「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉は、タイムマネジメントによって否定できるかもしれない。徹底されたタイムマネジメントによって、バイオリン奏者として活動する傍ら起業家としての一面も併せ持ち、音楽・ビジネスの両面で活躍を納めているのが廣津留すみれ氏だ。
大分県の公立高校からハーバード大学に現役で合格した彼女は、その後首席で卒業、さらにはジュリアード音楽院に進み、こちらも首席で卒業したという華々しい経歴の持ち主である。
異なる分野を両立して成功できた秘訣や、両立することで見えてきた世界、そして今後の展望について廣津留氏に話を伺った。
ToDoリストを用いた効率化で、音楽と勉強を両立しつつハーバードに合格
略歴を見るだけ、華やかな道を通ってきたかのように見える廣津留氏だが、彼女はどのような努力をしてきたのだろうか。そのきっかけは幼少期から習い続けているバイオリンにあるという。
廣津留:「2歳の頃からバイオリンを続けていて、高校2年の時に全米ツアーの機会をいただきました。その時点でハーバードへの受験は全く考えていなかったのですが、せっかくなのでアメリカの大学がどんなものなのか見てみたいと思い、実際にハーバードに行って現役学生が大学を案内してくれるツアーに参加しました。その時にアメリカの大学のシステムに惹かれて、受験を決意しました」
廣津留氏は受験を決めたきっかけをそう語るが、世界の大学の中でもトップクラスの門は簡単に超えられるものではないはず。彼女はどのようにして、大学に合格できるほどの学力を身につけることができたのだろうか。
ハーバード在学時
廣津留:「タイムマネジメントですね。小学生の頃からToDoリストをつけて、「明日の朝ぞうきんを持っていく」など、どんな些細なことであっても書き出すように習慣づけていました。学年が上がるにつれ、書き込む内容がだんだん「英語の勉強をする」といった形でレベルも平行して上がっていきます。
もともと、課題の細分化も大好きなんです。
例えば、『1年後、3年後にどうしたいか』というぼんやりした目標だと放置してしまうので、『その目標に向けて次の5分間で何ができるか』というところまで落とし込んでいくというプランの組み立てを実行していました。
バイオリンの勉強も同じ発想で、ただ長くやれば良いというわけではなく、効率の良い練習になるよう心がけていました。特に高校時代は宿題が多く、2時間ぐらいの限られた時間内にどれだけ練習できるかという中でやっていましたから、効率的にやるという姿勢は自然に身につきました」
目標の細分化を行うことで、ハーバード・ジュリアードを共に首席で卒業
こうして名門大学に彼女は入学をしたのだが、驚くべきことにさらに彼女は“首席”でハーバードを卒業。そしてジュリアード音楽院へと足を進めることになる。一体彼女を突き動かす思いとは何だろうか。
ハーバード卒業時
廣津留:「首席で卒業できるなんて思っていなかったので、意識していたことは特にありません。卒業時には音楽とグローバルヘルスを専攻していたのですが、ハーバードには音楽の実技がなく、卒論は作曲した作品か、論文として提出することが一般的でした。
けれど、私の場合はせっかく自分でバイオリンを弾けるので、演奏としての卒論はどうですかということで教授のところにプロポーザルを持っていって、一緒に作っていきました。振り返ってみるとそういった部分が効果的だったのかもしれません。
ハーバードでは4年生のはじめぐらいから皆は進路を考え始めていて、多くはコンサルやテック、金融などに進んでいきました。でも私はバイオリンの方でそれまで個人の先生についていたことはあっても、ちゃんと音楽学校で勉強したことがなかったので、長い人生、ここでチャレンジしてみたいなと思い、ジュリアードの大学院を受けることにしたんです」
とはいえど、ジュリアード音楽院も名の知れた名門校である。そんな学校に受かった秘密「効率化」がポイントだと彼女は言う。
廣津留:「やはり効率化ですね。音源の審査を通過してからオーディションまでは、ずっと地下の練習室に籠もって練習していました。ジュリアードの試験は大学の成績や小論文も一応提出はするのですが、オーディションの比重が非常に大きい学校だったので、それこそ『今日はこの曲を完璧にする』『明日はこれをやる』と目標を細分化し、効率的に練習していく必要がありました」
演奏活動のかたわら、日本とアメリカ、ビジネスと音楽の架け橋として活躍
このように彼女は「目標の細分化」を徹底することで、華々しい経歴を手にしたのだが実はバイオリニストとして活躍する一方で起業家としても活動している。このまま音楽家になると思われた彼女は何を思い起業したのだろうか。
廣津留:「ジュリアードを卒業したのが5月で、その年の夏に会社を設立しました。
卒業した時点で、その後の軸足にするのはバイオリニストとしての活動と決めていたのですが、ジュリアードのような名門を出ても職に困っている先輩を多く見てきたので、フルタイムのミュージシャンという選択肢はあまり現実味がありませんでした。
かといってミュージシャンとしてツアー活動などをやっていくのであれば、9時~5時の仕事はできないので、どういう形態なら自分にとってやりやすいかなと考えた結果、自分で起業するのがいちばん良いだろうと判断して会社を作りました。
主なビジネスとしては演奏活動だけではなく、ゲーム音楽の作曲やコンサルティングを行っています。近年音楽で成功している人は、InstagramやYouTubeをうまく使い、インフルエンサーとしての知名度で勝負している方が多くいるのですが、小さな頃から音楽だけをやってきたソロのミュージシャンだと、セルフブランディングについて考えたことのないという方が意外と多いんです。ですからそこに対するコンサルというのは自分の周囲でも需要がありました。
また日本の団体でアメリカに支部を置きたいとか、アメリカでの活動を増やしていきたいということでお声掛けいただき、アメリカの音楽業界はこうだからとか、この部分はアメリカに合わせた方が良いなどのアドバイスも行っています。
ニューヨークで活動する日本のミュージシャンでビジネス寄りの知識もある人というのはあまり多くないので、そういうニッチなところでバリューを出せるかな、ということでやっています」
将来はグラミー賞を
日米で過ごしたことはもちろん、ハーバードで得たんビジネススキルと、ジュリアードでの音楽サイドのスキルの両方を持ち合わせるからこそ、音楽とビジネスをつなぐ活動を行う彼女は今後何を目指していくのだろうか。中期、長期的な目標について訊いてみた。
廣津留:「まず短期的な目標ですね。最近では、日本だと本の著者などとして講演に呼ばれることが多く、一方アメリカでは主にバイオリニストとしてだけ呼ばれている状態なので、そこをフリップしていきたいですね。日本でももっと演奏したいですし、アメリカでもワークショップやレクチャーをやっていきたいです。
中期的にはeスポーツが気になっていますね。音楽をもっと身近にする良いきっかけになるのでは、と思います。。また最近はゲームのレコーディングも人件費を安く抑えられる東欧などでやるケースが多く、人材もグローバルになってきています。そういう部分を注視するのも面白いかなと。
長期的な目標としては、グラミー賞をいつか取りたいという野望があります(笑)。2018年の時点でグラミー賞を受賞した女性は20%だけで、まだ男性がリードしているという統計があります。ニューヨークではこのギャップを埋めるために音楽プロジェクトにお金を使いたい女性向けの奨学金も出てきて気風が高まっているので、いつかという思いはあります。日本人で取っている人も多くないので」
これまで徹底されたタイムマネジメントによって成果を収めた廣津留氏は、その先の目標に向かってさらに活動の幅を広げながら二兎を追いかける。
・廣津留氏著書:ハーバード・ジュリアードを 首席卒業した私の 「超・独学術」
取材:木村和貴
文:辺川 銀