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グーグルが5億ドル(約540億円)で買収した英ロンドンのAIスタートアップ、ディープマインド。欧州内でのグーグルによる買収で過去最高額になったとして大きな話題を呼んだ。
ディープマインドの共同創業者でCEOのデミス・ハサビス氏は2010年に同社を起業する前、AIの知見を深めるためにユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で認知神経学の博士号を取得。このためディープマインドとUCLには強いネットワークが構築されており、UCLのロンドンにおけるAI研究・AI人材育成ハブとしての地位は一層強固なものになっている。
英国のAI産業を支えるプレーヤーとしてディープマインドとUCLは必要不可欠な存在であるといえるだろう。
一方で、英国のAI産業を見る上で欠かせないクラスターがもう1つ存在する。1953年に世界で初めてコンピューターサイエンス学位プログラムを設置したといわれるケンブリッジ大学を中心とするクラスターだ。
英国のスタートアップ支援メディアTech Nationによると、2015〜2018年の英国各都市におけるテクノロジー投資額でロンドンに次いで規模が大きかったのがケンブリッジなのだ。
ケンブリッジのデジタルテクノロジー企業による2017年の売上高は24億ポンド(約3,200億円)。既存企業の事業拡大や起業の増加によって、ケンブリッジのデジタルテクノロジー人材需要も急速に伸びている。このような状況下、大型の資金調達を達成し、世界展開を加速するAIスタートアップも増えている。
活況を呈するケンブリッジのAIスタートアップシーン。その最新動向をお伝えしたい。
AIでサイバー攻撃自動検知、ケンブリッジ発AIユニコーンDarktrace
2013年にケンブリッジ大学の数学者らによって設立されたAIサイバーセキュリティ企業Darktrace。機械学習を活用し、脅威の検知から対抗策の実行までを自動で行うシステムを開発している。
世界中でサイバー攻撃の頻度や損失額の増大が見込まれる中、同社が開発するAIサイバーセキュリティシステムへの期待は非常に大きなものになっている。クランチベースのデータによると、Darktraceのこれまでの資金調達額は2億3,000万ドル(約250億円)。評価額は16億5,000万ドル(約1,800億円)とユニコーンのステータスを獲得するまでに至っているのだ。
同社ウェブサイトによると、すでに世界40カ所にオフィスを開設、従業員数は900人以上。サービスは110カ国以上で展開しているという。
アドバザリーボードには、元CIA最高情報責任者のアラン・ウェイド氏や英情報機関MI5で長官を務めたことのあるジョナサン・エヴァンズ氏などそうそうたるメンバーが名を連ねている。
Darktraceの最高技術責任者であるジャック・ストックデール氏は、ケンブリッジ大学においてベイス理論に基づいた数式モデルとAIアルゴリズムを研究しており、この成果が同社のAIサイバーセキュリティシステムの根幹になっている。
サイバーセキュリティ・ベンチャーズによると、世界中でサイバー犯罪がもたらす被害総額は2015年に3兆ドル(約324兆円)だったが、2021年までに6兆ドル(約648兆円)に拡大する恐れがあるという。サイバーセキュリティ人材不足問題は当面解決しないとも見られており、Darktraceへの注目は今後も高まっていくことが予想される。
英国の自動運転車取り組みをけん引する中核スタートアップFiveAI
ケンブリッジ大学出身のスタン・ボランド氏が2015年に設立したFiveAIも注目AIスタートアップの1つだ。同社が開発するのはコンピュータビジョンを活用した自動運転技術。
クランチベースによると、同社のこれまでの資金調達額は3,770万ドル(約40億円)。
自動運転分野で世界をリードしたい英国。FiveAIはその目論見を実現する中核プレーヤーとして政府からも手厚い支援を受けている。2019年4月にはロンドン市内でテスト走行を開始。2022年までに自動運転タクシーサービスの実現を目指すという。
現在ケンブリッジのほかに、ブリストル、エジンバラ、オックスフォード、ロンドン、ミルブルックにオフィスを設置。オックスフォード大学、ブリストル大学、エジンバラ大学はAI研究・AI人材育成に力を入れており、研究者ネットワークの活用や人材獲得で優位となるオフィス開設といえるだろう。
Darktraceと同様にアドバザーには有力な人物が名を連ねている。1人はオックスフォード大学のコンピュータービジョン研究グループ「Torr Vision Group」を率いるフィリップ・トー教授。もう1人は、英国AI研究の第一人者と目されるアンドリュー・ブレイク氏。ケンブリッジ大学名誉教授であり、英国アラン・チューリング研究所の初代所長を務めた人物だ。
英国では自動運転車が普及することで自動運転車関連を中心に新しい雇用が生まれることが期待されており、その経済効果は6,200億ポンド(約85兆円)に上るともいわれている。FiveAIが担う役割は非常に大きなものになると予想される。
「強化学習」を駆使したAI意思決定システムを開発するProwler
ケンブリッジ大学の数学者らが2016年に立ち上げたProwlerにも注目が集まっている。
機械学習の手法は大きく、教師あり学習、教師なし学習、強化学習の3つに分けられる。多くのAIスタートアップが用いるのが、教師あり学習か教師なし学習。
たとえば、Darktraceは教師なし学習の手法を用いて、サイバー攻撃を検知するシステムを開発している。自動運転に活用される画像認識などは教師あり学習の範疇となる。大量のデータから最適な選択を学習するのが教師あり・教師なし学習。
専門的な言葉を使うと、損失関数の「最小化」という原理で動いている。一方、強化学習はエージェントのリワード「最大化」という原理が働いており、教師あり・教師なし学習とは大きく異なるモデルとなっている。
強化学習の利点は、人間が生み出した過去データを用いずAI自身が最適な選択肢を見つけられることにあり、これによって人間には考えもつかなかったような最適化が可能となることだ。
Prowlerは、この強化学習を用いた「AIによる意思決定」システムを開発してるのだ。この意思決定システムの応用範囲は、投資、ロジスティクス、自動運転など多岐にわたる。
これまでの資金調達額は3,890万ドル(約42億円)。2019年5月の資金調達ラウンドでは、中国テンセントなどから資金を調達し、その評価額は1億ドル(約108億円)になったと報じられた。
強化学習を用いたAIスタートアップの先駆けとして、今後存在感を高めていくことが期待される。
このほかにも、AIを活用した低コスト交通最適化システムを開発するFlowXやAIによる難病治療の開発を目指すHealxなどケンブリッジ発の注目AIスタートアップは数多く存在する。Darktraceに続き、どのようなケンブリッジ発AIユニコーンが登場するのか、今後の動向から目が離せない。
[文] 細谷元(Livit)