様々な大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。今回は、映像の専門学校を卒業後にアメリカへ渡米し、帰国後は人気CM監督として、そして長年の夢だった映画監督へとキャリアを積まれている萩原健太郎さん。
「仕事は僕のすべて」と言い切る萩原さんの映画監督への道のりと、“やりたいこと”を自分に引き寄せる方法についてお伺いしました。
映画を学ぶため20歳でアメリカへ
——今、どんなお仕事をされていますか?
萩:CM、映画、ドラマ、Webムービーなど映像作品全般の監督業をしています。
——監督というお仕事は学生時代から目指されていたんでしょうか?
萩:実は、もともとは役者志望だったんですよ。でも向いていなかったんでしょうね、カメラが回ると頭が真っ白になっちゃうタイプで(笑)
事務所に所属していた時代に井筒監督の作品に少し出させていただいた機会があって、「監督ってカッコいいな」と漠然と思い始めたのがきっかけですね。
——高校を卒業されてからはどういった道を進まれたんですか?
萩:当時、役者もまだやりたいし、映画、建築や家具のデザイン、写真、ファッションなど色んなものに興味があったんです。「これって、映画の世界に進めば全部できるんじゃない?」と思い、高校卒業後、映像の専門学校に進学しました。
——そこからアメリカに留学されるんですよね。
萩:日本の映画業界の現実にぶち当たって、ここにいちゃダメだなって感じて。
だったらずっと行きたかったアメリカで映画を学びたいと思って20歳で渡米しました。
——留学時代から映像制作に携われているんですよね。
萩:在学中に何人かで制作会社を立ち上げ、ローカルのCMや短編の映像作品を日本から受注して作っていました。
でも、お金は稼げてもハリウッドと繋がっていくわけじゃないので「映画をやりたい」という気持ちから現実はほど遠い感じでしたね。
——当時からハリウッドを見据えて活動されていたんですか?
萩:そんなに大げさなことではないですけど、やはり映画をやるならハリウッドという意識はありました。
当時ワーナーブラザーズのスタジオの裏あたりに住んでいたんですよ。
毎日スタジオの前を通っていて、「近くて遠い世界だな~」と思っていました(笑)。
——学生時代に将来への不安や悩みってありましたか?
萩:世界中から集まったライバルがクラス内に十数人いる中でしたので、“この中でどうやったら勝ち残っていけるか”しか考えていなかったです。
将来がどうこうというより、目の前にある課題にどう対処していくかの方が大事だったかな。不安や悩みなど、考えている暇がなかったですね。
——大学をご卒業後の進路は?
萩:卒業したのが27歳。そこからアメリカで大学院に進むか、日本に帰国するかの2択でした。
日本で映像をやっていくとしたらどういう場所があるんだろう、と思って調べていたら「THE DIRECTORS GUILD」というフリーランスのディレクター集団を見つけたんです。
そこに魅力を感じ、自分の作品集を送ったら会っていただけることになりました。
たまたま大学の先輩の方がいたこともあって「じゃあうち来る?」って言っていただいたので、帰国してそこに参加しました。
アシスタントからCM監督、映画監督へ。そして独立
——帰国されてからはどのような活動をされていたんですか?
萩:1年くらい色んな監督について、CMの企画を考えていました。
代理店とのプレゼンに参加させてもらえるようになったんですが、ギャランティは全部歩合制。プレゼンが通ったら1万円、企画が通ったら10万円。コンテを書くのは3千円、とか(笑)。深夜に作業していてもタクシー代は自腹なのでマイナスでしたね。
——修業時代って感じですね。そこからどのようにステップアップされたんですか?
萩:毎日、「くそう!」と思いながらやっていましたよ(笑)。
ミュージックビデオを監督したのがきっかけで、そこからCMやWebムービーの仕事をちらほらいただけるようになって。
——印象に残っているお仕事はありますか?
萩:一番転機になったのは2014年にテレビ東京でオンエアされた「Friend-Ship Project」というドラマの仕事です。
それを手掛けてから仕事が明らかに増えたという実感がありました。
——そこから監督として多数の作品を手掛けていかれるんですね。独立されたきっかけは何だったんですか?
萩:2016年に「東京喰種」という作品でずっとやりたかった映画を手掛けたことや、日本に帰国して10年という節目で「今後何がしたいんだろう?」と考えた時に、やっぱり僕は映画やドラマを作っていきたい、そして、ゆくゆくは海外でチャレンジしたいという気持ちを改めて感じたんですね。
そこで2018年に事務所を独立し、同じ志を持つ仲間と一緒にフリーランスのクリエイティブ集団「solo」を立ち上げました。
——CM、映画、ドラマ、アニメなど多ジャンルで活躍される方々となぜフリーランスの集団を立ち上げられたんですか?
萩:例えば連ドラって、日本だと脚本家が1人で全部書くんです。
アメリカだと分業制になっていて、構成を考える人、キャラクターを考える人、セリフを考える人って細かく分かれている。だからあんなにクオリティが高くて面白いものを作れるんですよね。
僕がやりたいのはそういうこと。
1人で全部やるんじゃなくて、みんなで分担してそれぞれが得意なことをやればもっともっと面白いものが作れるはず。そういう仕事をどんどん増やしていきたいんですよね。
——CM監督として活動していた萩原さんですが、映画の現場に挑戦されたとき、困難に思われたことってありましたか?
萩:映画制作の現場で一番大変だなと思ったのは、同じスタッフと長期間を共に過ごし、1つの作品を創り上げていくこと。
CMの現場って長くても数日なんですが、映画は撮影期間が長いので、色んな部分で折り合いをつけるのが難しかったですね。
——監督という立場上、難しい場面もたくさんあるということでしょうか?
萩:そうですね。ベテランのスタッフの方も多かったので、相手のやり方を否定せずに自分のやりたいように持っていくのが大変でした。
——色んな人の意見をまとめていかなければいけない立場なんですね。
萩:あるスタッフの女性に、「ベテランですね」って誉め言葉のつもりで言ったら、こう言われたことがあったんです。
「ベテランっていうのは、何も新しいことをしないでただ年を取っている人のことだと思う。私は自分の経験を過信して仕事をするんじゃなくて、ゼロの立場でこの作品に対して向き合ってるのよ」って。
自分のこれまでのやり方に甘んじずに、自分を疑っていくっていうその姿勢がとても勉強になりました。こういう風に年を重ねたいなって。
やりたいこと、好きなことをアピールして仕事に結びつける
——萩原さんがはたらくを楽しむために必要なことはなんだと思いますか?
萩:世の中の人がどうなのかは分かりませんが、僕は、お給料や拘束時間といった条件で仕事を選んだことがないんです。
自分がやりたいことを仕事にしてきているので、“やらされている”という意識はゼロのまま、ここまでやってきました。
仕事を与えられている感覚でやるのと、自分からこう思う、こうしたいと思って動くこと。そこの違いに、仕事を楽しむためのヒントがあると思うんですよ。
入りたい会社が採用募集をしていなくても、どうしても入りたいんだったら何かしらアタックできるはず。
——受け身なだけでは仕事は楽しくならないということですか?
萩:そうです。この仕事は受注産業でもあるので、色々なオファーをいただくことがあります。それをどういう風に取り組んで、仕事そのものを面白くしていくかは自分の手腕にかかっていると思います。
——萩原さんは、どうやって自分がやりたいジャンルを仕事に繋げていったんですか?
萩:さっき話したテレビ東京の「Friend-Ship Project」から仕事が上向きになっていったのは、あの作品で「自分はこういうものが作りたい」というのをアピールできたからだと思っています。自分のやりたいジャンルのことがわかって、やりたいことができるようになった転機でもありました。
——作品がきっかけで世の中に萩原さんのやりたいことをアピールできたんですね。
萩:僕は作品集を作る時にも、自分が作りたいものに近い作品しか入れないんです。自分の色みたいなものをアピールしていればそういった仕事がやってくると信じています。
——それはどんな仕事にも通じるものがありそうですね。
萩:はい、業種とかは関係ないと思いますよ。アルバイトでも自分の武器みたいなものを見つけてアピールすればそれが必要とされて得意な仕事がまわってくる。好循環ですよね。
自分を疑ってかかることで相手を理解し、楽しくはたらく
——萩原さんにとって“はたらく”とはなんですか?
萩:僕にとってのすべてです。自分が自分でいられるもの。
仕事が無くなったら自分じゃいられなくなるっていうのがわかっているから、どんなことがあってもしがみついていきたいと思っているくらい大切なものです。
——そこまで思われるようになったきっかけは何かあったんでしょうか?
萩:仕事の都合でぽっかりスケジュールが空いてしまったことがあったんですが、何もやることがなくて、リストラされたサラリーマンみたいに、朝カフェに行ってじーっと座っていた時期があったんです(笑)。その時の虚無感がすごかったんですよね。
——人生で初めて仕事がない状態っていうことですよね。
萩:その時に確信したのは、「自分には仕事がないとダメなんだ」ということ。
もちろん楽しいことばっかりじゃないですよ。映画を撮影している時だって何度も死にたいと思うくらいの苦しさもあるけど、それでもやりたいと思う強い気持ちがそこにはあります。
——作り手の感覚としてCMと映画で異なる点ってどこにあると思われますか?
萩:いいCMが出来た時の喜びは大きいし、大好きな現場です。でもやっぱり広告はクライアントありきなので最終的に自分で判断できないもどかしさはありますね。
映画は自分の色が出せるし、見てくれた人の生の声を聴くことができる喜びがあります。
——映画の感想などで言われて嬉しかったことはありますか?
萩:「東京喰種」の助監督のお母さんが中学校の教師をしていらっしゃるんですけど、結婚式に参列した時、お手紙をいただいたんです。
クラスにいつもマスクをして家にこもってばかりいる不登校の生徒さんがいて、その子が「東京喰種」を見て「自分も頑張りたい!」と外出できるようになり、高校受験も成功したと。それをぜひ監督に伝えてくださいってその子のお母さんから手紙を預かってくれていて。それがとっても嬉しかった。
映画って、そうやって人の人生を変えられるほどの力があるんだなって思いましたね。
——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。
萩:自分の意見を持つことは大事だけど、「自分が思っていることは絶対じゃない」と自分を疑ってかかることも同じくらい大切だと思います。
僕はこう思う、相手はこう思う、じゃあお互いの意見をすり合わせてどういう風に良いものを生み出すか。
そのためには人の意見を馬鹿にしないでちゃんと聞いて、自分に合わないなと思っても、何か得るものを見つけられるはずです。相手を理解しようと努めることで、はたらくことの楽しさって見つかるんじゃないかなと僕は思います。
- 萩原 健太郎さん(はぎわら けんたろう)
- CM監督/映画監督
1980年12月13日生まれ。2007年、米ロサンゼルスのアート・センター・カレッジ・オブ・デザイン映画学部を卒業。映像ディレクター集団「THE DIRECTORS GUILD」の養成機関「THE DIRECTORS FARM」に参加し、大企業のTVCMをはじめ、MVやショートフィルムの演出を多数手がける。2017年、「東京喰種」で長編映画監督デビューを果たす。2018年、独立しフリーランス集団「solo」を立ち上げる。
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