本はこれまで“読み物”として多くの人たちに親しまれてきた。しかし近年では、本が“聞き物”として浸透されつつある。
書籍を朗読した音声コンテンツを「オーディオブック」と呼ぶ。アメリカでは、このオーディオブック市場が拡大してきているのだ。2018年のオーディオブックの売上は9億4,000万ドル(約1,016億円)。前年比24.5%の増加となった。アメリカ人のおよそ50%が「オーディオブックを利用したことがある」と回答するほど、今注目を集めている市場とも言えるだろう。
このオーディオブック市場にいち早く着目し、日本の市場を開拓した会社がある。
日本最大級のオーディオブック配信サービス「audiobook.jp」を運営する株式会社オトバンクだ。日本ではオーディオブックがほとんど知られていなかった2007年から本サービスを立ち上げ、12年もの歳月をかけて市場開拓を進めてきた。
なぜ、まだ市場開拓されていないオーディオブックに着目したのか。オトバンクの代表取締役社長 久保田裕也氏に話を伺った。
日本最大級のラインナップを誇る「audiobook.jp」
オトバンクは、本を音声で聴けるサービスとして「audiobook.jp」を展開している。プロのナレーターや声優が読み上げ(または芝居をし)た書籍を、音声コンテンツとして配信している。
audiobook.jp ウェブサイト
現在のコンテンツ数は、約27,000タイトル。ベストセラーを中心としたさまざまなジャンルのタイトルを毎月500~600本配信。サブスクリプション型の聴き放題プラン(月額750円)と、本を一冊ずつ購入できるアラカルト型で展開している。
2007年からサービス開始した本サービスは年々ユーザー数を増やし続け、現在は約100万人の会員数を突破した。利用者の年齢層は幅広く、20~50代が同じくらいの割合を占めている。
同サービスを運営するオトバンクは、オーディオブックの著作権処理から制作、配信までのすべてをワンストップで行う。
サービス開始から12年という歳月をかけ、500社以上の出版社と取引を行い信頼関係を築いてきたこと、独自の研究方法で高品質なオーディオブックを制作する実績を誇っていることにより、日本最大級のラインナップを誇るサービスへと成長した。
日本で初めてのオーディオブックサービス
同サービスは、この1年で新規の会員数が約3倍と劇的に増加している。というのも、日本ではオーディオブックの市場がこれまで全く浸透していなかった。
ではなぜ、オトバンクはオーディオブック市場に足を踏み入れようと考えたのか。創業者の上田渉氏(現代表取締役会長)の祖父が緑内障で失明していたことがきっかけで、当初は視覚障がい者のための朗読NPO設立を検討していた。
だが、視覚障がい者や高齢者に届けるには、家族などその身の回りの人にもサービスを認知してもらう必要がある。そこで調べたところ、海外では本を音声化したオーディオブックが浸透しているのを知った。日本でも耳で本を楽しめる文化をつくりたいという想いで、2004年にオトバンクを設立。
しかし、当初オーディオブックの認知もなく、業界内ではなかなか理解が進まなかったという。
久保田「2004年にGoogleが、2007年にAmazonが電子書籍サービスをスタート。日本では2010年が電子書籍元年と言われています。
各出版社が電子書籍を始めるぞ、というタイミングでもあったので、なんだかよくわからないオーディオブックが進まないのも当然でした。そんな状況で、いきなり新しいことやりましょうと言っても、それどころじゃない。市場性の部分はまだ未知数だったので。
それまでは、『社会貢献として良いことをしたい!』という想いのみが先行していたので、市場調査なんて全くしていなくて。
そこで初めて、世界的に今どういう市場があるのか調べてみようとなったんです。調査を進めてみると、アメリカでは昔から朗読CDが当たり前のように書店に売られていた。さらにデジタルデータに変換されて売られてきたタイミングだと知りました。それが2005年頃ですね」
朗読CDが大々的にデジタルデータとして売られたのは、iTunes Store内でオーディオブック配信がスタートしたのがキッカケだった。
このオーディオブックの登場とともに、2006年には世界的にオーディオブックの市場が伸びており、世界的にもポテンシャルのある市場だと言われていた。
久保田「当時、日本では全く市場が伸びていなかった。市場規模はほぼゼロに近い状態でしたけど、オーディオブックが認知されていけば、僕たちが最初にやりたいと思った、目の不自由な人たちに良い形で提供できるかもしれないと思ったんです」
そして2007年、日本で初めてオーディオブックのサービスとしてオトバンクは「audiobook.jp」(※当時の名称は「FeBe」)を立ち上げたのだ。
3年間売上ゼロ…市場開拓は法律づくり
当たり前のことだが、市場を創り上げることは簡単なことではない。現にサービス開始から3年は全く売上がなかったという。
ただ、売上がない3年の間、何もしていなかったわけではない。コンテンツ制作、書籍の権利許諾を丁寧に取り組んでいたという。
久保田「オーディオブックを作っていく上でのルールが当時は何一つなかったんです。相場もなければ、契約のひな形もない、コンテンツの正しいフォーマットすら分からない。
法律を作るような感覚で、作家さん、出版社、朗読して頂く演者、さまざまな人たちとコンセンサスを取って、一緒に作っていきました。同時にオーディオブックに適したコンテンツの正しいフォーマットを研究して。3年間徹底的に準備をしていた感じですね」
書籍を聴くとなるとどうしても尺は長くなってしまう。長時間聴き続けられるコンテンツを作るのに相当な試行錯誤を重ねて研究を進めた。
さらに、コンテンツが増えなければ利用し続けてもらえない。とはいえ、ただコンテンツを量産するだけでもダメだ。利用者にサービスを使い続けてもらうための、コンテンツの質、そして量を同時に考えていかなければならなかった。
久保田「コンテンツをつくる上で何が重要で、それはスケジュールや予算を考えたとき現実的なのか、そういうことをずっと考えてました。実験的にいろいろ作る中で、読み手の上手下手や有名か有名じゃないかよりも、ジャンルに適した読み手、読み方があるということが分かりました。
ビジネス書一つとっても、さまざまなジャンルがありますよね。例えば、スタートアップ企業創業者の本なのか、ドラッカーの本なのかでも全然違う色がある。
それに対して、どういう条件の演者がいいか、編集がいいか、さらにどの版の書籍を選ぶべきなのか、本当に色々なことを考えて、今のコンテンツ制作に辿り着きました」
この試行錯誤の結果、サービス立ち上げ当初は月に2~3タイトルの配信本数が、現在は月500~600タイトルにまで伸びている。コンテンツの増加と共に利用者を伸ばし続け、見事にオーディオブック市場を確立させていった。
「聴く」という選択肢が、人々を読書に呼び戻す
audiobook.jpの利用者は58%が、“移動中”にサービスを利用している。他にも、就寝前、家事の最中、運動中など「ながら」での利用シーンが大半を占めているのだ。この偏りの理由を久保田氏は「耳の隙間時間が多いから」と述べている。
久保田「今、視覚を使って楽しむコンテンツは沢山あると思います。ゲーム、コミック、動画、また書籍もそうですよね。ただ、視覚が奪われてしまうと、行動が制限されてしまうんです。
しかし、視覚と比べて聴覚が奪われていても、行動に制限がかかることは少ない。だから隙間時間やながら利用が多いんです」
さらに、聴覚を使ったコンテンツはラジオか音楽くらいだ。これまではオーディオブックの存在が知られていなかったため利用する人が少なかったが、選択肢の一つとして認識されることで利用者は増え続けるだろう。
実際、「audiobook.jp」はコンテンツが揃ってきた昨年(2018年)のタイミングからプロモーションを開始し始めた。プロモーションをするたびに登録者数が増え続けるという。
これには、読書離反層への提供が追いつき始めていると認識を示した。
久保田「社会人は読書の時間が非常に限られています。余暇の時間が限られている上に、視覚を奪うコンテンツが沢山ある。常に本を持ち運ぶのも大変なので、気づいたら読まなくなっている人が多いと思います。
読書が嫌いな人が増えているわけではなく、読書の優先順位が落ちてしまっているだけなんです。時間があれば読書をしたいと思っている人は多くいるはずです。そういう人たちのニーズに、コンテンツ提供者側が今まで応えてこられていなかった。
だから、1990年代に同じようなサービスを立ち上げていても、おそらく使ってくれる人はいたと思うんです。
ただ、技術の発展とアセットがなかっただけ。それが今になってようやく充足されてきたので、オーディオブックの存在が多くの人に知られていけば、市場は伸び続けると思います」
「本」と「音」二つの切り口で、さらなる市場拡大を目指す
市場拡大が予想されていく中、オトバンクはどのようにサービスを展開していくのか。この問いに対し、久保田氏は「本」「音」二つの切り口で、今後の展望を語ってくれた。
久保田「本に関しては、コンテンツの生産量を増やすこと、オリジナル作品を作ることを今後は意識していこうと思っています。
2年前までは、弊社が各出版社と一冊一冊丁寧に交渉して、オーディオブックの制作をしていました。書籍をオーディオブック化するまで、かなり時間をかけていた。
ところが、出版社さんとの関係値が構築されてきた、オーディオブックの市場が大きくなってきたため、販売している書籍のオーディオブック化を一括で任されることが増えてきたんです。
有り難い一方でコンテンツの生産が理想のスピード感に追いついていないのが現状です。
新作の書籍が発売されたタイミングで聴きたいという利用者さんもいらっしゃって…何とかしてコンテンツの生産量を増やすことが直近の目標ですね。また、オーディオからオリジナル原作を作っていきたいと思っています」
現在は紙書籍原作からオーディオブック化することが主流であるが、今後はオーディオブック原作からも電子書籍、紙書籍を出していきたいというのだ。
オーディオブックで販売することでどれだけ売れているかデータを取ることが可能だ。このデータを活用して、出版社と一緒に電子書籍や紙書籍にしていくことを目指している。
これは、audiobook.jpのミッションの一つである「出版文化の振興」が軸にあるのだ。
久保田「出版業界のプレイヤーさんに還元できるような仕組みを作っていきたいんです。そのためには、より多くのターゲットに届けなければなりません。
そこで考えたのが、書籍に触れる媒体の幅を広げることだった。紙、電子、オーディオ、それぞれ売れる作品は変わってきます。作品によって媒体が最適化されることで、今より多くのターゲットに届く可能性があります。
多くのターゲットに届けることができれば、業界が潤う。次の作品を作るときに余裕を生ませることができるんです。
余裕が生まれれば、新たに良いコンテンツが生まれて、より読書をする人が増えるでしょう。そんな良い循環を作っていくために、僕らは僕らでオーディオという媒体を使って出版文化を盛り上げていきたいと思っています」
そして、もう一つ、audiobook.jpミッションである「聞き入る文化の創造」。これは「音」の切り口で展開を進めていきたいと話す。
久保田「見ることと比較すると、聞くことは十分に習慣化されていません。見るのも聞くのも基本は受動的な行動ですが、マスの市場規模でテレビとラジオを比較しても異なります。
なぜかというと、聞くという行為は実は慣れている人が少なく、慣れるのが大変だから。ここから、“見る”という活動より、“聞く”という活動の方がハードルが高いことが分かります。
僕たちはこの“聞く”というハードルを下げていきたいんです。そのために、まず今サービスを展開している中で、取得されるユーザーデータを分析しています。
どんなコンテンツがどういう人たちに聞かれているのか、途中で離脱されないコンテンツは何なのか、それは尺が関係してるのか、ジャンルが関係しているのか。今すでに分かっていることからコンテンツに落とし込んでいます。
そういうことを分析して試行錯誤していきながら、どのようなコンテンツが適しているのか、ユーザーやプレイヤーの方と一緒に開発し、見る活動と同じくらい聞く活動のハードルを下げる。これが実現できれば、さらに市場を拡大できると思っています」
取材・文:阿部裕華
写真:西村克也