日本人が知らない医学界のディスラプション。先端テクノロジーによって交わる「東西2つの医学」

西洋医学と東洋医学。前者は科学的で後者は非科学的。日本では長らくこのようなイメージが持たれてきたのではないだろうか。

西洋医学は「科学的手法」に沿って膨大な実験データから法則を導き出し理論化する形式的な作業のなかで発展。このため科学的といわれている。

一方、東洋医学と同義で用いられる中国伝統医療(TCM)では、医師がその手法や効果を書物に記載するなどし、中国独自の形で体系化・理論化されてきたが、欧米流の理論化作業は行われてこなかった。このため非科学的といわれてきたようだ。

しかし、生命科学や分子生物学、さらには人工知能などの先端医療・テクノロジー分野の発展によって、西洋医学と東洋医学は歩み寄っており、その垣根は小さくなり始めている。

医療の世界で今何が起こっているのか。世界最先端の事例から、医療の未来を覗いてみたい。

欧米主力病院が注目する東洋医学の可能性

科学的・非科学的という以外に、西洋医学と東洋医学を隔てる大きな違いが存在した。それは、西洋医学が病気を治療することにフォーカスしているのに対し、東洋医学は病気を防ぐことにフォーカスしているというもの。

CNNの2010年の記事で、米ニュージャージー大学歯科医科大学・代替医療研究所のアダム・パールマン所長は、このことを皮肉を込めて「(米国の)ヘルスケアシステムは、実際のところ『シックケア(sick-care)システム』」だと述べている。

欧米では、ケガや病気になればそれを治療するのが医療の役目という考えが主流だったのだ。

しかし、その状況は大きく変わり始めている。

中国伝統医療が実践する漢方、鍼灸、さらにはヨガやアーユルベーダなどを欧米式既存医療を補完するものとして取り入れる動きが活発化しているのだ。

西洋医学に東洋医学の医療を加えるという意味で「統合医療(Integrated Medicine)」と呼ばれている。

米国では有力病院がこの統合医療の取り組みを加速させており、広く一般市民にも認知され始めている。

US News World Reportが実施している「全米優れた病院ランキング」の最新版で1位となったミネソタ州ロチェスターのメイヨー・クリニックでは、統合医療の専門家らによるヨガ、鍼、瞑想などのセッションを提供。また、同ランキング2位のクリーブランド・クリニック(オハイオ州)では、統合医療センターで鍼、漢方、ヨガ、栄養コンサルティングなどのサービスを提供している。この動きは米国だけでなく欧州でも顕著になっている。
メイヨー・クリニックの統合医療ページ

先端テクノロジーが解明しつつある、中国伝統医療の叡智

非科学的といわれてきた東洋医学の医療がなぜ欧米で広がりを見せているのか。

その理由の1つは、テクノロジーの発展で、これまで「測定不可能」だったものが測定可能となり科学的な立証が可能になってきているためだ。遺伝子学、分子生物学、腸内細菌研究、プロバイオティクス研究などにおける発見から、中国伝統医療が古代から仮定してきたメカニズムを科学的に説明できる可能性が高まっているのだ。

クリーブランド・クリニック統合医療センターの日本人医師、梅田尚季氏は医学ジャーナルLonghua Chinese Medicineに寄稿した論文(2019年4月)で、中国伝統医療において数千年前から腸は心身の健康を保つ「気」に大きく影響する部位として重要視されてきたと指摘。中国伝統医療の医師たちは、腸内環境が悪化すると「気」の流れが悪くなり、心身にさまざまな症状があらわれると考えてきたという。

一方、西洋医学では近年になり腸内細菌の不均衡状態と終末糖化産物(AGEs)と呼ばれる物質の間に強い関連があることが知られるようになっている。AGEsは老化に関与する物質で、糖尿病、動脈硬化、慢性腎不全、アルツハイマーなどを悪化させるといわれている。このことから腸内細菌の重要性が認知され、腸が「第二の脳」と呼ばれるようなった。

梅田氏はこれらの事実に言及し、西洋医学と中国伝統医療は一見異なる言語を話しているように見えるが、その内容の根幹は非常に似ているものだと指摘している。

腸内細菌の重要性が欧米でも認知され始めていることは、欧米における「ふん便バンク」の登場にも見てとることができる。ふん便バンクとは、健康な人の便から採取した細菌を保管しておく施設。健康な人の便には健全な腸内細菌が生息しており、この細菌を治療に活用しようというものだ。この数年、欧米では健康な人の便から採取した細菌を患者に移植する「便微生物移植」という治療法の研究が進められており、一部の症状でその効果に対するエビデンスが確立している。中国では同様の治療が行われていたということが古代文献に記録されている。

米国では2012年に、MITビジネススクール出身のマーク・スミス氏がふん便バンク「OpenBiome」をローンチ。欧州でも数多くのふん便バンクが登場している。また2016年には香港の起業家らがアジア初のふん便バンク「Asia Microbiota Bank」をローンチした。

 

OpenBiomeウェブサイト

ディープラーニング解析など、中国伝統医療で活用が進む人工知能

東洋医学が欧米で注目されるもう1つの大きな理由がある。人工知能の活用によって中国伝統医療の知識やスキルを(欧米の視点で)体系化・理論化できるかもしれないという期待が高まっていることだ。

中国伝統医療分野では、書籍や臨床事例をとりまとめデータベースを構築する取り組みが始まっている。これらのデータは一般的なデータに比べ複雑で、既存の統計手法では分析が難しいといわれている。そこでディープラーニングなどを活用する試みが実施されているのだ。

たとえば、広州中医薬大学の研究者らは、ディープラーニングによる鍼の最適ポイントの解析を実施。ベテラン医師の鍼治療データから、鍼を打つ最適ポイントのパターンを見つけ出す試みだ。調合が難しく医師の属人的な知識・スキルに頼るところが大きい漢方分野でも、人工知能によって最適な調合を目指す取り組みも実施されている。

鍼治療の学習などに使用されるモデル

また中国伝統医療で心身の状態を診断するのに用いられる独自の脈拍診断でも人工知能の活用が期待されている。この診断は、血管の表面・内部・深部、3カ所のパルスを調べ、患者の心身状態を把握するもの。どのカ所でどのような波形があるのか、その微妙な違いを読み取らなくてはならない。この診断から、心身の状態を28〜29パターンほどに分類できるといわれている。長年の経験と学習が必要とされる非常に高度な属人的な技術だ。現在、人工知能によってこの複雑な診断技術の可視化、さらにはウェアラブルデバイスによってパルスをトラッキングするなどの試みが増えつつある。

中国伝統医療の脈拍診断

このような最新事例を見てみると、これまで異なると思われてきた東西2つの医学、その隔たりが小さくなりつつあることが実感できるのではないだろうか。欧米で統合医療が普及し始めているのと同時に、中国伝統医療の医師・研究者らよる西洋医学へのアプローチも増えてくることが想定され、2つの医学は今後さらに共通項を見出していくことになるのかもしれない。

文:細谷元(Livit

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