このほどカンタス航空が発表した超長距離路線が話題になっている。シドニーとロンドンを結ぶノンストップの新路線は飛行時間21時間。これまでの最長フライト記録17時間を大幅に塗り替えるからだ。
競争激化と航空会社の施策
今年5月、全日空が日本で初めてエアバス社のA380をホノルル路線に就航、一度に500人を超える乗客を輸送できるとして話題になった。総2階建て大型旅客機の導入と、今までにない客席装備をうたい、到着前からハワイ旅行の気分を盛り上げる航空会社のプロモーションは、就航前から長期間継続。またハワイへの旅行客をターゲットに、ウミガメをデザインした機体で登場した全日空に対して、日本航空が急遽人気アイドルグループ嵐を機体に印刷した飛行機をお披露目したことも話題になった。
格安航空会社や外国の航空会社が次々と市場参入する中で、飛行機の利用客には選択肢が増える一方、航空会社はさまざまな施策で顧客獲得に取り組まなければならない。新しい機材、そして新路線の就航は特に注目を集めやすい、恰好の商機だ。
想像を超える20時間超のフライト
カンタス航空の新フライト計画
6月に開催された国際航空運送協会(IATA)の年次総会で、カンタス航空のCEOジョイス氏が発表したのは、シドニーをはじめとするオーストラリアの東海岸都市とロンドンをノンストップで結ぶ単純な「新路線」というだけではなかった。現在の最長飛行時間を大幅に更新する21時間のフライト計画が明らかになり、驚きとともに様々な懸念事項が沸き上がり世間をざわつかせたのだ。
実はこの構想は数年前、同社が既に「実現させる」としていたもの。いよいよ具体化してきたところでの再宣言であった。前回の発表の時点でアイディアとして挙がっていた貨物室の改造、ジムや子供のプレイエリア、エコノミー席客用仮眠ベッド室、バー、オフィスなどの設置は撤回方針としたうえで、2019年末までに機材を購入すると発表。現在エアバスとボーイングの両社からの見積もりを待っている。
超長距離にも対応できるとされるA350 ©Airbus S.A.S.2019
これまでの世界最長フライトは、シンガポール航空の運航するシンガポール=ニューヨークの17時間50分。南半球から北半球の都市を結ぶ路線が概して長距離路線(長時間路線)となるため、17時間を超える長時間路線はほかに、オークランド=ドーハ、パース=ロンドン、オークランド=ドバイ、シドニー=ヒューストン、そして例外的にシンガポール=ロサンゼルスがある。
しかしながら今回発表された飛行計画では初の20時間超えとなるため、新たな問題をクリアする必要があるとされているのだ。
超長距離飛行を可能にする航空技術
21時間もの超長時間飛行を可能にするのは、エアバスA350またはボーイングB777Xとされている。
技術的に21時間以上の飛行はすでに十分可能だ。B777が独占してきた市場に2018年登場したのがエアバス社のライバル機A350。炭素繊維強化プラスチックを使った軽量化により、低燃費の最新鋭機として人気を博している。同社の主力機であったA380が、A350の人気ぶりに生産中止を余儀なくされたと噂があるほどだ。
大量輸送できるA380と大きく異なるのが、長距離での飛行に耐えうる軽量化を達成したということ。長距離を飛行するための大量の燃料を積まなければならないための軽量化だが、客室装備などのその他の部分での妥協の必要性も発生した。
客室装備の工夫
まず座席数を削減しなければならない。旅客数が増えるごとに、機内食や飲み物、シート設備や備品、受託荷物の重量が増えるからだ。座席数が減れば、空いたスペースで長距離のフライトを快適に過ごすための空間を捻出できそうだが実はこれも難しい。例えば良くある、バーカウンター設備には相当量の酒類、液体の搭載が不可欠だ。バーそのものを軽量化できても、液体の軽量化は無理だ。
シャワー設備も同様の理由で難しい。大型機A380を大量に導入したエミレーツ航空では機内にファーストクラス用シャワー設備がある。導入当時、ハリウッドスターを起用し大体的なプロモーションが展開され話題となった。
しかしこのシャワー設備は希望使用時間の予約が必要で、一人当たりのお湯の利用は5分間と制限されている。シャワーには大量の水を搭載しなければならず、使用できる水の量に制限があるのは仕方ない。もし20時間超のフライトにシャワーの設備が実現すれば、この上なくうれしいサービスとなるが、数十人、数百人のシャワー願望をかなえるのは物理的にも時間的にも無理だろう。
また座席数が減れば、一座席当たりの費用負担が増える。乗り継ぎ便と比較して割高となることは想像に難くない。しかし乗り継ぎの手間と時間をセーブできるという直行便ならではのプレミア(付加価値)、と納得できる価格帯でなければ確実に集客に支障が出てしまうだろう。
エミレーツ航空のシャワー施設
旅客の健康
長時間のフライトで旅客の快適性よりも大事な課題が健康維持だ。圧力のかかった空間で、極度に乾燥した循環空気を吸い続け、密室に数百人もの人たちと、さもすれば座ったままの姿勢で高カロリーの飲食を続け、至近距離でテレビモニターの画面を見続ける状態を20時間続ける、と想像してみたい。エコノミー症候群以外の健康被害も出てきそうだ。
カンタス航空ではすでにパース=ロンドン間で17時間を超えるフライトを就航しているが、就航にあたってシドニー大学の研究チームに協力を依頼。機内食のメニュー、サービスのタイミングの設定、照明、機内温度の調整をし、旅客の健康と時差ボケ対策を講じた。
機内の乾燥による脱水症状を改善する機内食を開発し、時差ボケに有効とされる機内照明の調整も実施。照明によって到着地の時刻に合わせた夜空や夜明け、日中を再現することによって体内時計を調整できるとして、この手法を採用している航空会社は少なくない。
カンタス航空は新規の超長距離路線には、ファーストクラスやバーの設備を作らないとしているが、プロバイオティクスのジュースや、ハーブティーを用意して旅客が自由に水分補給できるコーナーを設置し、保湿作用のあるキュウリやイチゴ、セロリを使った機内食を用意して健康に気遣うとしている。超長距離路線に限らず、機内での旅客の快適性を追求したこうした研究やサービスは、これからますます進化していくことであろう。
勤務時間問題
さて、現実に機材が納入され運航が決定すると最も重要な問題に直面する。乗務員の勤務時間だ。
現在世界最長のフライトを運航するシンガポール航空では、コックピットの乗務員が2組乗務している。今や航空機はある程度自動操縦で航行可能と言われているが、全くの手放しというわけではない。
フライト前のチェックや、フライト後の書類手続きなどと併せると20時間のフライトには実質23時間の勤務がついてくる。しかし23時間の勤務など、どんな仕事であれ体力的に無理であろう。ましてや数百人もの人命を預かる仕事だ。
シンガポール航空の客室乗務員 ©Maryhop.com
一方の客室乗務員は人数も多く、交代で適宜休憩も取りやすいが、いくら休憩や仮眠をとったからと言って23時間通しの勤務はとても無理だ。サービスだけでなく保安要員としての役割もあり、疲労が最高潮に達する勤務時間終盤は着陸とも重なる。
一般的に離陸の3分と着陸の8分は、緊急事態の起こりやすい最も重要な時間とされている。万が一非常事態が発生した場合に、20時間働き詰めの乗務員がスムーズに旅客を誘導できない、瞬時の判断が出来ないといった事態が起きれば大問題だ。
少なくとも客室乗務員は航空機のドアの数と同等人数を乗せなければ、保安要員としての役割を果たせない。2組の乗務員を乗務させても、それぞれ11時間以上の勤務が必要となる上に、大人数での乗務となる。
いずれの乗務員も、勤務時間をきっちり分けたところで、先に休憩をとるグループが、機内で十分に睡眠や休息をとった状態で引き継ぐことができるのかが不透明だ。
もちろん、乗務員は身体疲労を理由に予定された乗務を拒否することが許される。旅客の安全を考えたら当然の措置ではあるが、実はこれが容易ではない。あらかじめ決められたスケジュールに穴をあける(欠勤する)のは、航空業界でタブーとされている行動からだ。疲れたから、という理由で欠勤を続ければキャリアにも傷がつくため、無理をして乗務する操縦士が続出すれば大惨事を招きかねない。
長距離路線の勤務後は、一般の路線乗務後と比較して疲労度が高いという結果もあり、オーストラリアの交通安全委員会が報告書で指摘している。カンタス航空の社内規定でも現在の最長勤務時間は20時間となっているため、新たな労使協定や調整が必要となってくるであろう。
ハブ空港構想とのジレンマ
世界では中距離旅客機を運航して、ハブ空港を経由した効率的な経路が広がりを見せる中で、南半球から北半球の遠方主要都市までの超長距離直行便が切望されているのも事実だ。しかし、乗客と乗員の双方に大きな負担がかかることが予想され、就航までにクリアしなければならない課題が山積みだ。
技術的革新がハイスピードで進む一方、人間の肉体は24時間休まず働いたり、21時間同じ場所に座り続ける状況に対応していない。この進化の差異をどう埋めていくかが今後の課題となっていくであろう。
文:伊勢本ゆかり
編集:岡徳之(Livit)