フィンスタグラムーーこんな言葉をご存じだろうか。
フェイク・インスタグラムを省略してフィンスタグラム、フェイク・ニュース(嘘のニュース)と同義の「嘘のインスタグラム」アカウントのこと。このフェイク・インスタグラムが今10代の女子を中心にひそかな人気だそう。
本当の自分を取り戻すチャンス、と煽る心理学者がいたりもする、何かと注目を集めているフィンスタグラム。若者たちは何を目指しているのだろうか。
インスタブーム
インスタ映え、という言葉が日本で流行語大賞を取ったのが2017年。それ以降も、フェイスブックやツイッターなどソーシャルメディアが全体的にユーザー数で伸び悩んでいるといわれる中、ユーザー数を伸ばしていると言われている。
インスタグラムは、なんといっても画像、見た目が勝負。見た目にどんなにかわいくて美しい写真が撮れたか、珍しい映像が取れたか、がカギだ。スマホの浸透率の高まりと、驚異的に進歩した技術によって、今や誰もがプロ顔負けの写真を簡単に撮れる一億総カメラマン時代だ。
芸能人たちがイメージ作りのため、戦略的にインスタグラムの写真を挙げるのと同様、一般人の我々も同じことをしている。友人に自分はこう思われたい、認められたい、という理想像の承認欲求を満たすツールだからだ。
すると友人より、あの人よりも良い写真を撮ろう、どこそこへ行ったことを自慢しよう、思い切ってした贅沢をさりげなく自慢しよう、という気持ちが自然と沸き起こりどんどんエスカレートする。
近年突然インスタグラマーが押し寄せて社会問題になったインスタ映えスポットが話題になったのも記憶に新しい。
ティーンの女子なら持っている「フィンスタ・アカウント」
そして今、インスタグラムのアカウントを開設している10代、特に女子の間で爆発的ブームなのが「フェイク・インスタ」アカウント、フィンスタグラムだ。
現在持っているアカウントに加えてもう一つアカウントを持つということ。インスタグラムの機能そのものがアカウント複数持ちを支持している。
このフィンスタにいったい何をアップするかというと、髪型がきまらなかったダサい日の自撮り、本物のすっぴんの顔、失敗して形の崩れた手作りクッキー、散らかり放題の部屋、変顔、吹き出物・・・。
通常のインスタグラム投稿のようにフィルターをかけたり、黒目を大きくして可愛く見せたり、都合の悪い部分を切り取ったりはしない。ありのままの写真を投稿して、ごく親しい仲間だけに閲覧してもらうためのものだ。仲間内だけでウケる冗談をアップするのもあり。
実際、インスタグラム1つ目のアカウントには3,000人のフォロワーがいる女子高生も、フィンスタグラムのフォロワーは平均20人未満。しかもそれがフィンスタグラムにはちょうどよい数だ、と断言する。
「素敵な人生を楽しむ私」が社会全体の多くの人たちからどう評価されるか(どれだけ「いいね」をクリックしてもらえるか)を重視している一方で、自分でもそれが本当の自分でなく、飾られ、切り取られそして修正された自分と自分の日常であると、彼女たちも分かっている。
そのうえで、「本当の自分」を出せるフィンスタグラムでごく近しい人たちから、本当の評価を得たい、と思う承認欲求の表れだろう。
人間が「他人が見る理想的な自分」を思い描き、形にして人に見せる行為は、もう数百年も前にさかのぼる。
王族や富豪たちがこぞって自分や家族の肖像画を画家に描かせ、館に飾っていたのはインスタグラムの投稿と同じ心理だろう。きれいに修正された、自撮りさながらの絵画を人目に付く場所に飾り、人からほめたたえてもらう、承認欲求の表れだ。
脈々と受け継がれてきた人間の性は10代や20代の若者は自身のアイデンティティや、自己評価をどうしてよいものか迷い揺れる年ごろ。インスタグラムにその評価をゆだねてしまうのも致し方ないのかもしれない
背景に、フォロワーが不幸になる仕組み?
日常生活の中で、最高の一瞬を切り取り、幸せな家庭や、恋人との楽しい時間、わざわざ見に行った絶景、といった断片を自分のアカウントに投稿すると、なるほど自分の人生は素晴らしいことで満ち溢れているような気がしてくる。なにしろ嫌なことや、面倒なこと、隠しておきたいことは何一つインスタグラムに載っていないからだ。
インスタグラムにネガティブなことや悲しいことばかり投稿する人が少ないのは、それではフォローしてくれるファンがいなくなるから。前述のとおりインスタグラムは、知り合いでなくともフォローしてファンになることが可能で、このフォロワーが人気のカギを握るのだ。
ところが、このフォロワーの仕組みが近年の調査で心理的負担を与えていると指摘された。他人のインスタグラムアカウントを閲覧しては、「あの人はこんなに幸せそうなのに自分は毎日平凡な暮らしだ」「こんなに贅沢な生活をしている家族がいる一方でうちは日々の生活で手一杯」「みんなが旅行に出かけているのに私だけ仕事」など、自分との違いを自らわざわざ再認識しては気分が滅入るというものだ。
インスタグラムで見ず知らずの人をフォローし、その「知らない人」の数が多ければ多いほど、うつ病の兆候を発症しやすいとの研究発表もあった。つまり、誰か(のインスタグラム)を認め、人気を支えているとされるフォロワー自身が、真逆の心理に陥り心が病んでしまうという状況だ。
この「他人との比較」は、心理学の世界で社会的比較と呼ばれる。人々は様々な事柄を無意識のうちに自分と比較し、比較することによって自分の価値を見出したり、反対に不幸な気分に陥ったりするというもの。他人と比較することに強くこだわる人は特に心理的ダメージを受けやすく、インスタグラムで知らない人の生活を垣間見れば見るほど劣等感や孤独感、無力感に襲われることが判っている。
一番の治療法は今すぐにソーシャルメディアを止めること、と心理学者は提唱する。
救済策となるか、フィンスタグラム
統計によれば、アメリカの10代の若者、76%がインスタグラムを使用し、一日に平均で10回から30回もアカウントを確認している。
スマホを手放せない生活と、ソーシャルメディアを中心にした毎日を送る現代のティーンエイジャー。果たして、この素の自分を出したフィンスタグラムが心理的プレッシャーを緩和し、自分を取り戻すきっかけとなるのだろうか。
修正をかけたアカウントを「リンスタグラム(=リアル+インスタグラムの造語)と呼び、自分をありのままさらけ出すアカウントを「フィンスタグラム(嘘のアカウント)」と識別している矛盾も、若者ならではの複雑な心理を表しているのかもしれない。研究結果はまだこれからだ。
文:伊勢本ゆかり
編集:岡徳之(Livit)