2019年、世界の視聴者数が4億2,700万人に達すると見込まれる「eスポーツ」(NewZoo予測)。新しい形のスポーツとしてオリンピックの種目に含めるのかどうかという議論まで起こっており、その動向は多方面から注目を集めている。
一方、コントローラーやキーボードで操作するビデオゲームによる競技を「スポーツ」と呼ぶべきなのかどうかという議論も起こっており、さまざまなレイヤーで議論を巻き起こすトピックとなっている。
eスポーツ
eスポーツをスポーツと呼ぶべきではないとする側の主張は、スポーツは身体的な活動・スキルを高めるものであるが、eスポーツはコントローラーやキーボードを操作するだけで、スポーツと呼べるほど身体的な活動が含まれていないというものだ。
2014年、スポーツ専門チャンネルESPNの当時社長だったジョン・スキッパー氏もeスポーツはスポーツではなく、チェスと同じような「競技(competition)」だと述べている。
しかしテクノロジーの進歩によってeスポーツとスポーツの境界線は薄れる可能性があり、その場合これらの議論が前提としている条件は大きく変わってしまうことも考えられる。というのも、操作するために現実世界と同じ身体的な動きが求められるオンラインゲームが登場し、eスポーツをスポーツたらしめる状況が生まれているからだ。
ロンドン発のZwiftが示す「未来のeスポーツ」
次のeスポーツの形を示すパイオニア的存在がバーチャル空間で自転車とランニングを楽しめる「Zwift」だ。
2014年英ロンドンで誕生したスタートアップ。広く一般に知られたプラットホームではないが、サイクリストの間では数年前から単調な屋内トレーニングを楽しく行えるとして人気を集めている。フォーブスなどによると、ユーザー数は2016年頃に20万人ほどだったが、着実にユーザー数を増やし現在は100万人を超えたという。
2018年12月には、シリーズBで1億2,000万ドル(約130億円)を調達、累計の調達額は1億6,450万(約180億円)となった。現在主に自転車ユーザーがほとんどだが、調達した資金でランニングユーザーの獲得を狙うようだ。
Zwiftはもともと、共同創業者でCEOを務めるエリック・ミン氏の自転車への情熱から生まれたプラットホーム。
ミン氏のキャリアはウォール・ストリートから始まったが、それ以前はオリンピック強化キャンプに参加するほどの自転車アスリートだった。1990年にニューヨークのJPモルガンに入社、1998年まで8年間勤めている。その後ロンドンでトレーディングシステム会社Sakonnet Technologyを立ち上げ、2014年3月までCEOを務めていた。
この間も自転車への情熱は薄れることはなかったが、ビジネスと家族に投じる時間が増えたことで、インドアでの自転車トレーニングを余儀なくされたという。
インドアでの自転車トレーニングはローラーやトレーナーを使って行うが、景色が変わらず、チームメイトや友人とのコミュニケーションもないため単調で退屈になりがちだ。ここにソーシャルの要素を加え、インドアでも楽しい自転車体験を実現したいという発想からZwiftが生まれた。
アスリートのソーシャルネットワークStravaでミン氏の活動履歴を見ることができるが、自転車の走行距離は月間1,000キロメートルを超えている月もある。2018年1〜12月は計8,400キロメートル以上を走破。自転車仲間とのライド写真もアップされており、自転車好きであることが伝わってくる。
Zwiftで自転車レースに参加するには、本物の自転車とスマートトレーナーが必要になる。自転車をトレーナーに設置し、Zwiftアプリとトレーナーをブルートゥースで接続すると、自転車の回転数や出力に合わせて、バーチャル空間のアバターが進む仕組みになっている。速く進むには、現実世界と同じように高出力でペダルを回すことが求められる。
Zwiftアプリのインストラクション
一方、ランニングではZwiftが販売している小型デバイスZwift Runpodをシューズに装着することで、ランニングマシン上での動きをバーチャル空間に反映することができる。
Zwift Runpod(Zwiftウェブサイトより)
リアルタイムで世界中のユーザーとサイクリングやランニングができるため、1人ではなかなか続かないという人も楽しく継続することが可能だ。また冬シーズンで外が凍結するような環境にある人も重宝しているようだ。
Zwiftはのんびりマイペースでサイクリングやランニングを楽しみたいという人だけでなく、アマチュアの大会に向け調整したい人、また本格的なトレーニングを通じてプロを目指したいという人も多く利用している。
グループライドの様子(Zwiftウェブサイトより)
特にプロを目指すという人向けに、Zwift上でのトレーニングを通じてプロチームに参加できる「Zwift Academy」というプログラムが実施されている。
現在、同プログラムでは2つの自転車プロチームと1つのトライアスロン・アマチュアチームが選考を兼ねたトレーニングを実施。南アフリカのロードレースチーム「Team Dimension Data(TDD)」、ドイツの女性ロードレースチーム「Canyon-Sram」、そしてトライアスロンチーム「Specialized Zwift Academy Tri Team」だ。
2017年には、TDDとCanyon-Sramのプログラムからそれぞれ1名のプロが誕生しており、プロ選考のあり方を大きく変える可能性に注目が集まっている。
TDDは2017年8月から約2カ月に渡りZwift上と屋外での実走を合わせた選考プログラムを実施。
第1フェーズではオンライン上で9,000人以上が6週間のトレーニングを受け、そのなかからスコアが高かった10名がセミファイナルに選出された。
この10名はここからさらに屋内と屋外で2週間のトレーニングを受け、ファイナリスト3名が選ばれた。3名は南アフリカのTDDキャンプに招待され、1週間の実走トレーニングに参加。最終的にニュージーランド出身21歳のオリー・ジョーンズ氏がプロ契約を勝ち取り、TDD・U23チームで走ることになった。
同時期、Canyon-Sramでは元長距離ランナーだった米国出身の女性リア・ソービルソン氏(当時37歳)がZwift Academyを通じてプロ契約を勝ち取っている。このときは計1,200人の女性がプログラムに参加したという。
また2018年にもCanyon-SramではZwift Academyからプロ選手が誕生している。2018年にプロ契約を獲得したのは元看護師でトライアスロン選手だったドイツ出身の女性タンジャ・イレイス氏。このときの参加者数は2,100人と前年を大きく上回っている。
2018年12月には、Zwift上でロードレースプロチームによるリーグが発足したと報じられている。本物のアスリートがバーチャル空間を舞台に体力の限界まで競い合うこれぞ「eスポーツ」という場面が見られるようになるのかもしれない。
文:細谷元(Livit)