近年、働き方改革が社会に浸透していく中で、ビジネスパーソンの「複業」に注目が集まっている。最近では大手三菱地所が複業人材の受け入れを表明するとともに、自社社員の複業も解禁させて話題となった。

複業の魅力は様々あるが、複数の企業プロジェクトに参画することで、新たなビジネススキルや経験を獲得することが出来るだけでなく、それらを本業にフィードバックして活せる点も、その一つとも言えるだろう。また、地方における人手不足解消とも相性が良く、都心の働き手と地方の企業とのマッチングも近年では増えつつあるという。

ただ一方で複業に興味は持っていても、「実際にイメージが出来ない」「始めるためには、どのようなことから行動すれば良いのか分からない」といった声が多いのも実情だ。

そこで今回は、熱海を拠点として、地元企業と主に首都圏のビジネスパーソンを「複業」でつなぐサイト「CIRCULATION LIFE」を運営する水野 綾子(みずの・あやこ)さんに、地方での複業活動の実情やメリット、注意点、複業を始める前に考えておくべきことなど、水野氏の考えをお伺いしてみた。

熱海での募集で気づいた、地方に埋もれる“複業機会”

──水野さん(以下、敬称略)が自サイト「CIRCULATION LIFE」を立ち上げ、複業に関する情報発信を行うようになったきっかけは、何だったのでしょうか。

水野:現在、生まれ故郷である熱海に移住し街づくりに関わっているのですが、以前から、首都圏からの距離感など、観光地としてだけではなく、「働き方」や「暮らし方」という文脈で熱海の可能性を広げていきたいと考えていました。その中で“複業”という切り口に関心を持ったんです。

きっかけとしては、昨年ビズリーチが熱海市とほか2都市で、地元企業に対して複業限定で人材を公募する企画を実施し、その現地コーディネーターとして関わったことです。

その取り組みでは、熱海の企業4社の募集に対して、約330名という応募がありました。熱海は東京からアクセスが良く首都圏から通いやすいので、ある程度は人気になるとは思っていましたが、予想外の数字で驚きました。

複業に興味を持つ人がこれほど多く、かつ地元企業のためにもなる。熱海で「地方×複業」に関する事業をやってみようと思いました。


水野氏が手がけるCIRCULATION LIFEでは、熱海の企業インタビューや、複業に関する求人情報などを発信している

──ビズリーチの時に募集をしたのは、どのような企業だったのでしょうか。

水野:一つは地元のガス会社さんで、SNSでの情報発信をコーディネート、設計してくれる方を募集されていました。

他には自社が保有している25万坪の庭園を有効活用するために、プランナーを募集されていた老舗ホテルさんや、旧来の人事評価や制度設計を変えるために組織開発や人事労務のスペシャリストを求めていた建築会社さん。クルマとは全く関係無くてもOKな、新規事業の立ち上げ支援を募る自動車教習所など、様々な要望がありました。

──募集内容がユニークで具体的ですね。

水野:そうなんです。「地方には仕事が無い」とよく言われがちですが、実際には違うのではないかと感じました。

確かに、ネットで「地方 仕事」と検索しても、東京にいる方がピンと来る仕事はなかなか出てきません。ですが、地方の企業の方に詳しくヒアリングをしてみると、任せたい仕事やアイデアがいくつも出てくるんですよ。

複業パーソンの受け入れは、単なる労働力の補完に留まりません。
企業側にとっても、「こういう人材がいれば、こういうことが出来る」、「将来的にこんなことをしたい」など、必要な人材像の棚卸しから、事業や会社自体の方向性を見直すひとつの機会となります。

もちろん首都圏の方にとっても、地方での複業はこれまで培ったスキルや経験を活かし、自身のキャリアやチャンスを広げるきっかけにもなりますし、そこでの経験を本業に生かすことができたら、本業の企業側にもメリットがあります。

首都圏人材から地方へ、一方的にスキルや経験が落ちる流れではなく、地方での複業経験がちゃんと本業や彼らのキャリアに繋がるサイクルを私は、「循環型生活」と呼んでいて、今後もこうした流れを作っていきたいと考えています。

──水野さんご自身と、熱海との関係についてもう少し詳しく教えてください。

水野:もともと、生まれが熱海なのですが、積極的に関わろうと思ったのは、実家のお寺を継ごうと思ったことがきっかけでした。

ある時父が体調を崩し、それ以来「これからお寺をどうしていけばいいんだろう」と考えるようになりました。

例えば昔のお寺は“地域コミュニケーションのハブ”という役割を担っていましたが、現在は法要のとき以外、滅多に足を運びませんよね。お寺の役割そのものが形骸化してきているように感じていました。

時代は変わりつつあるとは言えど「お寺が持つ役割や機能を、現代に合わせた形で捉え直したい」と思い、自分が後を継ぐことを決めました。今後お寺のことを考えていくためにも、まずは地域のことを知ろうと2015年くらいから熱海の街づくりに参加しています。

その後2年くらい熱海と東京を頻繁に行き来する準備期間を経て、2017年に家族全員で熱海に完全移住をしました。現在は東京での仕事も好きで続けているので、リモートワークもうまく活用しながら週2〜3くらいのペースで行き来する2拠点生活をしています。

複業は、本業と同じくらいのモチベーションで挑むもの

──ところで、「複業」と「副業」の違いとは何でしょうか。

水野:副業というのは昔からある、スキマ時間でのお小遣い稼ぎなどが目的の働き方のイメージが強いですよね。

それに対して複業は、先々のキャリアや自分が実現したいことを見据えながら、サブではなく、本業と同じくらいのモチベーションを持って取り組む仕事のことだと私は考えています。

──複業を行う人は、やはり若い人が多いのでしょうか。

水野:そうですね。例えば先ほど話した老舗ホテルで複業されている方は27歳で、複業という働き方は数年前から始めたと聞いています。新卒で大手IT企業に入社したものの、働いていくうちに「自分の仕事は会社の力で成り立っているのではないか」と考えるようになったそうです。

その後複業と出会い、自力で人を喜ばせる体験を通して、「自分のスキルや経験が人の役に立つんだという自己肯定感を得られた」と話していました。

もちろん若い方だけではなく、40代や50代の方もいます。
人生100年時代ですから、会社を辞めた後のことを意識して、地方でキャリアを試したいという思いを抱えている方も多いようです。

変化する、地方における複業への意識

──水野さんから見て、今の日本人の働き方に対して、課題を感じることはありますか。

水野:日本も多様な働き方が、少しずつ認められてきていると思います。複業もやろうと思えば、始められる環境にはなってきている。

ただ現実には、複業をしたい人を受け入れる企業はまだまだ少ないですし、地方ではなおさらです。また、その受け入れ企業の意識変革も必要です。

人材不足の補完として仕事の一部を単に任せるだけだと、その人が去った後には何も残らない。スキルや経験が蓄積していきません。「複業」はあくまでも企業が良い形で変化していくための手段のひとつなので、複業を入り口として、会社としてその人を迎え入れることでどうなりたいのか、何を実現したいのかなど、会社全体の「働かせ方」まで変えていかないといけないと思います。

地方企業は、例えば求人を出す時に、「誰でもできる仕事です! 誰でも来てください」と言いがちなんです。人手が足りないため間口を広げようとするからなのですが、誰でもできる仕事をやりたいと思う人はあまりいませんよね。
どうしたら人が働きたくなる仕事を創出できるか、そこに企業は向き合う必要があります。

いま日本の有効求人倍率は約1.63%と、個人が仕事を選べる時代になりました。そういう背景からも「働き方」と「働かせ方」は、セットで考えなければいけません。その部分が、まだまだ課題だなと感じます。

──地方企業は地元の価値観を大事にしている印象があります。複業への意識を変えるのは、一筋縄にはいかないのでしょうか。

水野:必ずしもそうではありません。丁寧に複業のメリットとデメリットを伝えられれば、理解してもらえると思います。

実際、複業を導入し始めた地元企業では、複業者と社員がチームとして動き、新たな挑戦や結果が生まれ始めていますし、その中で「一社に勤め上げることが美徳だと思っていたけれど、違う価値観もあると知れて良かった」という社員の方の声も聞くことができました。


熱海の老舗ホテルの庭園に、新たに絶景を望む写真スポットが登場し、観光客で賑わいを見せている。この「フレームハウス」は複業で関わった女性が主導し、社員と共に進めて実現した。©ホテルニューアカオ

まずは価値観をすり合わせる努力をし、お互いが歩み寄っていくことが大切です。とは言え一歩目は、企業のほうから変わっていくべきだと思います。

条件を一方的に求職者に押し付けるのではなく、首都圏の方でも働きやすい環境を整えるためにも、例えばSkypeなどのITツールなどは柔軟に導入していって欲しいですね。

水野綾子が見据える「複業の先」とは

──複業のメリットとは、何でしょうか。

水野:まず個人においては、これまで培ってきたスキルや経験を活用する場やコミュニティを、横に増やすことで、自身のキャリアを広げていけます。本業という安定があるからこそ、チャレンジができるというメリットもありますね。

会社に属しながら個人事業主的な感覚や価値観が味わえる点もいいですし、その感覚を以って本業に向かうと、仕事への向き合い方も変わると思います。

一つの職場に勤めていると、自分の持つスキルは平凡なものであると思いがちです。ですが、一歩外に踏み出してみれば、案外そのスキルは重宝されることも多いです。特に地方は東京よりも人口が少なく、いい意味で余白がある。スキルの希少性も高まりやすく、活躍出来る機会も多くなります。

例えば東京ではスケジュールをクラウド上で管理することはもはや常識ですが、地方では案件や予定をホワイトボード上や帳面など、アナログで管理している企業も少なくありません。アナログでの管理が全て悪いとは言いませんが、効率面などを考えて、変えていきたいという企業さんもあります。

ちょうど今、サイト上でバックオフィス人材の複業求人を掲載していますが、つまり自分が普段から何気なくこなしている業務も、地方に目を向けてみれば、案外求められるスキルに変わるかもしれないということなんです。

──企業側から見た、複業パーソンを仲間にするメリットとは、何でしょうか。

水野:ひとつは、ローリスク、ローコストでスキルを持った人材を雇用できる可能性があるという点です。正社員で経験やスキルを持つ人を雇うとなると、費用もそれなりにかかりますし、そもそも都内から地方に転職してもらうことが難しい。

そして、人が「働きたくなる」仕事を作ることに向き合っていくことが、企業の組織力の底上げにも繋がると思います。人材をきちんと活用して、事業展開のスピードをあげたり小さくとも売り上げを立てることで、次の挑戦ができる体力や自信もついていきます。

──では反対に、マイナスな点は何でしょうか。

水野:複業をする側としては、特に複業開始直後は本業と複業のバランスを取るのが難しいため、オーバーワーク気味にならざるを得ないということです。

これまでは100のパワーで本業の仕事に向き合っていたけれど、120のパワーで力を出さないと仕事が回らなくなってしまう可能性があります。それで実際に負担に感じて、複業を辞めてしまう人も少なくありません。

──複業が上手くいく人の特徴は、何でしょう。

水野:自分のキャリアをこれからどうしていきたいのか、についてしっかりと向き合えている人ですね。

そういう人は、複業の仕事も片手間ではなく、ちゃんと結果を残そうと貪欲になります。それが自身のキャリアに直結すると理解しているからです。結果を残すことで、ようやく企業との信頼関係が生まれ、はじめて継続やキャリアに繋がっていきます。

──いかにして本業とのバランスを取っていくのかが、ポイントですね。

水野:そうですね。複業という働き方には合う合わないがあると思いますし、必ずしも複業を勧めたいわけではありません。だからこそ、複業をすることが目的になるとしんどくなるのではないかと。

複業はある意味で、準備期間のようなものだと思います。個人にしても企業にしても、複業をずっと続けるわけにはいきません。「将来どうしたいのか」を考え、柔軟に互いの働き方を変えていかなければいけないでしょう。

どこで複業を始めるにもまずは自らを“棚卸し”することが大事

──これから複業を始めたいと思っている人は、まず何から手を付ければいいでしょうか。

水野:まずは、自分のスキルや出来ることを書き出してみて、一旦棚卸しをするのが良いのではないかと思います。

当たり前ですが企業側からすれば、人柄や情熱だけでなく、スキル面も見たいという思いがありますから。その時に自分は何が出来るのか、ということをはっきり把握していれば、それは強みになるでしょう。

ただ、複業の受け入れ先を見つけるのは、やや骨が折れることかもしれません。複業のマッチングサイトも徐々に増えてはいるものの、現在複業をしている方の7割が、知人の紹介からなど人づてで仕事が始まった、というデータもあります。実際のところ、まだまだ受け皿が少ないというのが現状です。

なので私が携わっている事業においても、Webサイトを通じた複業先のマッチングが行われやすい環境整備を追求していかなければと思っています。

──CIRCULATION LIFEについて、今後のどのようなことを軸に、サービスを運営していこうと考えていますか。

水野:複業求人はもちろん、複業パーソンと企業がそれぞれ前後でどのように変わっていったのかなどを、サイトを通じて発信することで、熱海で複業をしてみたいという人を増やしたいですね。

地方での複業は、移動の負担や手間はかかります。そんな中で、単純な求人情報だけでは人は「やってみよう」とならないのではないかと思うんです。「この企業で働きたい」「ここでスキルを活かしたい」と思ってもらえるように、企業側の想いや魅力部分をしっかりと汲み取り発信し、質の高いマッチングを進めていきたいです。

となると、マッチングの前段階から企業と一緒に価値や魅力の棚卸し、要件定義の整理、欲しい人材やその人と実現したい未来のすり合わせなどが重要ですし、そこに大きな意味がある。ひとつひとつ丁寧に熱海で事例を作っていき、将来的には、熱海と同じような首都圏や大都市の近郊のエリアなど、より幅広いエリアでこの取り組みを広げていけたら面白いなと思っています。

私やこのサイトを通して複業に携わり、ちょっと楽になったり、よい変化に繋がる人や企業が少しでも増えてくれたら、これほど嬉しいことはないですね。

水野綾子
1985年、熱海市生まれ。編集者。出版社で雑誌の編集を経て、2015年から編集業に加えて“人のPR業”を開始。将来的に実家のお寺を継ぐため、2017年に家族で熱海に移住。東京での仕事を続けながら、新幹線で熱海・東京間を行き来するサーキュレーションライフ(循環型生活)を送る。これまでの経験を活かし熱海のまちづくりにも関わり、二拠点、複業など「多様な働き方」を熱海から実践、発信中。2019年7月には熱海の企業と主に首都圏人材「複業」でつなぐプラットフォーム「CIRCULATION LIFE」の運営を始める。3児の母。

取材・文:花岡郁
写真:西村克也