「ジェネレーションZ(Z世代)」と呼ばれる世代が、時代を変えようとしている。
Z世代とは、1990年代半ばから2008年頃までに生まれ、現在12〜19歳にあたる世代である。起業家精神旺盛、デジタルネイティブ、社会課題への意識が高い、倫理的な消費観を持つ、など独自の特徴を持っている。
そんなZ世代を今後牽引していくであろう起業家が日本にも数多く存在する。
2008年当時9歳という幼さで、原子を結合させて分子を作っていくカードゲーム「ケミストリークエスト」を考案。その後、2011年当時12歳でありながら「ケミストリー・クエスト株式会社」を設立、社長へと就任、現在は同社の代表取締役に従事している、米山 維斗氏(19歳)もその一人だ。
「ケミストリークエスト」は入門編と新装版が販売されており、シリーズ累計約13万5,000 部を売り上げている。さらに、米山氏自身が開発した同ゲームのiOSアプリは、世界中から約3,000 DLを突破。
この数字を見ても分かるように、商品を考案して10年経った今でも、大人から化学を知らない子どもたちまで幅広い年代に愛されるカードゲームになっている。
そんなビジネスの才能に満ち溢れている彼だが、前述の通り現在19歳。会社を設立してから今に至るまで「学業」と「経営」という二足の草鞋を履いている。幼い頃から「神童」と称されるほどの功績を残す米山氏の半生を追いながら、培われてきたZ世代マインドを探っていく。
- 米山 維斗
- 1999年神奈川県生まれ。2008年小学校3年生のときに化学結合を楽しみながら学べるカードゲーム「ケミストリークエスト」を考案。小学校6年生になった2011年ケミストリー・クエスト株式会社を設立。2012年国立大附属中学校へ進学、中学生社長となる。2014年最年少の代表取締役に就任。2018年筑波大学附属駒場高等学校を卒業。
探究心の塊だった幼少期
3歳の頃にタイピングやパソコンゲームをするほど、パソコンの操作をマスターする「神童」ぶりを発揮。「家にあったパソコンに自分から興味を持ち始め、親にWordやExcelの使い方を聞いていた」と話す。
幼稚園の頃には宇宙や鉱物、化石、化学など様々なジャンルに興味関心を持ち、図鑑や本を読み漁り幼いながらに探究心を露わにしていた。
そんな米山氏は当時を「環境に恵まれていた」と振り返る。
米山「様々なジャンルに興味を持ち始めたのは、幼稚園の環境がキッカケでした。
僕が通っていたのは欧米型の教育に力を入れている幼稚園で、英語で授業を行っていました。
さらに、アクティビティや自然学習などの体験を通じて楽しみながら学ぶような内容だったんですね。その一つとして、太陽系に関する学びもありました。さらに僕の地元の相模原にはJAXAもある、そんな環境だった影響か、実は最初は宇宙に興味を持ったんですよね。」
宇宙には地球だけではなく様々な惑星がある。同じように見える惑星だが、それぞれ異なる物質で構成されている。例えば、地球の大気は酸素と窒素、そして微量の二酸化炭素で構成されているが、火星と金星がほとんどが二酸化炭素だ。このような物質の違いはもちろんのこと、そんな宇宙の奥深さに興味を持ち、知識の探求にのめり込んだのだという。
幼稚園の授業は全てが英語だったこともあり、英語の文献にも触れることができ、「知識の探求がしやすい環境」だったと述べる。 宇宙に興味を持った後、米山氏が興味を持ったのは「鉱物」だった。
米山「宇宙がキッカケで地球の歴史も探求していて、そこから古い生物“古生物”や“鉱物”に興味を持ち、かなり探求を進めましたね。鉱物は宇宙と同じように、一つ一つ異なる物質で構成されます。なので、鉱物の性質を表記する際は原子記号を利用するんです。
そこからケミストリークエストのテーマでもある、化学に興味を持ちました。」
環境に恵まれていたこともあるのだろうが、なぜそれほどまでに深い探究心を持つことができたのだろうか。そこには米山氏の身近にいた人たちの存在が大きく影響していた。
米山「興味関心のあること、好きなことを友人の親に話すと、興味を持って聞いてくれたり、共有したことを面白いと言ってくれたんです。いくら大人といえど、難しい話をするとあまり聞いてもらえないことが多いと思うのですが、自分の周りにはそういった人がいなかった。
だから僕は、深く探求することが好きなわけではなく、他の人に話題を共有したり、その話題で楽しいと思ってもらえる状況に面白さを感じていたから、深く探求することができました。」
事業が生まれたキッカケは友人と昼休みに遊んだ「手作りのゲーム」
そんな幼少期を経て、米山氏が小学校3年生の頃、昼休みに友人が遊んでいた神経衰弱からヒントを得て、自分もカードゲームを作ってみたいと思ったことがキッカケで「ケミストリークエスト」を発案した。
当時通っていた公立の小学校には、個性溢れる友人がたくさんいた。学校では私物の玩具の持ち込みは禁止されていたため、周りの友人たちは折り紙などを利用してオリジナルのゲームを生み出していたのだと言う。
米山「小2の時に友人と折り紙で通貨を作って、擬似的に商店街を作り出し、お店屋さんごっこで遊んでいました。ケミストリークエストを作った小3の時も、友人が折り紙でカードゲームを作っていて。それを見たとき、自分も何かオリジナルのゲームが作れないかと考えたんです。」
周りの友人たちが作っていたゲームは大半が対戦ゲームだった。それを逆手に取り、生み出されたのが“戦わないゲーム”だったのだ。
そこに、当時 米山氏のマイブームであった「化学」。周りの友人は化学に興味がなく、共通の話題として出すことができなかった影響もあり、化学の要素を取り入れた。
米山「カード1枚1枚を原子に見立てて、その原子と原子を結びつけて分子にする。分子になったら自分がカードを得ることができる。これなら戦わずに、さらに学びながら、楽しんでゲームができると思ったんですよね。」
起業を決意した理由「多くの人に化学の楽しさを届けたい」
ケミストリークエストを制作した当初は、起業など考えていなかった。純粋に友人に「化学」を楽しんでもらい、化学という共通の話題として話ができればよかったのだ。
そんな米山氏に転機が訪れたのは、小学校5年生の時だ。「東京国際科学フェスティバル2010」という大人から子どもまでが楽しめるイベントに、好奇心からケミストリークエストを出展、ケミストリークエストの体験会を実施した。体験会を通じて大人から子どもまで多くの人に遊んでもらい、生で高評価を受けた。
さらに、そこでかけられた「商品化したら?」という一言に、米山氏は突き動かされたと話す。
米山「この商品を世の中に広めて、もっと多くの人に化学を楽しんでもらいたいと思ったんです。そのために商品化してもいいんじゃないかなと。 とはいえ、商品化したとしても自分一人で大量の部数を販売することには限界がある。限界を設けてしまうことで、広める手段が途絶えるくらいなら事業化して広めようと考えました。」
事業化を進めようと考えてからの行動はまさにZ世代。インターネットを駆使し、ケミストリークエストを事業化する方法についてひたすら調べた。
そこから辿りついた方法が、「出版社に商品化を頼むこと」だったのだ。
米山「知り合いに商品化を頼める人がいたので、ケミストリークエストを持ち込んで相談しに行ったんです。今でこそ、アプリ化をすれば際限なく多くの人の手に届くと思うのですが、当時はスマホが主流になる前の時代。
そこで、どうするかと考えた時に商品を大量生産するしかなかった。ケミストリークエストを多くの人に利用してもらう目的のもと、“手段”として起業を決意しました。」
そして2011年、幻冬舎エデュケーションからケミストリークエストを出版。同タイミングでケミストリー・クエスト株式会社を設立。若干12歳という若さで、取締役社長に就任した
天才起業家の意外な弱点は「興味関心」にあった
起業するということは今までの生活が大きく変化すると思うだろう。ましてや小学校6年生で起業。「学業」と「仕事」の両立で苦悶する可能性だってある。
しかし、起業してから今まで「学業」と「仕事」の両立で悩んだことはなかったと言う。
米山「“学業”も“仕事”も自分のやりたいことを貫き通していたので、悩むことは全くなく。周りの友人たちも好きなことに関して以外は、興味を示さないような人ばかりで。僕が起業していること自体、あまり知らなかったんじゃないですかね。そういう意味では、僕はずっと環境に恵まれていたんだと思う。」
毎日のように友人たちと好きなことを語り合った小中高の学生時代を振り返り、「本当に楽しかった」と語った。
しかし、そんな米山氏にも弱点があった。興味のあることには凄まじい探究心を発揮するが、興味のないことには無関心だと言うのだ。その無関心の対象となった一つが「学校の勉強」だった。
米山「もらった課題に手をつけることもサボるほど…。テストもそこまで頑張らなくても進級できると思うと、余計にモチベーションが上がらずで(笑) なので、高校生の時には勉強を気にせず、新しく商品化することを進めていましたね。」
2016年、高校2年生の時、新商品を販売。ユーザーからの反響を参考に「ケミストリークエスト入門編」を制作した。
学業と並行して新商品の開発を進めなければならない。そのため、基本的には電子メールで出版元である幻冬舎とやり取りを行なった。
そして、運が良いことに幻冬舎と米山氏の通う高校が近かったこともあり、学校帰りに打ち合わせすることもあったと言う。
米山「メールが溜まってきた段階で、ブラッシュアップするために幻冬舎に足を運び、打ち合わせをして、見積書出して、発注して、みたいな流れで商品化を進める日々を過ごしていました。」
未来に対する「不安、そして何よりもの期待」
そして19歳となった現在、米山氏は浪人中の身である。予備校に通い、今まで避けてきた勉強に取り組んでいた。 さらに、勉強と並行して没頭していることがあった。
「都市工学」という分野だ。中高では鉄道研究部に所属していた米山氏。もともと好きだった鉄道から派生し、学問的に鉄道を学ぶ楽しさを感じたことで都市工学に興味を示した。
米山「今後は都市工学を学ぶ道に進みたい。都市工学は現実世界という狭い中で適応される分野。まだ詳しく都市工学の世界に触れているわけではないので、大学に行って専門的な勉強をしていきたい。勉強したことから、その先の将来を考えていきたいですね。」
新しい学問に興味を示す一方で、米山氏にはケミストリークエストもある。どちらも両立していくことに対し「不安、そして何よりも期待がある」と強く語った。
米山「これからはもっと多角的に同時にいろんなことをしたい。そしたらもっと面白くなると思う。とはいえ、今後はしっかりセルフマネジメントしていかないと、多角的に同時にいろんなことができないと思います。時間と努力と粘り強さを積み重ねて取り組んで行きたいです。」
常に新しい分野に興味を持ち続け、探究心を燃やす米山氏の幼少期〜現在までを振り返り、彼の人格を構成するルーツについて迫った。
次回は、米山氏の考えるビジネスマインドや、ケミストリークエストの今後にかける想いについて迫っていく。
取材・文/阿部裕華