金融×ITテクノロジーが融合したFintechのように、「〇〇×tech」という取り組みが近年盛んになっている。そのひとつである健康(Health)×ITテクノロジーを融合させた“ヘルステック”も現在勢いのある市場のひとつだ。
「人生100年時代」も後押しして、体の設計図であるゲノム(遺伝子)を知り、生活習慣やライフスタイルを変えていこうとするミレニアム世代が登場している。では、実際にヘルステックに取り組む人たちは「人生100年時代」に向けて領域やサービスの将来をどのように考えているのだろうか。
こうした疑問を、DeNAが持つエンタメサービスから得たノウハウや分析スキルを駆使して、ゲノム検査や健康データ管理などに取り組む株式会社DeNAライフサイエンスならびに、DeSCヘルスケア株式会社代表取締役社長である瀬川翔氏に伺った。
- 瀬川 翔
- 愛媛県出身。大阪大学大学院工学研究科修了。2010年株式会社ディー・エヌ・エー入社。Eコマース分野での新規事業立ち上げ、事業責任者を経て、2015年5月よりDeNAのヘルスケア事業に参画。2017年8月よりヘルスケア事業の子会社である株式会社DeNAライフサイエンスの取締役副社長COOに就任。2018年4月より株式会社ディー・エヌ・エー執行役員ヘルスケア事業本部 本部長に就任。同時に、株式会社DeNAライフサイエンスおよびDeSCヘルスケア株式会社の代表取締役社長に就任。
行動変容を起こし人の“健康寿命”への意識を変える
DeNAグループでは現在までに、遺伝子検査サービス「MYCODE(マイコード)」をはじめ、ウォーキングアプリ「歩いておトク」、健診結果とそれに基づくパーソナライズされた情報配信サービス「KenCoM(ケンコム)」などの事業を展開している。では、なぜ彼らはゲノムからヘルスケアの世界に入ったのだろうか。
瀬川「人間の根幹であるゲノムから本気で取り組みたかったからです。日本では当時、遺伝子を調べることは一般的ではありませんでしたが、自身の体の設計図であるゲノムを理解してもらうことで、健康改善や予防のために生活や習慣を変え、健康寿命を少しでも伸ばすための“行動変容”をサポートしたいと思いました」
健康寿命というのは、日常的に介護や医療機関に依存しないで自立した生活ができる期間を指す。瀬川氏は、自身の原体験から健康寿命について次のように感じている。
瀬川「健康寿命は、寿命よりもおよそ10年ぐらい短いと言われています。祖父が10年ぐらい前から介護が必要な状態になりましたが、数字の10年は肌で感じるよりも長いというのが正直な印象です。
健康寿命と寿命の差は少しでも短くなる方が良いですし、子どもたちの世代に向けて少しでもそれを実現していきたいなと」
事業立ち上げ当時エンタメ系サービスを中心に展開していたDeNAがヘルスケア領域でも活躍できると考えた理由を、利用者をこれまで行動変容させてきた実績から話してくれた。
瀬川「DeNAは、データ分析力とサービス運用力に基づいて、利用者にサービスを使い始めてもらい、使い続けてもらうためのノウハウを持っており、これをエンゲージメントサイエンスと言っています。
既存事業で培ったエンゲージメントサイエンスをヘルスケア市場でも生かせればなと思いました。例えば、スポーツ事業では横浜DeNAベイスターズの運営でも、会場利用者などのデータ分析を通して、例えば女性が野球場に行きたくなるような体験作りにチャレンジしています。
DeNAは利用者の観察・分析を通して、『どうしたら行動を変えていただけるようなdelight(喜び)を届けられるのか?』を徹底的に突き詰めることに強みを持っているんです」
この利用者の分析をつきつめる力、さらに社員が日頃から感じていた医療費をはじめとする健康・医療への問題意識などが磁石のように集まり、ヘルスケア事業が立ち上がりました。
ポジティブマインドを持ってもらうための“MYCODE”戦略
ここからはMYCODEの開発やその時の大変さなどについて伺った。DeNAはゲームやエンターテインメントが血筋だからこそ生かせるポイントがあった反面、陥りやすいポイントもあったという。具体的な事例をゲームに例えて話してくれた。
瀬川「日本人が全員同じゲームが好きということはまずないですよね。それぞれ格闘、RPG、恋愛など好きなゲームのジャンルは分かれると思います。だからこそプレーヤーのニーズの深堀りが必要となるのです。
世界的なゲームやキャラクターだからといって誰しもが好きなわけでありません。これはゲームやエンタメだけでなく、ヘルスケアにも同じことが言えます」
つまりゲームと同様、日本人全員を広くターゲットにしてもヘルスケアの成功は難しいということだ。
次のように話は続く。
瀬川「この視点を置き去りにすると『みんながゲノムを見た方がいいよね』という発想になりがちです。確かに全ての人に健康になってほしいですが、これではヘルスケアを広く捉えすぎています」
また、エンタメ系の企業として生かせるポイントとしては、次のような取り組みも紹介してもらった。
MYCODE内で表示される遺伝子タイプを表したキャラクター
瀬川「例えば、遺伝子から分かる自身の祖先タイプをキャラクターで表現するサービスを提供しています。エンタメが得意な企業なので、こうしたサービスを取り入れることで、遺伝子を身近に感じてもらったり、面白いなと感じていただけたらいいですね」
「MYCODEに携わった時に一番大変だったのは?」という点について伺ったところ、瀬川氏は次のように教えてくれた。
瀬川「『コア価値を定義するのが大変』でした。価値あるものとして使っていただくために、『どのような検査結果の表示のされ方をしたら怖いのか?』など利用者の元へ足を運び、声を多く聞きました」
実際にMYCODEリリース前はもちろん、リリース後も定期的に利用者と対話する機会を設けてヒアリングをしている。
瀬川「利用者から寄せられる『遺伝子は変わらないものだから不安です…』という声に対して、結果をポジティブに捉えてもらうためにも、不安になる部分を排除し、情報の透明性を心掛けました」
MYCODEでは東大の医科学研究所と共に研究を行い、検査結果ロジックの情報公開に努めている。遺伝子検査は占いという論調がある中で、利用者が安心を持ってサービスを使えるよう徹底的に不安を取り除くよう動いたのだ。そんなMYCODEを利用者にどのように活用してほしいかと尋ねると次のように答えてくれた。
瀬川「MYCODEを自分の健康行動を起こすきっかけにしてほしいと思っています。実際にあったエピソードとして利用者から『食道がんを発症する確率が高い傾向と結果に出ていたので、試しに食道がん検診を受けたら初期段階のがんが見つかりました』という声が届きました。
決して遺伝子検査を通して不安になってほしいわけではありません。その人が持つ特徴や個人の傾向を知ってもらうことで、行動変容のきっかけになり結果として“自分の遺伝子を知ってよかったな”と思っていただけるサービスを提供していきたいです」
人生100年時代に向けて「普通の人が結果的に健康になるサービス」を
世の中にさまざまなヘルステックサービスを提供している瀬川氏に「人生100年時代に向けて、サービスを作る上で一番大切なこと」について尋ねた。
瀬川「私が考えるのは『1. 普通の人が使えるか』『2.本当に利用者の健康増進に寄与しているのか』の2点です。
1については、『健康になりましょう』という従来のヘルスケアサービスだけでなく、利用していく中で『気がついたら健康になっているサービス』も必要と考えています。
英語の勉強と一緒です。例えば、英会話スクールに通うよりも、外国人のパートナーができた方が英語は上手になりやすいのではないでしょうか。
健康に対して特別意識が高い人ではなく、普通の人が身近に感じ楽しんでいただき、結果として健康意識や行動変容をサポートできるサービスは、エンタメが土台にある企業だからこそ実現できると思っています」
「健康意識が高くない人でも使えるサービス」を目指すことによって、利用者が無理なく利用・継続できるサービスにしていこうというのだ。
瀬川「2.は、ヘルスケア事業会社としての思いです。『本当に利用者がサービスを通して健康になっているかどうか?』という点を一番大切にしています。
医療費が50兆円に達しようとしている今だからこそ、サービス利用者の疾患罹患(りかん)率は下がっているのか、サービスを使用したことで医療費は減少したのかなどを検証しています。これらの情報は利用者のレセプトや服薬状況などとサービスの利用状況を組み合わせることで、検証が可能となるはずです」
2つ目については、ヘルスケア領域に携わる者としての強い使命感が言葉から伝わってきた。自社サービスを使用してくれた利用者に健康を還元したいという気持ちがうかがえる。
では現在までにさまざまなヘルステックを提供しているDeNAだが、新しくサービスを立ち上げるとき、共通して大事にしているのはどのような点なのだろうか。瀬川氏は次のように語ってくれた。
瀬川「『何の課題解決をするためにサービスを立ち上げるのか?』です。市場の大きさや、どのような技術を使うかというHowありきではなく、利用者と向き合い切ってサービスを考えます。
利用者と向き合い切れるかが勝負ではないでしょうか。どうしてもHowから入ってしまいがちですが、ブロックチェーンやAIといった技術を活用すること自体がゴールではないと考えています」
「世の中に良いこと」を追いかけているのか?を追求する
最後に「なぜ、そこまでゲノムなど新しい分野を果敢に挑戦できるのか?」と尋ねたところ、自身が過去に携わったソーシャルECの経験もベースに次のように教えてくれた。
瀬川「トレンドに踊らされるのではなく、本質的な価値を追いかけるからです。過去に私は、ソーシャルメディアとネットショップを組み合わせたソーシャルECのサービスに携わっていました。
人々のつながりの中にソーシャル要素を入れることで、より盛り上がると当時は考えられていたのです。当時は海外でも盛り上がりトレンドになっていましたが、今はもう下火になっています。
トレンドを追いかけた方がその場では花火を打ち上げられるように見えるかもしれませんが、『それって利用者の何を解決したいのか?本当に世の中に良いことなのか?』かが明確であることが何より大切だと思います」
この記事を読む人たちの中には、サービスの企画に携わる人も多いだろう。「自分たちのサービスで世の中を少しでも健康にしたい」という志と同じぐらい、携わる仕事やサービスがどう世の中の課題解決につながるのかをぜひ考えてほしいという思いが言葉から伝わってきた。
取材・文/杉本 愛
写真/西村 克也