第四次産業革命において求められるスキル・知識は、これまでのものとは大きく異なる。新しいスキルセットを有する人材を育成することは各国の喫緊の課題になっている。
こうした課題意識の増大に世界人口の増加が相まって、世界の教育産業は今後10年急速に拡大することが見込まれている。教育を専門とする調査会社HolonIQによると、支出ベースで見る世界の教育産業の規模は、2000年に2.8兆ドル(約300兆円)だったが、2018年には5.9兆ドル(約637兆円)に拡大。さらに2030年には10兆ドル(約1080兆円)に達する見込みという。
現在、教育分野におけるテクノロジー利用やデジタル化施策は全体的に遅れているといわれているが、教育産業全体の支出増の流れを受け、デジタル化やテクノロジー利用は今後急速に高まってくることが予想される。
HolonIQの推計によると、2018年世界全体の教育産業におけるデジタル支出は1520億ドル(約16兆4,000億円)で支出全体に占める割合は2.6%ほどだった。一方、2025年には3420億ドル(約37兆円)に拡大し、支出全体に占める割合は4.4%に上昇する見込みだ。
人工知能など先端テクノロジーへの支出もこれに伴い伸びることが予想される。どのようなテクノロジーへの支出が増えるのか。2018年と2025年の比較では、ブロックチェーンが1億ドルから6億ドル、ロボティクスが13億ドルから31億ドル、人工知能が8億ドルから61億ドルにそれぞれ増加。最大となるのはAR・VRで、2018年の18億ドルから2025年には126億ドルと7倍ほど拡大することが予想されている。
ARとVRは対をなすかのように語られることが多いが、スマホやタブレットなどすでに広く普及しているモバイルデバイスで利用できるという理由から、教育向けでは当面ARの利用が大きく前進することが考えられる。
ARを活用した「ポケモンゴー」
教育向けではどのようなAR施策が登場しているのか。ARが学習に与える影響に触れつつ、その最新動向と未来の可能性を探ってみたい。
さまざまな研究が示す、AR活用が学習効果を高める可能性
教育分野でのAR活用に期待が寄せられる理由は、ARを利用することで理解を深めたり、記憶を定着させたりすることが容易になる可能性があるからだ。
ARはスマホやタブレットなどを通じて、ユーザーがいる空間にデジタルデータを投影し、その空間を「拡張」する技術。このデジタルデータは、3次元のアニメーションであり、ユーザーのインプットによってインタラクトすることも可能となる。
学習のツールといえば教科書や参考書が一般的だが、これらが示すのは、2次元で動かず、インタラクティブ性がない情報となる。ARは、学習に関する情報・データをまったく新しい形で表現し、学習のあり方を根本から変える可能性を秘めているのだ。
教育・学習においてARの効果が観察された研究はこれまで数多く発表されている。
イリノイ大学の研究者らの調査によると、天文学の学習においてコンピュータベースの教材とAR・MRベースの教材の効果を比較したところ、AR・MRベースの教材の方が学生たちの興味・関心度合いが高かったことが観察されたという。
AR・MRベースの教材は、教室内に惑星の3次元モデルを投影することができる。これにより、学生たちはさまざまな角度から惑星の状態を確認したり、他の惑星との距離を体感できることになる。身体を動かしデータに触れるなど、これまでにない学習の仕方が学生の興味度合いを高めた可能性が考えられる。
フロリダのエンブリー・リドル航空大学の研究者らによる実験では、航空大学の学生に航空機タービンの部品に関して、動画、教科書、ARの3つの方法で学ばせたところ、短期・長期記憶の維持でARによる学習の効果が高いという結果が得られている。
自動車の3Dモデル
またマレーシアのトゥンク・アブドゥル・ラーマン大学の研究者らが、太陽系の学習におけるARと教科書の学習効果を比較したところ、ARで学習したグループはテストにおいて点数が46%改善したという。
ARを活用すると学習効果が高まるのはなぜなのか。
オーストラリア発の脳科学調査会社Neuro Insightなどの実験によって、ARが脳に刺激を与え、記憶や理解を促進している可能性があることが見えてきた。この実験では、ARを活用した場合、視覚的な注意を引くだけでなく、脳の感情部位が刺激され、長期記憶の形成を促進している可能性が示唆されたのだ。
クリエイティビティや問題解決能力を醸成するAR学習アプリ
こうしたARの可能性に注目が集まり、ARを活用した教育プログラムや学習ツールが数多く登場している。
フィンランドのエスポーでは、2018年11月市民参加型の都市計画プログラムの中で、多くの子供たちがARで都市をデザインするという試みが実施された。
この試みではARアプリ「3DBear」を使い、機能面と快適性の側面からエスポーの街を改善するには何が必要なのかを考え、子供たちが自分たちのアイデアをアプリ上で具現化。ARを活用した問題解決能力醸成事例として、教育者らの間で話題となっている。
たとえば、地下鉄の駅にベンチが足りないと感じた場合、仮想のベンチを設置したり、緑が少ないと感じた場合、草木や花を配置したりといった具合だ。課題認識能力だけでなく、空間認識能力やクリエイティビティが求められる課題であることがうかがえる。
フィンランド・エスポーで実施されたARを活用した都市計画プログラム(3DBearウェブサイトより)
CoSpaces EduもAR・VRを通じて子供たちの問題解決能力やクリエイティビティを醸成するツールとして関心を集めている。
CoSpaces Eduは、3Dモデルを仮想空間に配置し、それらをコーディングすることで自在に動かすことができるアプリ。自分でつくりだした世界はARまたはVRで表現でき、コーディングやAR・VRなど新時代に求められるデジタルリテラシーを高めることが可能となる。3Dモデルによる物理シミュレーションや遺伝子モデルのアニメーションなど、STEM教育向けのコンテンツも用意されている。
このほか、カエルの生態や解剖を学べる「Froggiepedia」、単語学習の「Catchy Words AR」、機械類の構造を3Dモデルで学ぶ「JigSpace」などさまざまな教育向けARアプリが登場している。関心の高まりとARへの支出の増加に伴い、今後こうしたARアプリはさらに増えてくることが考えられる。新時代の人材育成が求められる中、ARが教育シーンをどのように変えていくのか、今後の展開から目が離せない。
[文] 細谷元(Livit)