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2018年12月、繊維、素材、医薬品などのヘルスケア商品などを製造・販売する興和株式会社と、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)は、共同研究により「ミノムシの糸」を産業用に取り出す技術開発に成功したと発表した。その中で、ミノムシから1本の長い糸(長繊維)を採糸する基本技術について、特許を出願したとしている。
興和と農研機構は2016年から興和先端科学研究所を設立。カイコやクモのような吐糸昆虫に着目し、自然由来の繊維素材を開発してきた。その中で、ミノムシ(オオミノガの幼虫)が吐き出す糸が、クモの糸よりも強く、丈夫であることを発見した。さらに、ミノムシの糸を樹脂と複合することで、樹脂の強度が大幅に改善されることを見いだした。
期待が高まるミノムシの糸の「強さ」とは
ミノムシの糸は、カイコやクモと同様、タンパク質でできた糸だ。自分がくるまるミノをつくったり、木の枝にぶら下がったり、移動したりする時に体内でつくった糸を吐き出す。太さは0.01mm程度、日本人の平均的な髪の毛が0.08mm程度といえばその細さがイメージできるだろう。
糸の「強さ」にはいろいろある。例えば「弾性率」は、外から力を加えられた時の変形のしにくさのことで、値が高いほど変化しない、つまり硬いことを示す。「破断強度」は、繊維を破断させるために引っ張った時に、どれだけ切れずに耐えられるかを示すものだ。そして、「タフネス」とは素材としての「丈夫さ」のこと。仮に破断強度が弱くても、よく伸びてゴムのように引っ張る力を吸収できればタフネスは高いといえる。
農研機構は2019年4月に豊田工業大学と共に行った研究の成果を発表したが、これによるとミノムシの糸は、破断強度においてオニグモの糸の1.8倍、タフネスさで2.3倍、その他の項目でもすべてクモの上回ったとしている。
また、糸の構造を解明し、その「強さ」がまんべんなく分散される機構であることを明らかにした。また、340℃までの耐熱性があり、非常に高い安定性を示したという。
農研機構プレスリリース「クモ糸を超えるミノムシの糸、強さの秘密を科学的に解明」参考図「各種シルクの一本糸の物性比較」
クモの糸とはどう違う?
引き合いに出された「クモの糸」と聞くと、Spiber株式会社が思い浮かぶかもしれない。「Spider(クモ)」と「Fiber(繊維)」を組み合わせて社名に掲げ、2007年に創業した同社は、人工のクモの糸を産業用に量産しようと研究開発を進めている。
クモの糸の「強さ」は古くから認識され、産業利用に向けて量産化しようという試みは100年以上前から世界中で進められてきた。ただ、クモの糸は、クモが吐き出した天然のものを産業に用いることはできない。
生きたクモから直接採糸する技術は研究レベルでは実現しているが、クモは縄張り意識が強く、共食いをすることもあるため養殖が難しいからだ。また、品質も一定でないという問題がある。
そこで、クモから直接採糸するのではなく、クモがつくるタンパク質と類似したタンパク質を人工的につくり出し、繊維化するというアプローチがとられる。Spiberの場合は、バイオインフォマティクス(生物情報科学)を駆使してクモの糸の遺伝子を抽出し、それを微生物に組み込んで培養することで人工のクモの糸の量産を目指している。
Spiberは2018年11月、微生物を使ってタンパク質をつくる工場を新設すると発表しており、2021年には商業生産を開始する予定。並行して具体的な用途開発も進んでいることから、量産化の動きはミノムシの糸より先んじているといえるだろう。
自動車・医療・宇宙領域など幅広い「糸」の用途
繊維を産業利用すると聞くと、真っ先に思い浮かぶのはアパレル用途かもしれない。ミノムシと同じガの幼虫であるカイコの糸「シルク(絹)」の産業としての歴史は古く、紀元前3000年頃の中国では絹の生産が始まっていたという。6世紀には、絹の製法がヨーロッパへ渡り、12世紀のイタリアで産業的に生産されるようになり、世界へ広がっていった。
絹はこれまで天然繊維の中で唯一の長繊維であり、その美しい光沢や肌触りのなめらかさから、洋服や和服にも用いられてきたのはご存知の通りだ。
繊維には他にも用途がある。人工繊維の一種であるガラス繊維や炭素繊維は、プリント基板や繊維強化プラスチック(FRP)に主に用いられる。樹脂にガラス繊維を混合して固めることで、樹脂単体でつくったプラスチックにはない、高強度、高靭性を持つ軽量なプラスチックを製造することができるためだ。
その「軽くて、強い」特長を持つ素材は、建築材料や自動車、航空機、ロケット、ゴルフなどのスポーツ用品、ヘルメットなどの安全具と、さまざまな製品に使用されている。
ミノムシの糸も、アパレルに使える可能性もあるだろうが、ガラス繊維・炭素繊維などのように構造材料に応用することが期待できる。また、カイコシルクは再生医療用素材としても研究されており、医療分野に貢献するバイオマテリアルとなる可能性も秘めている。
急成長する世界のバイオエコノミー市場
興和と農研機構はミノムシの糸について、「バイオエコノミーの観点から最先端の新産業を創出する革新的バイオ素材として、また脱石油社会に貢献できる持続可能な製品」として捉えているという。
バイオエコノミーとは何か。日本国政府は6月21日、「統合イノベーション戦略2019」を閣議決定したが、その中で、強化すべき基盤的技術分野として、AI(人工知能)技術、量子技術と並んでバイオテクノロジーを挙げている。
これに先だって6月11日に閣議決定された「バイオ戦略2019」において、バイオエコノミーとは「バイオテクノロジーや再⽣可能な⽣物資源等を利活⽤し、持続的で、再⽣可能性のある循環型の経済社会を拡⼤させる概念」であると説明している。
バイオテクノロジー、AI、量子技術、それぞれの進展が相互に作用することで、バイオエコノミーは今後さらに加速度を増していく。OECD(経済協力開発機構)が2009年に公表した「The Bioeconomy to 2030」によると、バイオエコノミーの市場規模は、2030年にOECDのGDPの2.7%に当たる約1.06兆ドル(約120兆円)に拡大すると予測した。
経済産業省「バイオテクノロジーが生み出す新たな潮流 ~スマートセルインダストリーの実現に向けて~」(平成29年2月)
「バイオ」の範疇に入るものは幅広く、農林水産業、健康・医療、エネルギー、工業などさまざまだ。OECDは「The Bioeconomy to 2030」の中で、特に農林水産業と工業分野の比率が高まるものと見通している。
予測通りになるとすると、2000年代半ばと市場と比較して3倍弱の市場に成長するということだ。
「バイオ戦略2019」ではこの「2030年」を見据え、世界最先端のバイオエコノミー社会を実現」を全体目標として掲げた。その実現したい社会像として以下の4つが示されている。
- すべての産業が連動した循環型社会
- 多様化するニーズを満たす持続的な⼀次⽣産が⾏われている社会
- 持続的な製造法で素材や資材のバイオ化している社会
- 医療とヘルスケアが連携した末永く社会参加できる社会
こうした社会の実現に必要とされるものであり、成長が見込める市場、内外から大きな投資が期待できる市場を以下の9つに設定した。
- ⾼機能バイオ素材
- バイオプラスチック
- 持続的⼀次⽣産システム
- 有機廃棄物・有機排⽔処理
- ⽣活習慣改善ヘルスケア、機能性⾷品、デジタルヘルス
- バイオ医薬・再⽣医療・細胞治療・遺伝⼦治療関連産業
- バイオ⽣産システム
- バイオ関連分析・測定・実験システム
- ⽊材活⽤⼤型建築・スマート林業
筆頭に挙げられているのが「⾼機能バイオ素材」である。石油由来の素材から、「軽くて、強い」バイオ素材への移行に対するニーズは、世界的に大幅な拡⼤が予想されている。そのうえ日本は素材技術、その用途である自動車製造などに強みを持つことが注目される理由だ。
これらの市場がそれぞれどの程度の規模になるのか、各領域で行う具体的な取り組みは、2019年度中に策定されるロードマップの中で明らかになる予定だ。
バイオエコノミーとミノムシの糸の合致点
ミノムシはカイコなどに比べて、1匹当たりの採糸量が多い。カイコは生きている間に繭をつくる時に1回しか糸を吐き出さないが、ミノムシは餌を与え続ければ、幼虫でいる1年の間に何度でも糸を吐き出せるからだ。またカイコが桑の葉しか食べないのに対し、ミノムシは雑食なので餌に気を使う必要がない。
ただ、ミノムシは、自然な状態ではまっすぐ糸を吐き出すわけではないため、ジグザグに折れた糸になってしまうのが難点だった。そこで農研機構は、ミノムシの「移動する際に糸を吐き続ける」という特性に着目し、ミノムシがまっすぐ長い距離を歩ける道を用意し、百メートル単位の長い糸を採取できる仕組みを考案した。これにより、大量飼育と糸の安定供給が可能になるわけだ。
さらに、たんぱく質でできているため生分解性があり、廃棄する時にも環境に負荷をかけないこともバイオエコノミーに合致する利点だ。興和は今後、素材メーカーと協力してミノムシの糸の量産化を目指す。コスト面では、カイコと同水準を当面の目標としている。
ミノムシの糸の生産体制の特徴が、こうした今後拡大するバイオエコノミーを支える「地蔵句可能性」「循環型社会」「健康(ウェルネス)」といったキーワードに合致する点も、量産化への後押しとなるだろう。
農研機構は今回の成果が、タンパク質合成や発酵、遺伝子組換え生物などによって「強い繊維」を人工的に作る場合の設計指標となり、目指すべき繊維の指針として活用されることが期待されるという。
クモの糸とミノムシの糸。物性の比較ではミノムシに軍配が上がったが、産業利用まで見据えると、生産体制や生産技術、それによって実現するコストと品質のバランスも、産業側が採用する際の1つの基準になってくるだろう。こうした競合技術が“切磋琢磨”することで、産業利用の可能性が広がっていくことに期待したい。
取材・文:畑邊康浩