「個の時代」と言われ始めて早数年。

インターネットやテクノロジーの普及によって個が“メディア化”したことで、情報発信源は急激に分散化した。

そんななか、ソーシャルメディアでは、“フォロイー”と“フォロワー”の二極化が進んでいる。


参照:SEARCH ENGINE THEORY

この図を見てもわかるように、Twitterだけのフォロワー格差を見ると大多数がフォロワーという状況に置かれている。

このような背景の元、利用者はフォロイーになるためにはどうすればいいのか?ということを求める内に『共感』というワードはまたたく間に普及した。

今では「共感を生む方法」や「共感ビジネス」なんていう記事も毎日のように目にすることがあるではないだろうか。また、その中で支持を集める人と支持する人の間には、小さくて大きな壁があるようにも見える。

今回は、そんなSNSが普及する世の中で、さまざまな人をフォローして、いろんなことに共感しているけど、いつかはフォロー「される側」、共感「してもらう側」になってみたいという方に読んで頂きたいと思う。

なぜ人は「影響力」を望むのか

影響力というものはいつだって、人々の欲しいものの一つだ。実際に仕事を通して、「人に、社会に、影響を与えたい」と言う人は多い。

なぜ、そんなにも影響を与えたいのだろうか。

人々が影響力を望む背景には「欲求」がある。

影響力を通して、自分の社会的な価値を「確認」し「証明」したいのだ。

それを承認欲求と一括りにして「よくない感情」だと切り捨てるのは少しもったいない気がする。社会にとって自分が必要な人間なのか「確認」し「証明」することは純粋なエネルギー源だ。エネルギーは健全に付き合えば動力に変わる。そのエネルギーによって何かが生まれ、結果的に誰かが幸せになるのであれば、それはとても素敵なことだと思う。

人々はいつだって自己の存在価値の確認と証明手段を求める。

かつては所属企業や、肩書、マイホーム、高級車という自己完結可能な「所有している事実」だったものが、他社との関係の中で生まれる「影響力」というものに変わってきている。若者の〇〇離れのほとんどは所有物だ。離れた先に欲しいモノがあるから離れていくのだろう。

価値を確認・証明する手段がリプレイスされただけなのだと思う。

「現代の若者が、無欲で承認欲求が強い」という訳でもなく、社会的な価値を確認するための手段のトレンドが変わっただけではないだろうか。

だから、一流企業に入りたい!高級車欲しい!みたいな感覚の欲求なので、「自分は承認欲求が強い」と悩むことはないと思う。それが良くない文脈で語られるのは、自分の欲求を認めたくないあまり自覚できないままこじらせてしまうからだ。

承認欲求が強いと自覚したうえで、それを満たす影響力というとても甘美なものをどのようにしたら手に入れられるのか。影響力の中心に近づくための思考法と日々の小さなアクションを実際に伝えていきたいと思う。

影響力は、なにでできているのか

影響力のある人を思い浮かべて欲しい。

その人はおそらく「価値」を持っている。

そしてその「価値」を表現する方法を知っている。

「価値」とはなんだろうか。それは、自分が提供できて、誰かが望んでいて、他の人が提供しにくいところにある。マーケティングのバリュープロポジションという考え方があるので参考にして欲しい。

法人のビジネスの世界にはバリューチェーンというものがある。価値が作られてから、エンドユーザーに届くまでの流通経路のようなものだ。資源所有者がいて、素材メーカーがいて、一次卸、二次卸業者がいて、物流業者がいて、小売店があって、エンドユーザーに届く。

個人のバリューチェーンもあまり変わらない。資源はだいたい「レアな一次情報」や「オリジナルの思考の切り口」で、それを翻訳する編集的な役割の人、それをまとめるキュレーションメディアのような人、それをパクる偽物売りの人、それを届けるSNSなどのプラットフォームを通じて、価値はエンドユーザーに届く。そして共感する。

「共感」というのは、個人のバリューチェーンにおいては、エンドユーザーの感情の購買活動のようなものなのだろう。

「コンテンツイズキング」という言葉がある。

価値はいつも需給バランスによって相対的に決まる。

コンテンツの消費者や流通網よりもコンテンツをつくれる人が少なくなってきているからパワーバランスが「つくるひと」に寄ってきているということだ。

そして、影響力を持つためには、このバリューチェーンの川上に移動していく必要があるということだ。

影響力の外側から中心に近づくにはどうすればいいのか

ここで多くの人が、バリューチェーンの超川上をいきなり目指したところで、影響力ホルダーと自分の差に愕然とすだろう。“いいね”や“フォロワー”を比べては「自分は価値のない人間だ」と比べなくていいものを比べて自己嫌悪に陥ってしまうこともある。それでは非常にもったいない。

当たり前ではあるが、「レアな一次情報」や「オリジナルの思考の切り口」は一朝一夕では手に入らない。

「レアな一次情報」はほとんどの人がしないようなチャレンジをした(もしくは知らずにしていた)冒険の結果としての壮絶体験のご褒美として与えられるが多いのではないだろうか。

そして、「オリジナルの思考の切り口」は、「レアな一次情報」を原資としてつくった仮説を多くの違いと建設的に擦り合わせて、磨いていった結果としてのご褒美だ。

つまり、この2つは時間をかけてレアな経験という素材と、それを磨くための違いと向き合い続ける「胆力」と時間が必要だ。だから焦る必要はまったくない。

影響力の中心に近づくための方法

では、最後に筆者が考える影響力の中心に近づくための方法を紹介しよう。

「レアな一次情報」を得る

そもそも一次情報は自分で直接経験したことによってしか得られない。なぜならばメディアに載っている情報、誰かが言っていた情報は事実と解釈が混在しているからだ。他社の解釈のフィルタを通して得た情報の純度は低く、意思決定の精度を鈍らせることを覚えておきたい。

つまりレアな体験をすることが「レアな一次情報」にアクセスする近道となる。レアな体験をすると言われると、ものすごくハードルの高いことかと怖気ずいてしまうかもしれない。しかし、やることは意外とシンプルで、最大公約数的な「普通」といわれる選択と「自分のモノサシ」による選択が違ったときに、後者を選択することだ。

例えば、「ちょっと人と違う」選択をする人の割合が仮に4割だとすれば、その選択を3回するだけで6%(0.4の3乗)の人しかできない経験ができることになる。マイノリティになる恐怖はあるかもしれないが、4割側に入れたときでさえチャンスということを覚えておいて欲しい。

「オリジナルの思考の切り口」を得るために共感を卒業する

これは、「レアな一次情報」を得る選択を繰り返した後に、それらを抽象化することによって習得できる。「なんでこれってそうなってるの?」「要するにどういうこと?」という問いを持続的に自分に問いかける習慣は、これを育てることを大きく助ける。つまり、レアな一次情報がレアであることを説明できるかどうかの力だ。

言語化能力が低下している今だからこそ、言語化の引き出しを持つことは大きな差別化要素になる。オリジナルの言葉は人に新しい発見や変化を生み出すことができる。

実は、言語化能力の低下を引き起こしているのが“共感”だ。何かの情報に触れたときに「すごく共感する」などの言葉で反応することは、いいことではあるものの思考停止の原因にもなり得る。誤解を恐れず言えば、自分の言葉で表現することを放棄しているのだ。

つまり、まずは「共感した」だけではなく、自分の言葉で表現することが第一ステップである。

例えばバズっているツイートやコラムなどを見たときに、要するに何がポイントでどう面白いのかを、自分で思考し表現することでオリジナルの思考や表現が鍛えられる。

流通網を理解し、自分の流通網を広げる

どれだけ表現力を高めても、見つからなければ届かない。情報の流通網が今どうなっているのかを理解することが第一歩目だ。炎上のほとんどは、これを把握していないことにより無意識的に高速道路を逆行していることが原因だ。

まずはこれを理解し、自分の流通網を広げてみてほしい。流通網を広げるためには、結局需給バランスの中でのポジショニングが重要で、その「レアな一次情報」やその「オリジナルの思考法」は誰にとって価値があるのかを把握して一番最初に継続的な代弁者になる層は誰なのかを把握する必要がある。あとは、流通網を自分だけでなく、そのフロンティアが自動的に広げる仕組みをつくることだ。

前者2つは、「作る力」。後者は、「届ける力」だ。影響力ホルダーはこれをそれぞれのバランスですべて保有している。「作る力」があっても、「届ける力」がない人もたくさんいるし、逆もたくさんいる。

もし持続的な影響力を育てていきたいのであれば、ぜひバランスよくそれぞれにチャレンジしていって欲しい。

そして、その影響力を助けたい誰かのために、救いたい誰かのために使って欲しい。

その誰かは、きっと上記思考法を継続する中で見つかるはずだ。なぜなら、人と異なる思考をし影響力を持つ人生を過ごすことは、「孤独と戦う日々」を過ごすことでもあるからだ。きっと助けたい人は「同じような孤独と今戦っている人」だと思う。僕が今、そんな人のためにこの文章を書いているように。

文:寺口浩大