キャリアアップのため海外転職を考えている人は多いのではないだろうか。
その際どの国を選ぶのか、多くの人はまず給与水準を目安にしているかもしれない。実際、日本の給与水準を超える国は多く、どれもが魅力的に見えてしまう。
一方で、生活コストを軽視してしまい、海外転職後に生活水準を維持できず、ストレスを抱えてしまう事例は少なくない。
給与水準の高い国によく見られるのが、高騰する不動産市場とそれにともなう高い家賃だ。また、高い不動産価格はビジネスコスト増にもつながっており、衣食住や教育、医療、娯楽などさまざまな場面で高コストを強いられてしまう。
給与水準だけでなく、現地の不動産市場や生活コストがどのような状況なのかを把握することが非常に重要になる。
アジアの金融センター、香港はその格好の事例といえるだろう。金融やビジネスサービス分野で高待遇の職が多い一方、家賃と生活費は世界でもっとも高くなっている。こうした状況に希望を見いだせず、海外移住を考える現地の若い世代が増えているという事実も見逃してはならない。
香港だけでなく、英国やシンガポールなど転職や移住先として人気のある国々でも同様の課題を抱えている。不動産価格や生活コストの高騰、そしてそれらが現地の人々にどのような影響を与えているのか、その実態をお伝えしたい。
一般家庭の年収20年分、世界でもっとも高い不動産市場
香港の不動産価格は世界でもっとも高いことで知られている。
都市計画コンサルティングのDemographiaが毎年公表しているレポートでは、世界主要都市の不動産価格が中所得層にとってどれほど手頃なのかを分析。最新版レポート(2018年)で、香港の不動産はもっとも高いと評価され、9年連続で1位となってしまったのだ。
同レポートで不動産価格評価に使用されているのは「median multiple」という指数。各国の住宅不動産価格の中央値を家計所得(税引前)の中央値で割った数だ。この指数から、不動産価格が家計所得の何年分に相当するかを割り出すことができる。
香港では2018年この指数が20.9と前年の19.4から1.5ポイント上昇。これは、香港の住宅不動産価格が中所得家庭の20.9年分の所得に相当するという意味になる。2012年頃、香港ではこの指数が12ほどですでにもっとも高い状態だったが、それ以降も上昇を続けてきた。
香港に次いで高かったのは、カナダのバンクーバーでmedian multiple指数は12.6となった。3位以下は、シドニー(11.7)、メルボルン(9.7)、サンノゼ(9.4)、ロサンゼルス(9.2)、オークランド(9.0)、サンフランシスコ(8.8)、ホノルル(8.6)、ロンドン(8.3)など。
一方、同指数がもっとも低かったのがカナダのケープ・ブレトンで2.1。このほか、カナダ・フォートマクマレー(2.2)、米ロックフォード(2.2)などが不動産価格がもっとも手頃であると評価された。
全体的に3.0未満であれば「手頃」、5.1以上で「負担は非常に困難」と評価されている。
バンクーバー、シドニー、メルボルンも十分に高いと指摘される市場であるが、香港の指数はその2倍となっており、危機的状況にあると見る専門家は少なくない。
住宅価格の異常な高騰で香港では「棺桶住宅」なるものが登場し、同国の貧困問題を象徴するものとしてさまざまなメディアで取り上げられている。
英ガーディアン紙が伝えた香港のある棺桶住宅では、500平方フィート(約25畳)の広さの部屋に30人が住んでいると伝えている。各個人の部屋はベニヤなどで仕切られ、1人1畳に満たないスペースが与えられている。家賃は1人あたり1800〜2500香港ドル(約2万5000〜3万5000円)。
米住宅都市開発省のまとめによると、香港の家計所得の中央値は約30万香港ドル(約420万円)。これに最新のmedian multiple指数20.9をかけると627万香港ドル(約8800万円)となる。マイナビニュースが2016年11月に伝えた不動産経済研究所の調査によると、首都圏のマンション価格中央値は5080万円だった。これより3000万円以上も高いことになる。
香港の住宅価格高騰を引き起こしている要因として供給不足が指摘されている。一方、香港政府による土地管理の失敗があると指摘する声もある。中国本土のデベロッパーが通常より高い価格で土地を購入することを許可しているという。そのようなデベロッパーは、その土地に建設した不動産を販売する際、土地価格代を転嫁するため、不動産価格も通常より高くなってしまうのだ。
香港は不動産価格の高騰だけでなく、生活費も高くなっている。エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが実施している世界主要都市の生活費ランキング、その最新版で香港はシンガポールとパリに並び1位となった。
この状況に将来の希望を見いだせず、香港を離れ、他国に移住しようという若い世代が増えている。
香港中文大学が2018年12月に実施した調査では、18〜30歳の香港人の51%もが機会があれば海外に移住したいと考えていることが判明。特に大卒者の移住希望者が多いという。
移住先として人気が高いトップ3は、カナダ(18.8%)、オーストラリア(18%)、台湾(11.3%)。生活環境の過密状態に加え、加熱する政治論争、貧困問題など社会の亀裂が移住を促す理由になっている。香港政府は住宅問題の解決に向け、低価格住宅を提供するなどの対策を開始している。
英国でも高騰する不動産価格は社会問題の1つとなっている。同国の住宅問題に取り組む非営利組織Shelterの調べでは、英国における自治体の55%において、賃貸料が中所得層にとって支払いが困難な水準に達していることが分かった。
ロンドンでは、2ベッドルームの平均家賃が1360ポンド(約20万円)と全国平均の2.5倍。ロンドンに次いで高かったのがオックスフォードで、一般的な部屋の家賃が英国平均所得の55%を占めるという。Shelterは英国の賃貸市場が「暴走状態」だと指摘し、政府に市場安定のための施策を求めている。
不動産価格・生活費の高騰に加え、政治的な要因などが加わり、香港や英国、シンガポールなどでは高度スキルを持つ若い世代の頭脳流出が加速する可能性が懸念されている。国際労働市場の流動化という見方もできるが、さまざまな社会経済問題につながりかねない価格高騰、その抑制は必須といえるだろう。
文:細谷元(Livit)