起業・ベンチャー・大企業 全てを経験したはたらき人が語る信頼の重要性

富士通 福田大介

大学を卒業後、地域おこし協力隊やベンチャー企業、デザインコンサル企業、噴火による風評被害軽減プロジェクトなどの組織に所属され、現在は富士通の営業として勤務されている福田大介さん。

自分の知的好奇心を満たしてくれるものを追い求め、転職や様々な活動を行ってきた福田さんに、転職のきっかけや仕事へのモチベーションの保ち方などについてお伺いしました。

情報通信技術を活用した新しいビジネスで日本に大きな影響を与えていく仕事

——今、どんなお仕事をされていますか?

福:国策に連動した、新ビジネスの企画や推進です。

今、国では、日本を再興する為のICT(情報通信技術)の活用を前提とした、大きな施策が動いています。こうした動きをいち早くキャッチアップし、富士通グループとしてICTをどう活用し、我々がどんな役割を担えるのかという仮説を立て、具体的な戦略へと落とし込んでいくことが主なミッションです。

——具体的にはどういった内容なのでしょうか?

福:例えば、2016年1月にスタートしたマイナンバー制度。これが医療にも連動し、“医療ID”ができていくのではないかということを、富士通として数年前に想定していました。

実際に、厚生労働省が被保険者番号に2桁の番号を追加することで、個人単位化する方向で進んでいっています。この施策が進行していくと、個人の健康に関する情報をデータ化し管理することが可能になっていきます。

電子カルテを基軸として病院同士がネットワークでつながり、個人の健康や治療に関する情報が一元化され、いつ頃どんな病気にかかる可能性が高いか、そのためにどんな健康管理が必要かといった“個人医療”を実現する時代も来るはずです。

——そういった新しいジャンルのビジネスの可能性を探り、創られていくお仕事なんですね。

福:そうですね。新しいビジネス領域を創ることで、社会インフラを創るサポートをし、これからの日本に大きな影響を与えていく仕事をしています。

大学卒業後、地域おこし協力隊として長野県・木曽へ

——福田さんは多くの組織に所属されてこられたんですよね。

福:これまで4つの会社と1つの組織に所属しています。

まず大学卒業後、お世話になっている方からお誘いいただいたことがきっかけで長野県の木曽町へ移住し、総務省の地域おこし協力隊、町の木工芸振興計画事業の実施者として、木工ブランド“木曽生活研究所”の立ち上げを行いました。

——移住はどのようにして決断されたんですか?

福:実際に何度か訪れる中で木曽町の良さに触れ、移住を決めました。出身地でもなく、友人もいない、文字の通り縁もゆかりもないところでゼロから始めていく経験ができました。

——その次はどちらに行かれるんですか?

福:何か新しいことをしたいという気持ちに駆られ、“木曽生活研究所”の事業を譲渡し、ベンチャー2社に同時並行で所属していました。平日の9時から19時で1社、20時から終電までと休日で1社といった感じで、働いていました。

——多忙な毎日を過ごされていたんですね。

福:そんな中、御嶽山噴火か起こったんです。「何か力になりたい」と休日に木曽へ通う中で“つながろう木曽”というFacebookページを立ち上げました。これは、噴火に伴う風評被害を軽減する為に動き出したプロジェクトなんです。

——具体的にはどういったプロジェクト内容なんでしょうか?

福:当時、噴火のニュースでは町の状況が報道されず、その影響から旅館のキャンセルが続いている状況を知りました。そこで、「町の人たちは普通に生活しているんですよ」というメッセージを世間に発信していくことが大切だと思い、木曽郡の各エリアから若者30人程を集め、住民の日常を投稿することを始めました。

——風評被害を食い止めるために町の人々の状況をお伝えしていったんですね。

福:そんなこんなで、次の転機が訪れます。

再び地域や伝統工芸に関わりたいなと思っていたところ、デザインコンサルをする企業からスカウトされ、転職しました。

伝統工芸や全国ホテルのブランディング&リニューアルのディレクション、広告等といった企画を中心とした内容で、様々な方々と共創していく楽しさのある仕事でした。

——楽しさを感じながらも、次へ移られたのはどういった理由からでしょうか?

福:仕事をしていく中で、大手企業の億単位の予算規模と、承認プロセスについて興味が沸いてきたんですね。

小さいチームでスピード感のある仕事をしていましたが、承認をとる段階でクライアントがなかなかプロジェクトを進められない場面に何度も遭遇し、なぜスピード感をもってできないのか、自分で原因を知りたいと思ったんです。

そういった流れから、現在の会社に転職を決めました。

自分の知的好奇心を満たすものを常に追い求めたい

——多くの組織に所属され、活動されてきた福田さんが今の仕事内容を選んだのはなぜですか?

福:私は、自分の知的好奇心をどう満たすか、というのが仕事を選ぶ基準になっているので、その都度、自分が深堀したいものを仕事に選んできているんですね。

今の仕事には先ほど申し上げた“大企業の承認プロセス”に加え、社会への影響力も感じることができたので、働くことを決めました。

でも興味は色々と尽きないので、今も勤める中で法律や倫理観についてもっと学びたいという欲求も同時に出てきています。

——次の会社や組織に移られるときは、どういったタイミングなのでしょうか?

福:次の仕事に関連する興味や関心がふと沸いてくる時があるんですよね。

「20代は経験することが大切だ」と位置づけていたので、フットワークを軽く、自分の好きなことをしたくなった時が良いタイミングだと思って動いていました。

——福田さんが、はたらくを楽しむために必要なことはなんだと思いますか?

福:自分が大切だと思う周囲の人々から信頼を得ることだと思います。それは会社の同僚でも上司でも、家族でもそうです。

信頼を得るには、それなりの成果が必要なので簡単なことではないかもしれません。

でも信頼を得られれば、自分の興味や関心のある仕事にも多くの時間を割けるようになるので、気持ちよく、そして楽しくはたらけると思います。

——そのために何か心がけていらっしゃることはありますか?

福:所属している会社や社会全体のマナーを知り、その中にある評価軸を基準に成果を出すことですね。

組織で活動する上では、会社独自のマナーを学ぶことって大切なんですよね。

その基準を知ることで共通言語を得るというか、その基準がコミュニケーションのベースにもなると思うので大切に思っています。

——福田さんにとって、はたらくとはなんですか?

福:自分の興味を引き出し、世界観を広げるための1つの手段だと思います。

もちろん、生きていくための手段でもありますが、それだけではモチベーションが持続しにくいんですね。自分が生きていくうえでの楽しみを増やすためのツールではないかな、と思いながら日々はたらいています。

——はたらくを楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。

福:自分探しが悪いわけではないですが、基本、自分探しをしても何も出てこないことが多いと私は思うんですね。

探すよりもとりあえず何か始めてみればいいと思います。

動いてみてから、次を考えてみるっていう発想も試してもらいたいです。動く過程やその結果から気が付くことがあると思いますよ。

福田 大介さん(ふくだ だいすけ)
1989年4月5日産まれ。大学卒業後、長野県木曽町に移住。総務省の地域おこし協力隊、町の木工芸振興計画事業の実施者として木工ブランド「木曽生活研究所」の立ち上げに参加。ベンチャー企業2社を経て、デザインコンサル企業へ転職。現在は富士通株式会社で営業職として活躍中。

転載元:CAMP
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