目撃しました。、さらには振り付けを覚えて踊り出してくれる姿は、ダンスの持つ本当の意味を教えてくれたような気がしたんです。

——KEITAさんの思う、ダンスの持つ本当の意味とはどういったものでしょうか?

K:それは、「ダンスはみんなのものだ」ということです。

上手くたって下手だって、若くたってそうでなくたって、なんだって良いんだって。

ダンスは、言葉も国境も超え、世界中の人が楽しめる、可能性のある素晴らしいものなんだってことにやっとそこで気づきました。

——その経験をどういった活動に活かしていかれたんでしょうか?

K:そこから、ダンス未経験の方を対象にしたダンスレッスンを全国で始めました

また、プロとしてキャリアをスタートすると同時に開始していた都内でのレッスンを極力減らして、地元でのクラス開講に至りました。

——そこにはどういった想いがあったんでしょうか?

K:「ダンスで何か貢献したい」という気持ちが湧いてきたんですね。

さらに、「自分の生まれた土地で人を育てたり、何かを伝えたりしたい」と思い始め、地元でのレッスン開催に至ったんです。今も、全国各地へのワークショップという形でさまざまな地域の方々と触れ合いながらダンスのレッスンをしています。

——これまでどんな場所に行かれているんでしょうか?

K:少し変わった場所だと、マレーシアの田舎まで行ったこともあります。英語も通じないような場所でしたが、ダンスを踊り始めると言葉の壁を一瞬にして突破することができるんですよ。

そういった経験からも“ダンス”の持っている可能性や、ダンスを踊ることの意味を伝える活動をしていきたいと考えるようになっていったんです。

そんな経緯で、ダンスを主軸としながらも、“表現する”というツールとしてDJやラジオ、アパレルなどを始めるようになりました。

——KEITAさんが、“はたらく”を楽しむために必要なことはなんだと思いますか?

K:働くことは、基本的には楽しくないですよ。

ダンスに必要な体力を維持するために日々トレーニングしていますが全然楽しくないです。

人の前に立つという職業柄、誰かの評価に常にさらされながら一喜一憂することには強いストレスや恐怖を感じるし、そういうのも全然楽しくないです。

でも、そんな楽しくないことを乗り越えると、目の前の景色が開けて見えるときが来るんです。それは、ステージでパフォーマンスをする時であったり、ダンスの楽しさを人に伝えられた時だったり、色んな場面があります。

“はたらく”とは、“楽しいことと、そうでないことの連続で出来上がった、すごく楽しいこと”。

短距離で考えるよりは長距離で考えることで、全体的には楽しい、と言えるんだと思いますよ。

——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。

K: 時間があればぜひ、何の予備知識もなく日本の田舎や海外に行ってみてください

「こんなのはムダだ」と思われる時間を過ごすかもしれませんが、その時間が、今の自分にできることとできないことを教えてくれると思います。

例えば、「言葉が喋れないから海外の人と話せない→勉強すれば新しい友達ができるんだ!」とかね。

今の環境を、旅行という名目で良いので、少し変えてみるのも良いんじゃないでしょうか。

KEITA TANAKAさん
ダンスアーティスト
1978年7月17日生まれ。2000年から2011年まで、日本のダンスシーンを変えたと言われるモンスターチーム「BASE HEADS」のキーマンとして活動。2011年より参加しているDREAMS COME TRUEのパフォーマーとして結成されたAKS(現在はS+AKS)のメンバーとして活動し続け、コンサート、ライブ、TVのみならず、全国へのワークショップ等、幅広く活動している。数多くのトップアーティストのツアーやライブのバックアップダンサー&振付を手掛けるほか、アパレルの運営、ラジオパーソナリティ、DJしても活躍している。

転載元:CAMP
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