多死社会へ向けて、変化するお墓の価値観とは —— 墓地設計家・関野らん

後期高齢化が進み、60代以上の人口が増える中で、これまで当たり前とされてきた墓や葬送にまつわる価値観は徐々に変わり始めている。

亡くなれば、先祖代々の決められた墓に入る。こうした既存の選択肢だけでなく、自ら入る墓を自ら選ぶことや、散骨など、墓に入る以外の選択肢も増えている。『終活』という言葉が流行したことに表されているように、自らの最後に悩む人も少なくない。

また一方では、物理的にも既存の価値観や在り方は変更を余儀なくされている。高齢化が進み、死亡者数は年々増える。日本は人口減少社会から多死社会へと移行しつつあるといわれている。特に大都市圏では、墓地そのものの数が不足してきているという問題もある。

こうした中で、日本で唯一であろう“墓地設計家”という肩書を持つ建築家がいる。それが、関野らん氏だ。

関野氏が手掛ける墓地は2019年にグッドデザイン賞を受賞した八王子市片倉の『風の丘樹木葬墓地』をはじめ、進行中のものも含めれば約20以上。その活動は各界の注目を集めている。

今回はなぜ関野氏は日本で唯一の肩書を名乗るようになったのか、また彼女自身の目を通して感じた日本の墓や葬送のあり方の変化について伺った。

都市開発が進む中で減り続ける「陰の空間」。関野氏が墓地に感じた課題とは

関野氏は都内私立高校を卒業後、東京大学に入学。その後は建築家で現在は東京大学名誉教授を務める、内藤廣氏に師事した。順調に歩みを進めていた関野氏が、墓地に関心を抱くようになったのは大学院生の時だった。

「もともと小さいころから漠然と、モノづくりに携わりたいという気持ちがありました。中学高校はプロテスタントの学校に通っていたんですが、そこで自然と教会建築に興味を抱くようになり、次第に建築という仕事にひかれていったのです。

それから、東京大学に進学して、内藤廣先生のもとで学ぶようになりました。今考えると、墓地設計家を志したのは先生の影響が非常に大きいのではないかと思います。

当時から、渋谷のような明るくてにぎわう場所に注目が集まる一方でお墓のような陰の場所は都市計画にも入っておらず、空間として焦点も当てられていませんでした。

内藤先生は、この焦点が当てられていないけれど、本来は人にとって大切な部分であるお墓のような『陰の空間』の重要性を説かれていました。

そしてそのような空間の質をいかに向上していくのかということを考え、研究室で墓地研究会を立ち上げました。私も先生のもとで学んでいく中で次第にお墓に興味を抱くようになっていきました」

そして、関野氏は本格的に墓地の研究をするようになる。調査の舞台となったのは、三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった三重県鳥羽市・神島のほど近くにある菅島だった。

「漁業が主な生業となっていて、海女さんもいて、『潮騒』で描かれているような生活が研究した当時でも感じられるような場所でした。

調査を行った集落には古くからのお墓が残っており、そのお墓が生活の中でどのように受け入れられているのか、まつられている場所や儀礼の時の扱われ方、など細かく分析していきました。

調査してみると、お墓の場所や形式が集落の生業や自然環境とリンクし、人々の死の考え方にまでつながっているように感じました」

墓地“研究”から“設計”へ。墓地設計家としての一歩

「現代の都市部の墓地は、菅島とはあり方が全く違う。物理的な距離もあり、お墓や葬送は生活からかけ離れています。あまり身近には考えることができません。

その中で現代のライフスタイルに受け入れられやすいお墓とは何なのか、ということを次第に考えるようになりました」

墓地研究をしていく中で、関野氏は社会学者であり、NPO法人エンディングセンター理事長の井上治代氏に出会う。これが、墓地設計をライフワークとするきっかけだったという。

「井上先生に大学の研究室で社会学の観点からお墓についてレクチャーしてもらっていたんです。その時、先生から墓地を企画しているのだけれど、空間の設計は専門ではないから、やってもらえないかという話をいただきました。

そこで、研究室でお仕事を引き受けることになったんです。このことがきっかけで、墓地の設計に携わるようになりました。最初に手掛けたのは町田いずみ浄苑(東京・町田)です。大学院生で設計の実務経験もない中、ヒヤリングをしてニーズをくみ取り、模索しながら作っていくことになったのです。

それがすぐに完売して、徐々にそのことが他の寺の方々などの目に留まるようになったんです。そこから本格的に墓地の設計に携わるようになっていきました」 

関野氏が語る、多角的に変化する墓地の価値観

ライフワークとして墓地設計だけでなく、墓地研究も行っている関野氏、昨今のニーズの変化や社会そのものの変化についてどのように考えているのか。

「大きな流れでいうと、もともと先祖代々のお墓があって、それが家族のお墓になり、最近は自分で入るお墓を個人で選ぶ時代になってきています。

また、地方から都市部へ移住してきた方などが先祖代々の墓を受け継ぐのが難しくなり、改葬というかたちでお墓の引越しを行う人も増えてきています。宗教離れの流れもあり、従来の墓石の形式に疑問を持ち、樹木葬や散骨など自分がしっくりくる形式を選ぶ人もいます。

住宅がライフスタイルに合わせて都市部のタワーマンション、郊外の一戸建て、地方部での生活など様々なかたちがあるように、墓もその場所の特性や人それぞれの好み、住み方によって様々な形がある。今後はさらにその多様化が進んでいくでしょう」


関野氏が手がけた『風の丘樹木葬墓地』©︎株式会社エスエス

若い世代にこそ、墓地に向き合ってもらうことが大切

関野氏は価値観の変容が進む一方、別の問題も生じていると指摘する。

「今、都市部で作られているお墓は、お墓の購入を検討している60代以上の方をターゲットにしています。ただ、お墓というのは一度作られたら簡単に壊せるものではありません。

個人で自分の墓を選ぶ時代になっても、墓地の場所自体は長く受け継がれるものになる必要があると思います。

私はお墓を設計する際、そのお墓が血縁関係にある人たちにだけでなく、時代を超えて人に受け入れられ、次の世代が引き継いでいってくれる場所になるよう、常に心がけています。


『風の丘樹木葬墓地』(東京都八王子市)©︎川口宗道

今の需要だけを見て作られている墓が、次の世代に受け入れられないものになってしまうのではないかということに、とても危機感を抱いています。それゆえ、若い世代の人にこそ、お墓に興味を持ってもらいたいと思っています。

お墓のことは普段なかなか身近に感じることなく、話すきっかけもないものですが、墓地設計をしている話を若い世代の方々にするととても興味を持ってくれて意外と課題意識を持っている人も少なくありません。今後はもっと、若い世代との対話の場を増やしていきたいと思っています」

最後に関野氏の今後目指すところを伺ってみた。

「墓地の設計には、不思議な縁で携わるようになりましたが、今後も新しい墓地をよりよい空間にしていくことは第一の目標です。

それに加えてもともと墓地に興味を持つきっかけとなった内藤先生の言葉、都市の中の『陰の空間』の意味を、自分なりに探っていきたいです。

設計した八王子の風の丘樹木葬墓地では、そこで数時間もお墓を眺めながら過ごす人もいたりします。静寂の中で物思いにふけることができる場所が、今求められているのではないかと思います。

自分が墓地設計を通して感じてきた『陰の空間』の特性を活かし、墓地以外の場所でも、孤独をそっと受け止められるような空間を設計していきたいです」

取材・文:小林たかし

モバイルバージョンを終了