かつては新婚旅行の定番と言われ、温泉観光地の代表格だった熱海。しかし、1960年代半ばには年間530万人いた熱海市内の旅館やホテルの宿泊客数が、2011年になると246万人と半分以下に落ち込んだ。
1970年代以降、個人でも気軽に海外旅行に行ける時代になり、旅行先の選択肢が増えたことが理由とされている。
ところが、ここ数年で熱海は急激に活気を取り戻し、2017年に観光庁が発行した観光白書でも地方創生の先駆けとして取り上げられるほどになっている。
「温泉観光地だけが、熱海の魅力ではない」
そう語るのは、熱海を拠点に観光地から生活地への街づくりに取り組んでいる株式会社machimori代表の市来広一郎氏だ。 地方都市再生のお手本とも言われる市来氏が実践している街づくりとはどのようなものなのだろうか?
地方都市だからこそできる、秘められた可能性について話を伺った。
- 市来広一郎(いちき こういちろう) 株式会社machimori 代表取締役
- 1979年静岡県熱海生まれ、熱海育ち。東京で働くも、熱海への愛着と「熱海から社会を変える」という志を抱き、熱海へUターン。ゼロから地域づくりに取り組み始める。NPO法人atamista代表理事、株式会社machimori代表取締役。
温泉観光地を拠り所とした“熱海”の課題
――現在の活動内容を教えてください。
市来氏:machimori(マチモリ)という熱海の街をリノベーションする会社で代表取締役をしています。今は、熱海銀座商店街エリアの再生に取り組んでいます。
商店街が賑わえば、人が集まり、街全体が盛り上がるのではないかと考え、空き家を改装してカフェを作ったり、宿泊施設をオープンしたりと、商店街の再生に取り組んでいます。
――熱海で活動しようと思ったきっかけを教えてください。
市来氏:10代の頃、生まれ育った地元である熱海の街が寂れていったのを目の当たりにして、なんとかしたいとずっと思っていました。昭和60年ごろにいわゆる「温泉ブーム」がありましたが、一時的なものでした。
観光ばかりに注力しても、お盆や年末年始など旅行の繁忙期以外は閑散としてしまいます。海外旅行の一般化も進み、熱海を訪れる人はどんどん減っていきました。
そんな想いを抱きながら、学生時代はバックパッカーとして海外を飛びまわっていました。ある時、クロアチアにある世界遺産のドブロブニクという街を訪れました。ひどい内戦が終わった後だったのですが、地元の方と話すと「自分たちの手で、この街を作ってきた」という誇りを持っていると感じたのです。
熱海でも同様に、地元の住人が誇りを持って暮らすことができるポテンシャルがあるのではないかと考えました。豊かな自然や観光資源があり、東京からも近い熱海の地の利を活かし、住人の暮らしを豊かにすることが街の役割なのではないかと気がついたのです。それができれば熱海は再生できると思ったことが、一番の原動力となりました。
東京まで新幹線で約50分、熱海から通勤するスタイル
――熱海の魅力はどんなところにあるのでしょうか?
市来氏:熱海には温泉観光地というイメージがあり、住みづらいと思う方もいますが、実は熱海は東京まで新幹線で約50分と近く、さまざまなライフスタイルを持った人が集まっています。
働き方にはそれぞれ個性があり、熱海で商売をする人もいれば、毎日東京に通勤する人もいます。海と山に囲まれ、ゆったりとしたリズムで暮らすことができる一方で、商店街には飲食店が充実しており、夜中まで楽しめるスポットもたくさんあります。実はとても住みやすい街で、本当にいろいろな生き方をしている人がいます。
ちなみに私は、自宅から徒歩10分圏内に生活で必要なものがほぼ全てを揃う場所に暮らしており、自家用車を持っていません。地方だと車を持たないと暮らしが不便なイメージがあると思いますが、街がコンパクトな熱海では学校や職場、お店も近く、ほとんど歩いて暮らしています。
――今、働き方改革の影響もあり、サテライトオフィスなどが話題になっています。熱海にとっては追い風だと思われますか?
市来氏:はい。私もコワーキングスペースとシェアオフィスの「naedoco」を運営しています。これは築60年のビルをリノベーションして作っていて、開放感あふれる広々とした空間には、ミーティングスペースやシェアキッチンも兼ね備えており、仕事や打合せだけでなく、勉強会やワークショップなど地域活動の場として使っていただけます。
働き方改革でリモートなど自由な働き方ができるようになっているので、熱海のような東京からも近く、ちょっと疲れた時には温泉に入ったり、海を見に行ったりできるような場所は必要になってくると思いますね。
――観光(外需)から住む(内需)にシフトすることは大事だと思いますか?
市来氏:観光地だからといって経済を観光業だけに頼っていると、閑散期と繁忙期の差とか、平日と休日の差が出てきて、収入が安定しません。やはり、日常的に訪れてくれる住人がある程度はいないと、持続性のあるビジネスを行っていくことは難しいと思います。
熱海をちゃんと活性化させるにはまず住む人を増やさなければならず、住居の整備をしていくことが大事だと考えています。
「住む」街への変貌の第一歩は、「中心市街地」が元気になること
――具体的に住む人を増やすためにどのようなことを考えられていますか?
市来氏: 熱海銀座商店街でクラフト&ファーマーズマーケット「海辺のあたみマルシェ」を開催しています。みんな一からお店を始め、それを継続していくことはとても大変だと思います。そこで私たちがその大変な部分をサポートすることで、お店を開くというチャレンジがしやすくなるのではないかと考え、マルシェを始めました。
やってみると、出店者さんの中には、他の出店者さんとの横の繋がりが生まれた人だけじゃなく、熱海というマーケットに可能性感じてくれている人、熱海でなら何か面白いことをやれるのではないかと感じてくれる人も増えたと思います。
他には、空き物件を活用した「ホテル ロマンス座カド」というゲストハウスの取り組みも始めました。熱海は観光地として賑わいは取り戻してきましたが、インスタ映えなどわかりやすい観光スポットに留まり、私たちが本来伝えたいディープな魅力を伝えることができていません。
熱海の楽しさの真髄は、街に出ることでわかります。
タイムスリップしたような景色、映画のワンシーンのような喫茶店での時間、花のあふれる川沿いの遊歩道、特徴溢れる個人経営のお店、坂をくだった先に現れる海、初夏の夜に響き渡る太鼓と笛の音・・・。その一つひとつが、都会の日常では決して味わえないような濃密な体験です。ゲストハウスを利用することで、熱海ならではと言える体験をして、街そのものに滞在するという感覚を提供する事で、自分ゴト化して考えてくれる人を増やしていきたいです。
定住できる住みやすい街をどう作るかが重要となりますが、もともと熱海は移住者を受け入れる地域性があり、ポテンシャルはすごくあると思います。 今まで観光客向けの短期的だった視点を、住む人向けの長期的な視点にシフトしていくことが大事だと考えています。
――住む街に変わっていく今後の熱海にとって必要なことは何だと思いますか?
市来氏:街としての雰囲気はすごく変わってきました。停滞して閉塞感があったところから、いろいろな人がチャレンジをして新しい事業が生まれ、さまざまな活動が始まっています。
私達は熱海銀座商店街の活性化に関わっていますが、一時期は観光客も減り廃れていました。最近ではお客さんも増えて商店街の活気が戻りつつあり、空き店舗も無くなってきています。私達の活動としては熱海銀座商店街という狭いエリアだけですが、熱海にある他の商店街も変わってきていると思います。
まだまだ課題は山積みで、大きな構造を変えていくには時間がかかります。しかし、小さなモデルの成功事例を積み上げて、それを大きく広げていくことが重要だと思っています。
地元活性化のカギは“外”ではなく“内”にある
「働くとは」「会社とは」ひいては「生きるとは」という問いに対する本質的な答えを市来氏は地元の人々と一緒に物語を紡いでいくことで表現している。
地元活性化に向けて、地域に根づく商店街やそこで働く人々が活気づくことは必要不可欠であると言えるだろう。
地元を活性化する取り組みは企業側でも行われている。例えば、アメリカン・エキスプレスの「ショップローカル」だ。地元の商店街や個人店で買い物をすることで地元活性化を促すこの取り組みについて、市来氏に以下のようにコメントした。
「熱海も個人商店が多いことが街の個性を作っています。私たちもいかに地元に根付いたお店が残っていくのか、また、そういったお店を引き継いでやっていく人が出てくることが大事だと思います。商店街などにあるローカルなお店が企業と連携できるのは本当に素晴らしいことだと思いますね。私たちのような街づくりの活動にも親和性が高いのではないかと思います。」
「ショップローカル」のような取り組みにより、地元のお店で買い物をする機会が増える。地元活性化につながるムーブメントになっていくのではないだろうか。
取材・文:池田鉄平
写真:西村克也
撮影協力:熱海銀座商店街(熱海市銀座町11)
撮影協力:小沢ひもの店(熱海市銀座町10-20)