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健康志向の高まりを背景に、炭水化物の塊であるパンは、アメリカで長年敬遠されてきた。
最近はマルチグレインを使ったものや発芽パンなど、栄養価の高いパンを選んで食べる人たちも多い。中でもサワードウ・ブレッド(以下「サワードウ」)は一般的なパンに比べて栄養価が高いことに加え、消化しやすい点、さらに含まれるグルテンが少ないため、グルテンに敏感な体質な人でも食べられる場合もあることなどから、多くの人びとに重宝されている。
しかし今、サワードウを”食べる”だけでなく、”作る”ブームがアメリカのミレ二アル世代、特に西海岸・シリコンバレーのテック業界人に到来している。本稿では、今サワードウ作りが彼らを虜にする理由と、その背景にあるウェルネスの高まりについて考察する。
メディテーションとしてのサワードウ作り
サワードウは主に、1849年に始まったゴールドラッシュ中のカリフォルニア州北部で食されていたと言われ、以降サワードウ文化は同地域に定着している。また、サワードウの独特の酸味がその郷土料理であるクラムチャウダーなどのシーフード料理と相性がよいため、西海岸、とくにサンフランシスコの名物料理として知られている。
サワードウに使われるスターター(King Auther公式Webサイトより)
しかし、サワードウの製造工程は、現在のライフスタイルに全くフィットしない。にも関わらず、それが逆に新鮮で、多くの人を虜にしているという。
サワードウ作りでは一般的なパンとは異なり、イースト菌の代わりに水と小麦粉を混ぜて作る「スターター」と言われるものを使うのだが、その工程はとても根気が必要とされる作業。
煮沸消毒した瓶に小麦粉と水を入れ、毎日少し捨てては小麦粉を足し…という作業を、中身が醗酵して細かい泡が出てくるまで数日間続ける。もちろんその間、部屋の温度管理も忘れてはいけない。
アメリカの大手小麦メーカー「King Auther」が同社のWebサイト上で公開しているレシピによると、スターター作りだけでも1週間ほど要するという。家庭でパンを手軽に焼きたければ市販のイースト菌を使って数時間で作ることができるが、あえてサワードウ作りをする理由はどこにあるのだろうか。
「毎日小麦粉を与えていると、まるで赤ちゃんやペットを飼っているような気持ちになる」と料理雑誌「Bon Appetit」と語るのは、同誌のライターであるSophie Lucido Johnson氏。
また、イギリスでサワードウ作りの学校を運営するVanessa Kimbell氏の「パンを捏ねる手と心と頭が一体化するように感じられる。サワードウ作りはからだ全体の感覚を研ぎ澄ませておこなう作業なんです」という言葉のとおり、没頭することで自分を”オフ状態”にできるメディテーションとして取り入れられているのだ。
シリコンバレーで起こる静かな熱狂
前述のとおり、サワードウがカリフォルニア州発祥だという背景を踏まえると、地理的に近いシリコンバレーでブームが起こっているのも多少は合点がいく。
サワードウの与えるイメージが、カップケーキのようにフェミニンなものではなかったことや、作った後に食べられることも趣味として始めやすい理由の一つかもしれないが、サワードウの何がシリコンバレーの住人を虜にするのだろうか。
マイクロソフトに勤めるFrank Shaw氏もサワードウ作りに傾倒する人の一人で、自身のTwitterの自己紹介欄に「高品質なスターターの作り手」と記載するほど。彼はSNSに頻繁にサワードウ作りに関する投稿をしている。
さらにマイクロソフトの前CTOであるNathan Myhrvold氏が2017年に出版した『Modernist Bread(約600USドル(約67,000円))』は全5巻、2,500ページに渡り、サワードウ作りを科学的なアプローチから考察している本として知られる。
2018年のクリスマスイブにはサンドイッチ用のサワードウと、胡桃・ブルーチーズ入りのサワードウを焼いたというShaw氏(Shaw氏の公式インスタグラムアカウントより)
サンフランシスコの名物サワードウといえば、忘れてはいけない存在が、有名ベーカリー「タルティーヌ」と同店のオーナーChad Robertson氏だ。完成までに約40時間をかけ、極力捏ねずにベンチタイムを極限まで長くとることで、ゆるやかに発酵させていく彼の独特の手法を真似る人は多いが、彼はテック業界からも支持を得ている。
食に関する雑誌「Saveur」が選ぶ2018年のベストブログの一つとしても選ばれた、サワードウに関する人気ブログ「The Perfect Loaf」を運営するMaurizio Leo氏は、そんなタルティーヌのRobertson氏に憧れて、ソフトウェア開発のエンジニアからパン職人に転向した経歴の持ち主。
彼いわく、サワードウ作りの工程は「デバッグ」の連続。たとえレシピに従ったとしても思ったとおりの結果が出ることは少なく、そんなときは一つステップバックして修正…これを繰り返し、改善していくのだという。「こうした地道な作業を得意とする人や、自分の手でモノを作るのが好きな人が多い業界だから、サワードウ作りにハマる人が多いんだろうね」とEaterに語る。
Leo氏作のサワードウ(The Perfect Loafより)
スターターの持つ科学的な性質も、彼らを惹きつける魅力の一つだろう。小麦と水の種類やそれらの比率、温度や湿度など周辺環境のパラメーターが少しでも変わってしまうと同じサワードウは焼けない。理想のサワードウを作るには今までの経験をデータベース化していくことが求められる。
クラウドファンディングサイト「Kickstarter」のFred Benenson氏がインターネット上に公開した、Robertson氏のタルティーヌ製法のカントリーブレッドを焼く際の完璧なタイミングをスプレッドシートにまとめたものや、プロセスをスケジューリングしたカスタムカレンダー、またメカエンジニアのJustin Lam氏が自身のブログで公開した、スターターの醗酵をタイムラプスを使ってモニタリングした実験など、テック業界人ならではの視点で分析をおこなった興味深いデータも多くある。
ミレ二アル世代のデジタルデトックスにも
「子どもの頃からインターネットに親しんだ20代、30代の中で、オフラインで没頭できる趣味としてパン作りを始める人が多い」(Robertson氏)。
サワードウ作りに没頭するライターのEve Peyser氏も「サワードウ・ブレッド作りはインターネット浸りの生活と真逆」とThe New York Timesに話す。職業柄一日の大半をスクリーンの前で過ごす中、インターネットから離れて心身ともにリフレッシュできる何かを探していたところに出会ったのが、サワードウ作りだったのだという。
完成させるまでにかかる手間暇は膨大だが、時間と愛情をかければかけるだけ反応が返ってくるところも魅力の一つのようだ。「SNSは刺激を与えてくれるが、時に虚しく感じる時もある。しかし自分で焼いたパンは、出来上がった後、食べることができ、お腹も心も満たしてくれるところが良い」と同誌に語る。
また同じくライターのKeri Wiginton氏は、サワードウ作りを始めたことで禁酒にも成功したという。これは特殊な例かもしれないが、継続的に世話をしなくてはいけないスターターとの生活の中で次第にアルコールを辞めるようになったのだとBon Apetit誌のエッセーで話す。
サワードウ作りには近道も裏技も存在しない。ただの水と小麦粉というシンプルな材料から世界に一つだけのスターターを育て、パンという成果物を産み出す作業。パンと向き合うことは自分自身と向き合うことでもあるのだろう。ウェルネスの目的とは、自分の身体と心を豊かにすること。サワードウ作りには、デジタルの世界に入り浸る現代人に必要なメディテーションが詰まっている。
文:橋本沙織
編集:岡徳之(Livit)